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 倉橋 忠   公立中学校(兵庫県)の元社会科教員 


     
1949年4月  兵庫県に生まれる 
1973年3月  龍谷大学法学部法律学科卒業 
1984年4月 姫路市立中学校教諭に着任 (満34歳で初任者・講師歴なし)
1986年4月 尼崎市立中学校に転勤 
1999年4月 尼崎市立塚口中学校 教頭 
2001年4月 尼崎市教育委員会教育総合センター 研修担当係長 
2004年4月 尼崎市教育委員会教育総合センター 所長 
2006年4月 尼崎市立南武庫之荘中学校 校長
2010年3月 尼崎市立南武庫之荘中学校を定年退職 
2010年4月  尼崎市教育委員会学校教育部 非常勤嘱託(授業改善アドバイザー・中学校社会科 2011年度~2014年度) 
2017年4月  関西学院大学教職教育研究センター 非常勤講師 
2020年9月  関西学院大学教職教育研究センター非常勤講師、及び甲南女子大学非常勤講師を兼任
2022年4月  関西学院大学教職教育研究センター非常勤講師、及び龍谷大学法学部メンターを兼任 






 造園土木作業員、営業マン(自動車工業界)、ガードマン、鉄筋工、ホテルのボーイ、学校開放事務(事務職兼夜警員)など。無職の期間もある。
 私の青春期は司法浪人の時代だった(刑事弁護士を目指し司法試験の受験勉強をしていた)。大学卒業後、様々な職を転々とした。
 司法試験の受験勉強を、学生時代を含め通算12年間したが、最終合格はできなかった。司法浪人をあきらめたのは満34歳の時。失意のどん底で「メシの種」を求めて、やむなく教員採用試験を受験した(1983年7月)。教員生活に入り子どもたちに向かい合っていく内に、弁護士になる目標は心の中から自然消滅していた。 

学校教育学修士
法学士



教育目標・評価学会
全国社会科教育学会
日本社会科教育学会



保護司として更生保護活動に従事する。(2009年10月~) 
兵庫県尼崎市保護司会 園田分会所属。






   
1992年 ◎中学校社会科公民的分野における教材「家族」に関する一考察
 -到達度評価論からのアプローチ- (修士論文) 
1994年 ◎中学校社会科公民的分野「現代家族」と教材の実践的考察
  兵庫教育大学『授業の探求』第5号 所収 
1994年 ◎「江戸時代の農民の生活」における「関心・意欲・態度」の評価に関する実践的考察
  教育目標・評価学会『研究紀要』第5号 所収 
1995年 ◎「新しい学力観」と授業構造に関する一考察
 -評価観の見直しから、新しい授業構造へ-
  尼崎市立小園中学校『研究紀要』所収
2007年  ◎校長のリーダーシップをどう育成するか
  田中耕治編集『カリキュラムをつくる教師の力量形成』教育開発研究所 所収 
2017年  ◎「活用する力」を育てる社会科(公民)授業の試み
 -「防犯カメラとプライバシー権」の授業実践-
  関西学院大学『教職教育研究』第22号 所収
◎「社会科の作文」の評価に関する実践的考察
 -中学校社会科歴史的分野「戦時下の人々」の指導を通して-
  日本社会科教育学会『社会科教育研究』№132所収

 写真撮影(野鳥・花・昆虫) 








屋外では、サングラスをかけています
 21歳の時に眼球を負傷し、左目の虹彩(こうさい:眼球に入る光の量を調節する器官)を1/3程失いました。残っている虹彩は開いたままで、瞳が小さくなることはありません。
 そのため、左の目は常時、光が入りすぎて真っ白の状態です。左目は、特に明るい所ではほとんど見えません。
 右目で見ているものも、その影響を受けて霞がかかったように白っぽく見えます。
 健常な眼球を持っておられる方が、昼間に映画館から出てくると、まぶしくて目を開けることができない経験をされるでしょう。あるいは、眼底検査などの際に、瞳孔を開く点眼薬を使うとまぶしくて見にくくなります。私の場合は、常時そのような状態です。それでサングラスをかけています。 










 「あれから30年が経ちました」
(尼崎市立教育総合センター「教育総合センターだより」2009年12月1日号より転載)。 

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