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「疑う力・考える力・生き抜く力」を育てる社会科授業を提案するサイトです。

学ぶことの楽しさと 伝えることの喜びHEADLINE

 教師としてスタートした頃、初任者とはいえ35歳になっていた。
 私は教材研究をしていてつまずいた。『農耕の発達が世界の四大古代文明の共通項であるが、地理的立地条件として見れば乾燥帯に存在する大河の流域である。それはなぜか?』自ら発見した謎であったが、どうしても解けなかった。そのために、これは当時の私の授業のネタにはならなかった。後に分かったのであるが、いずれの地も自然状態では草が生えにくいことで共通している。草が生えないから農耕が可能であり、かつ必要性があったのである。農耕にとって、雑草が強大な敵であることは、日々農作業を経験すればわかる。ある歴史学の老教授によれば、このことは、かつては日常生活の「当たり前」で、学ぶための共通の知識であった。けれども、農耕経験のない、今日の教員や子どもたちがこの事実を知ることは至難の業である。
 そして、私は再び「草」でつまずいた。「朝おきを致し、朝草を苅、昼ハ田畑耕作にかゝり、晩にハ縄をない、たわらをあみ(後略)」。かの有名な「慶安御触書」の一条文である(この触書は存在しなかったとの学説もあるが)。「草を刈る」ことの意味が分からなかった。
 自分自身が中学生のときには、何の疑問も感じずに『作物をより実らせるために田畑の草を刈り、家畜の餌を用意した』と理解していた。しかし、指導するために読み直すと、疑問が生じた。田畑の養生のためであれば草は根本から抜かなければならないはずであり、家畜の餌であれば草場で家畜を放せば済むことである。ある日、農家の人と話をしていて「土を耕すときに草も一緒に耕せばこやしになる」と聞かされて、自分の不明を恥ずかしく思った。草が肥料だと言うことは、書籍から学ばなくても「生きる智恵」として、農家の親子代々に伝わる知識であったのだ。
 そこで、文献上の根拠を探した。翻訳されない「原典」に触れたとき、私の疑問は解け始めた。すなわち、後の一条文には「百姓ハこへはい調置候儀専一ニ候間、せつちんをひろく作り(中略)、庭之内ニ三尺二間程にほり候而、其中へはきため又ハ道之芝草をけつり入、水をなかし入、作りこゑを致し(後略)」とある。刈草はやはり肥料なのではないか? 私は肥料の概説書を読み始め、何冊かの書籍を読んだ後、次の結論に達した。遅くとも弥生時代には草が肥料として利用され、平安時代の肥料の主戦力は草であった(緑肥:刈り取った草を土に入れる)。ちなみに、江戸時代の宮崎安貞は、その著書『農業全書』で、草を「草糞」として重要な肥料の一つにあげている。
 このようにして、私は教材研究をきっかけに学ぶことの楽しさを体験した。それ以後、私は教材研究の度に様々な疑問に出会い「謎解き=知る喜び」を楽しむようになった。一方で、「生きる智恵」が、次第に家族間で伝えられにくくなっていることに私は気づいた。
 元来、家族間で「生きる知恵」を伝えることが、家族の存立と個人の生命を守る喜びであったはずである。明治初期の学校教育が始められた頃には、多くの子どもたちは自然の中で育ち、「生きる知恵」は親子の間で伝えられた。初期の学校教育の役割は、家族では伝えることができない「学問」や「科学」された知識を「教える」ことであったのであろう。そこでの学びは、豊かな生活体験に支えられた。
 今日の子どもたちの学習内容と生活経験の距離は、かつての時代とは根本的に異なっている。都会の子どもたちが日常体験していることは、自然界から見ればバーチャルな世界である。そのような時代だからこそ、「謎解き」中心の構成で学ぶ楽しさと、学ぶ方法を伝える授業で子どもたちの学力形成に挑戦することを提唱したいと私は思う。

2005年5月

バナースペース

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