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「疑う力・考える力・生き抜く力」を育てる社会科授業を提案するサイトです。

卒業生に贈る言葉 -卒業式での校長式辞-HEADLINE

 現職の校長時代は4年間でした。その間、いろんな子どもたちと出会い、多くのことを学びました。彼ら、彼女らの門出に、自分の思いを伝えることができる機会を得たことは、教員冥利に尽きました。卒業証書授与式での校長式辞は、私にとって義務教育仕上げの授業でした。
 ですから、卒業証書授与式での校長式辞の時間を12分欲しいと、毎年のように担当学年に伝えました。式典全体の時間が長時間になるので、それが限界でした。それでも、他の学校の校長式辞よりも長い時間を費やしたと思います。
 授業である以上、原稿を読み上げるような「式辞」はしませんでした。形式上、手には巻紙を持っていましたが、巻紙は演台に置いて、すべて子どもたちの顔を一人ひとり見ながら語りかけました。壇上の私にうなづいてくれる、やんちゃな子、お茶目な子、いつも教室の片隅で静かに授業を受けていた子、勉強が分からなくて物に当たっていた子、成績の優秀な子がいました。
 高校進学率は、98%以上だと言われて久しいのが現代社会です。しかし、私の勤務した中学校では10%を超える数の子どもたちが中卒で就職するのが実態でした。だから、誰よりも働きに出る子どもたちにエールを贈りたかったのです。『負けるなよ。自分を大切にしろよ』と。
 彼ら、彼女らは、就職する子、働きながら定時制高校に通う子、全日制高校に進学する子に分かれて中学校を卒業していきました。
 教え子達がこのサイトを訪れてくれた時へのプレゼントとして、そんな「式辞」の元原稿を再現・公開します。

 平成18(2006)年度の式辞    平成19(2007)年度の式辞 

 平成20(2008)年度の式辞    平成21(2009)年度の式辞


平成19年3月 卒業証書授与式での校長式辞
 
(平成18(2006)年度)
 弥生三月確かな春の息吹を感じる今日、本校第三十三回卒業証書授与式を挙行するにあたり、多数のご来賓の方々、保護者の皆様方にご臨席賜り誠にありがとうございます。
 高いところからではございますが、御礼申し上げます。また、保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。
 先ほど、二百二十三名の生徒諸君に卒業証書を授与いたしました。
 改めて、卒業生諸君 「卒業おめでとう」。
 しっかりとした礼儀、堂々たる態度、南武庫之荘中学校が誇る自慢の生徒たちです。義務教育の九年間でかくもたくましく育ってくれました。
今日までこうして来られたのも、保護者をはじめとするご家族の温かい愛情と、地域の方々のご支援や、先生方の熱い思いに支えられたものであります。感謝する心を決して忘れてはなりません。
 さて、今日の社会は急激に変化する社会です。この社会変化のスピードは、これまでの人類が経験したことのないものです。これまでの社会では、親や周りの大人のすることだけを真似していても生きていけました。しかし、今の世の中、そんなに甘くありません。これまでの祖先の智恵を土台にして、新しい智恵を手に入れなければ、生き延びられない状況になっています。
たとえば、情報化社会の高度な進展によって、世界はより密接につながるようになりました。特に、インターネットの発達で、世界中の人々が個人で情報を発信でき、受信できます。食糧だって、国内で生産されたものは少なく、ほとんどのものが輸入されています。野菜すら国際競争の中で生産されるようになっているのです。そのような時代では、日本だけでなく、世界の国の様子を考え、努力しないと、働くことが困難になるでしょう。今、いち早く、中学校から働きに出る人もいます。高校に進む人も、やがては自分の生き様を賭けて働くことになります。そんな君たちの門出に、私は二つの言葉を贈ります。

 一つ目は「失敗を恐れるな」ということです。
 失敗は、挑戦者の勲章です。野球で言えば、エラーをすることですが、飛んでくるボールにたどり着かない選手のプレーはエラーにもなりません。エラーをしないことが良いに決まっています。が、エラーもしない選手は、ボールに挑戦していないのです。
 アイス・スケートの荒川静香選手は、スケートが上手です。しかし、今のレベルに達しても、今なお、彼女は何度も氷の上でこけていると思います。ところが、私は一度も氷の上でこけたことはありません。私の方がスケートが上手なのでしょうか。私は生まれて一度もスケート靴を履いたことがありません。
 わかりますね、何かを成し遂げようとすると、必ず失敗がつきまといます。失敗しない簡単なことであれば、それは挑戦という言葉に値しない行いでしょう。
 どうか、何度も何度もこけて下さい。つまずいてください。その姿勢が君たちを鍛えます。こけてもいいんです。また立ち上がればいいのですから。

 二つ目は、「自分を大切にする」ことです。
 自分の体は自分のものですが、自分だけのものではありません。
 歴史上、人類は、幾度となく飢饉に襲われました。絶滅するかもしれない危機的な状況におかれたことも幾度もありました。
 しかし、私たちの祖先は、そのとき確実に生き延びて、私たちに命をつないでくれました。でなければ、私たちの命はないのです。
 そして、この命は、私たちの子孫につながなくてはなりません。互いに、命や体を大切にすること、これが人の幸せの大前提であることは誰もが疑わないでしょう。
 「自分を大切にする」ということは、自分だけの利益や、身の回りの一部の人たちだけが得をするようなことに力を注ぐことではありません。
 自分らしさを自覚し、他人の人権を尊重しつつ、自分らしく輝くことができる人。自分の持ち味を生かし、より多くの人々が幸せになれるよう汗を流す人。それが「自分を大切にする」人です。
 そのような行動がとれる人こそ、母校が誇る先輩であったり、地域が誇る人となるのだと思います。
 どうか、出身校を誇るのではなく、出身校が誇る人材として、先輩として活躍してくれることを期待します。諸君ならそれができるはずです。
 「失敗を恐れるな」。
 「自分を大切に」。
 この二つの言葉を私の贈る言葉といたします。
 最後になりましたが、保護者の皆様、今日まで何かとお力添え、ご協力をいただき本当にありがとうございました。厚くお礼申し上げます。生徒たちも立派に成長しておりますが、まだまだ発展途上にあります、今後も目をかけご支援を続けてください。
 また、ご来賓の皆様、本日はありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
 それでは、卒業生の諸君が洋々たる世界へ大きく羽ばたくことを願い、式辞といたします。
平成十九年三月十三日
                   尼崎市立南武庫之荘中学校
                      校長  倉橋 忠

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平成20年3月 卒業証書授与式での校長式辞
 (平成19(2007)年度)
 弥生三月確かな春の息吹を感じる今日、本校第三十四回卒業証書授与式を挙行するにあたり、多数のご来賓の方々、保護者の皆様方にご臨席賜り誠にありがとうございます。
 高いところからではございますが、御礼申し上げます。また、保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。
 先ほど、二四一名の生徒諸君に卒業証書を授与いたしました。
 改めて、卒業生諸君 「卒業おめでとう」。
 今日までこうして来られたのも、保護者をはじめとするご家族の温かい愛情と、地域の方々のご支援や、先生方の熱い思いに支えられたものであります。感謝する心を決して忘れてはなりません。
 これまでにも、何度も、私は君たちに親や周りの大人の真似だけをして生きていける時代ではないと話をしてきました。
 インターネットが一般に使われるようになったのは、今から十二年前です。携帯電話が普及したのは数年前からです。この社会変化のスピードは、これまでの人類が経験したことのないものです。
 石器時代は数万年続きました。百年程前は、火をおこすのに、火打ち石を使っていました。その後、マッチを使ってカマドに火を入れていた時代が八十年程続きました。今は、自動点火あるいはIHで点火の必要すらない台所もあります。
 技術が進化すればするほど、利用する道具や機械の改良のスピード上がり、コンピュータなどは一年間に四回もモデルチェンジをしないと時代遅れになっています。
 別の言い方をすると、常に今よりも優れた技術を作り出す努力をし続けなければ、生き抜くことが困難な時代になっているのです。
 たとえば、農薬の混入問題で、食糧輸入のことを、君たちも意識するようになったと思います。このような問題の背景には、次のような状況があります。
 今から、三十年程前に、食料保存の方法が改良され、自動車用の冷凍機が開発されると、冷凍されたまま輸送が可能になりました。さらに、船舶用の高速エンジン等の改良や道路網の整備により、早いスピードで輸送できる条件が整いました。そこに、必要な物資の量をリアルタイムで通信できるインターネット通信が利用されるようになると、世界中の生産地が、一気に、冷蔵庫代わりに変化したのです。
 このように、今日では、競争が地球規模で展開されています。そのため、これから君たちが生き残るために経験する道の厳しさは、これまでの人々が経験してきた苦労とは次元が違うものかも知れません。
 そんな時代に、いち早く、中学校から働きに出る人もいます。高校に進む人も、やがては自分の生き様を賭けて働くことになります。そんな君たちの門出に、私は三つの言葉を贈ります。

 一つ目は、
 「学び続ける人であれ」ということです。学ぶスピードは、一人ひとり異なります。また、学びたいことも違います。また、就きたい職業や仕事も異なります。けれども、どの仕事についても、時代の波と戦う厳しさは、同じだということです。楽な仕事などどこにもありません。どの仕事にも、どの役割にもそれ相当の厳しさと「しんどさ」があります。それが、これまで数多くの職業を体験してきた私の職業観です。そして、どの職域にも達人と呼ばれる一流の人達がいます。その一流の人達に共通することは、絶え間ない学びと自己を成長させるための努力をしているということです。その人の出身学校や学歴などはほとんど関係ありません。人は経歴ではなく、現在のポジションで物事にむかい、考えるからでしょう。
 君たちが知っている人で言えば、プロ野球のイチロー選手。彼は、「僕は野球の天才ではない。もし僕が天才であるとすれば、努力をすることができる天才です」と答えています。
挫折のない人生などあり得ない。いつか、どこかで、人は失敗する。限りなく失敗をして、その失敗の原因を見つめ学ぶことが成長につながる。努力とは、そのような失敗から学ぶ行動を限りなく続けることだとイチロー選手は言っているのです。
 不安な未来に立ち向かう力を身につけるためには、学ぶことしかないのです。何を教えてもらうのかではなく、自分は何を学ぶのかを常に問いながら、自分で学ぶことです。着実に。

 二つ目は、
 「自分を大切にする」ことです。
 自分の体は自分のものですが、自分だけのものではありません。
歴史上、人類は、幾度となく飢饉に襲われました。絶滅するかもしれない危機的な状況におかれたことも幾度もありました。
 しかし、私たちの祖先は、そのとき確実に生き延びて、私たちに命をつないでくれました。でなければ、私たちの命はないのです。
 そして、この命は、私たちの子孫につながなくてはなりません。互いに、命や体を大切にすること、これが人の幸せの大前提であることは誰もが疑わないでしょう。
 「自分を大切にする」ということは、自分だけの利益や、身の回りの一部の人たちだけが得をするようなことに力を注ぐことではありません。
 他人の人権を尊重しつつ、自分らしく輝くことができる人。自分の持ち味を生かし、より多くの人々が幸せになれるよう汗を流す人。それが「自分を大切にする」人です。

 三つ目は、
 「目標を定め、一歩一歩、前進せよ」ということです。
 義務教育最後の授業をしましょう。
 この文字は読めますね。この文字をよく見てください。(「歩」の文字を掲示)
 この「歩」の字は象形文字で、上の「止」が右足、下の「少」は左足を描いていると言われています。
 自分のしていることの意味を確かめるために「止」まり(「止」の文字を掲示)、
足りないところを満たすために、「少」し動いてみる(「少」の文字を掲示)。
この二つを合わせると「歩」という文字になります。
 人が成長する過程を道とすれば、私たちの一日一日の行動は、まさに「歩」の積み重ねであると言えるでしょう。
 そして、その「目標」をしっかり定めなければ、自分で進む道を決めることができない状態になります。「目標」があれば、時の流れを利用することもできます。大海原を航海する船は、風と潮の流れを巧みに利用して目的地に着きます。
 最近はKYと言って、「空気を読めない」ことを馬鹿にする風潮があります。しかし、場の空気を読むより、世の中の流れを読むことの方がもっと大切です。
 流行に乗ることが「自分を大切にする」ことではありません。無批判に流行を追いかけることは、流行を作り出している人に、乗せられているだけなのです。
 どうか、自分の「目標」をしっかりすえた上で、世の中の流れを読み取るように、一歩一歩踏み出してください。
 「学び続ける人であれ」
 「自分を大切に」
 「目標を定め、一歩一歩、前進せよ」
 この三つの言葉を私の贈る言葉といたします。
 最後になりましたが、保護者の皆様、今日まで何かとお力添え、ご協力をいただき本当にありがとうございました。厚くお礼申し上げます。生徒たちも立派に成長しておりますが、まだまだ発展途上にあります、今後も目をかけご支援を続けてください。
 また、ご来賓の皆様、本日はありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
 それでは、卒業生の諸君が洋々たる世界へ力強く漕ぎ出でることを願い、式辞といたします。

平成二十年三月十三日
                   尼崎市立南武庫之荘中学校
                      校長  倉橋 忠

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平成21年3月 卒業証書授与式での校長式辞
 (平成20(2008)年度)
 弥生三月確かな春の息吹を感じる今日、本校第三十五回卒業証書授与式を挙行するにあたり、多数のご来賓の方々、保護者の皆様方にご臨席賜り誠にありがとうございます。
 高いところからではございますが、御礼申し上げます。また、保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。
 先ほど、二四三名の生徒諸君に卒業証書を授与いたしました。
 改めて、卒業生諸君 「卒業おめでとう」。
 今日のこの日があるのは、保護者の温かい愛情、地域の方々のご支援や、先生方の熱い思いに支えられたものであります。感謝する心を決して忘れてはなりません。
 君たちと私は同じ年に本校に入学しましたが、君たちの方が先に卒業することになりました。
 君たちは入学以来、ずいぶん成長してくれました。一年生の時から、いたずらが過ぎて先生に怒鳴られていた人もいました。二年生の時にも授業態度が悪くて叱られていた人もいます。そんな君たちが三年生になってからは、生徒会を中心に学校のリーダーとして活動してくれました。特に「クリーン・タウン・ビューティフル」は、地域に奉仕する君たちの象徴的な行動でした。本校の新たな伝統として生き続けることと思います。新たな伝統をありがとう。
 ところで、本日、卒業する仲間には、いち早く、中学校から働きに出る人も少なからずいます。もちろん、高校に進む人も、やがては自分の生き様を賭けて働くことになります。
 そんな君たちの門出に、私は二つの言葉を贈ります。

 まず、最初に「ピンチかチャンスかは考え方次第」と言っておきましょう。
昔も今も、人が生きていくためには働かなくてはなりません。なのに、最近の新聞やテレビのニュースは、「働くところがない」と連日のように報道しています。
昨年のアメリカの金融危機に端を発した世界不況の波は、確実に我が国をも飲み込んでいるのです。
 多くの工場が閉鎖され、生産が止められている不景気な社会。それが君たちの生きていく現実であり、近未来なのです。
 けれどもよく考えてください。本当は、仕事は山ほどあります。贅沢なものは売れないかも知れません。しかし、多くの人が生きています。その人々に必要なものは、必ず売れますし、作らなければならないのです。仕事はそのような場面に必ず存在するのです。
歴史的に見ると、条件が変われば、無理と思われた仕事もできるようにもなります。例えば、トラックの運転手は腕力がなければ昔は出来ませんでした。パワーステアリングが発明されてからは、力の弱い人でもトラックの運転が可能になりました。
 今のように不景気で不安定な時代、それはこれまでの条件が変わりつつある時代だとも言えるのです。
 失ったことを数えるより、残っている可能性を数えよう。過去を変えることはできないですが、未来は自分の手で変えることが出来ます。
 「ピンチかチャンスかは考え方次第」なのです。自分を鍛え、自分の出番を待とう。君たちなら必ず、ピンチをチャンスに変えられます。

 二つ目は、
 「自分を大切にする」ことです。
 自分の体は自分のものですが、自分だけのものではありません。
 歴史上、人類は、幾度となく飢饉に襲われました。絶滅するかもしれない危機的な状況におかれたことも幾度もありました。
 しかし、私たちの祖先は、そのとき確実に生き延びて、私たちに命をつないでくれました。でなければ、私たちの命はないのです。
 この命は、健康な身体と共に、私たちの子孫につながなくてはなりません。互いに、命や体を大切にすること、これが人の幸せの根本です。
 「自分を大切にする」ということは、自分だけの利益や、身の回りの一部の人たちだけが得をするようなことに力を注ぐことではありません。
他人の人権を尊重しつつ、自分らしく輝くことができる人。自分の持ち味を生かし、より多くの人々が幸せになれるよう汗を流す人。それが「自分を大切にする」人です。

 「ピンチかチャンスかは考え方次第」
 「自分を大切に」
これらの二つの言葉を私の贈る言葉といたします。
 最後になりましたが、保護者の皆様、今日まで何かとお力添え、ご協力をいただき本当にありがとうございました。厚くお礼申し上げます。生徒たちも立派に成長しておりますが、まだまだ発展途上にあります、今後も目をかけご支援を続けてください。
 また、ご来賓の皆様、本日はありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
 以上をもちまして、私の式辞といたします。
平成二十一年三月十二日
                   尼崎市立南武庫之荘中学校
                      校長  倉橋 忠

                        このページの先頭へ

平成22年3月 卒業証書授与式での校長式辞
 (平成21(2009)年度)
 弥生三月確かな春の息吹を感じる今日、本校第三十六回卒業証書授与式を挙行するにあたり、尼崎市教育委員会 教育次長 徳田耕造様はじめ、多数のご来賓の皆様方にご臨席賜り誠にありがとうございます。
 高いところからではございますが、御礼申し上げます。
 保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。また、本日の日を迎えることができましたのも、三年間にわたり、保護者の皆様のご理解とご協力があってのことと感謝申し上げます。ありがとうございました。
 先ほど、二三五名の生徒諸君に卒業証書を授与いたしました。
 改めて、卒業生諸君 「卒業おめでとう」。
 今日のこの日があるのは、保護者の温かい愛情、地域の方々のご支援や、先生方の熱い思いに支えられたものであります。感謝する心を決して忘れてはなりません。

 君たちは入学以来、ずいぶん成長してくれました。
 君たちは入学式直後から叱らなければならない学年集団でした。私の教員生活の中で初めてで最後の経験でもあります。二年生になっても授業態度が悪くて叱られていた人もいます。
 そんな君たちが三年生になってからは、生徒会を中心に学校のリーダーとして活動してくれました。
 特に印象に残っているのは、土砂降りの雨の後の体育大会。百人を超える生徒が、早朝から泥んこになって運動場の整備をしてくれました。新型インフルエンザのための休校によって、練習時間は少なくなりました。けれども、組み体操を完璧に仕上げました。君たちの心意気と底力を証明する一場面でした。
 秋には、「クリーン・タウン・ビューティフル」と「たそがれコンサート」のコラボレーションで「地域活動の日」が君たちからスタートしました。地域に奉仕する本校の新たな伝統として生き続けることと思います。ありがとう。
 懸命に練習した成果も発揮できずに終わった文化発表会の取り組み。新型インフルエンザのために中止になってもくさらずに学校生活のリーダーとして学校全体を引き締めてくれました。ありがとう。
 ところで、本日、卒業する仲間には、いち早く、中学校から働きに出る人も少なからずいます。もちろん、高校に進む人も、やがては自分の生き様を賭けて働くことになります。
 そんな君たちの門出に、私は二つの言葉を贈ります。

 一つ目は、「失ったものを数えるな」と言っておきましょう。
 私が七年前に知り合った、春山満さんという実業家の話を紹介しましょう。
 彼は、年商八億円を超す実績を上げる商社の社長です。2003年、アメリカの雑誌『ビジネス・ウィーク』でアジアの星に選出された人物です。日本では彼だけが選出されました。
 彼は、進行性筋ジストロフィーという病に冒され、現在は、首から下の筋肉が全く動かない重度の障害者です。彼は言います。「僕は泣いても自分で涙を拭くことすら出来ない」と。
筋肉が萎縮する彼の病気は、まず足から動かなくなったそうです。発病したのは、彼が二十四歳の時です。
 足が動かなくなったとき「失った機能を考えても何も返ってこない。まだ、手が動くじゃないか」と考えたそうです。症状が進行する中で、彼はそれまでしていた仕事をやめ、福祉関係の仕事に方向を転換します。
 自分の障害と向き合い、彼はバリアフリーにつながる様々な商品開発に乗り出しました。障害のある自分にしかない感性を彼は武器にしたのです。車いすでも商品が取り出せる自動販売機や、コインをばらっと入れることの出来る自動販売機は彼の発案で開発された商品です。高齢者のデイ・サービスなどで利用されている人間洗濯機も開発しました。
 「春山さん。あなたは強いですね。普通の人は絶望して希望を失うものですが … 」と私は春山さんに聴きました。
 彼は、私に言いました。「僕は強いのではありません。病気の進行が怖いし、つらい。逃げ出したい。けれども僕はそれも出来ないくらい動けない」と。
 彼は、私に君たちへのメッセージをくれました。「しんぼうすること。我慢する力が何よりも大切。失ったものを数えるな。残された可能性を見つめろ」と。
 過去を変えることはできませんが、未来は自分の手で変えることが出来ます。
 自分を鍛え、自分の出番を待とう。辛抱することが君たちの未来を変える。
 校歌の1番に「われら希望に生きるかな」とは、そのような意味を持っていると思います。

 二つ目は、
 「自分を大切にする」ことです。
 自分の体は自分のものですが、自分だけのものではありません。
 歴史上、人類は、幾度となく飢饉に襲われました。絶滅するかもしれない危機にさらされたことも幾度もありました。
 しかし、私たちの祖先は、そのとき確実に生き延びて、私たちに命をつないでくれました。でなければ、私たちの命はないのです。
 この命は、健康な身体と共に、私たちの子孫につながなくてはなりません。互いに、命や体を大切にすること、これが人の幸せの根本です。
 「自分を大切にする」ということは、自分だけの利益や、身の回りの一部の人たちだけが得をするようなことに力を注ぐことではありません。
 他人の人権を尊重しつつ、自分らしく輝くことができる人。自分の持ち味を生かし、より多くの人々が幸せになれるよう汗を流す人。それが「自分を大切にする」人です。
校歌の3番に「この世の恵み身に受けて 共に手をとり たくましく」は、このことを言っています。
 「失ったものを数えるな」
 「自分を大切に」
 これらの二つの言葉を私の贈る言葉といたします。
 卒業生の前途に幸多かれと祈りつつ、以上をもちまして、私の式辞といたします。
平成二十二年三月十一日
                   尼崎市立南武庫之荘中学校
                      校長  倉橋 忠

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