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情報化社会の進展に思うHEADLINE

 隣の家で起こっていることはわからなくても、地球の裏側の様子は分かる。プライバシーの権利と情報化社会の進展がなせる現象であろうか。そんな中で、時折、『子どもたちから大人はどう見えているのだろうか』と私は思う。

VRの中で育つ子どもたち
 私たち団塊の世代が過ごした幼年期であれば、大人の智恵が情報源であり、遊びは手作りの世界であった。また、子どもが大人になるための知識=情報は、身近な大人や学校の教師から学ばなくてはならなかった。独楽回しや竹とんぼ、缶蹴り・鬼ごっこ。大人は偉大な先輩であった。しかし、時代の進展はこの秩序を崩壊させた。子どもたちはVR(Virtual Reality 仮想現実感)の中で育ち、現実の体験と仮想体験の区別が困難になろうとしている。情報化社会は、子どもたちに知識を伝達する「特権」を、身近な大人から奪い取り、子どもも大人も同じ次元で情報を手にすることが可能な世界を生み出しつつある。文字通り、生涯不断の努力を続けなければ、情報量やその質において、大人たちは子どもたちに追い越されてしまう状況になっている。情報リテラシーの習熟度が、今後の社会生活のキー・ポイントを握るのかも知れない。今日の学級経営や生徒指導の困難さの背景には、このような事情もあるように思えてならない。

情報機器の利便性と危険性
 周知の通り、高度に進展した情報機器は生活に有利なことばかりを提供しているのではない。危険性が、その利便性と対になっている。インターネットを通して世界中の情報を見ることができる。それは、同時に、誰しもが世界中に情報を発信することができることを意味している。もし仮に、何かの手違いで個人情報が漏洩した場合、個人情報が世界中にばらまかれる危険性にさらされる。インターネットを利用した個人攻撃や中傷・誹謗も数多く現れるようになっている。さらには、犯罪のノウハウまで指南しているホームページまで存在したり、青少年の好奇心をくすぐる反社会的な情報も無制限に垂れ流されており、携帯電話の普及はその状況に拍車をかけている。システム的にこれらの「過ち」を防ぐ装置を準備しなければならない。それは、技術的な面だけでなく、心(良心)の側面においても必要なことである。

ネチケットの重要性を子どもたちに伝えよう
 また、物的な財産を盗むことが罪悪であることは誰もが疑わない。しかし、著作権に代表される知的財産権についてはその罪悪感が働かないことが多い。それは、モノの時代(産業化社会)の良心は持っていても、情報化時代の良心を持っていないからだと言われる。情報リテラシーの必要性以上に、情報社会の倫理・ネチケットの重要性を子どもたちに伝えなければ、今後の社会が成り立たなくなると思うのは、私だけではないであろう。

2004年5月

バナースペース

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