2003.1.30 木
晴れ
選りに選って、こんな日に現場で立会いとは。3時間立ちっぱなし。でも現場のおっさんもいるのでポケットに手を突っ込んでいるワケにもいかない。台車を運ぶ邪魔にならないように乾燥機の回りでウロチョロしてる。大体オレら営業の人間が現場でチョロチョロするんじゃないんだよな。でも現場がないとオレの仕事は始まらない。出来はまずまず、オレの企画の所為か、試作の方法か、まあこれからはオレの仕事。売るのがね。
熱い風呂に入りてえ。
2003.01.29 水
晴れ
みんながいう、すこぶる寒い一日。外を歩いているだけでアイスキャンディを食べたときにコメカミが痛くなるような感覚。鼻の奥も冷たくなる。でもこんな寒い日は昔もっとあったような気もする。寒さなんて相対的なもの。
わけが分からなくなるくらい飲んでから帰るのも一つの手だが、今日は寒さが分かる感覚を保ってまっすぐ帰った。明日は零下4度らしい。
2003.01.28 火
ハードロック・カフェといつものうどん屋。ミスマッチな飲みの一日。
2003.01.27 月
昼から雨嵐の浜松へ。浜松は風が強い。6年振りの土地。あまりに雨が酷いので、雰囲気も感じられず、トンボ返り。
昨日は飲み過ぎたので今日はまっすぐ、10時就寝。
2003.01.26 日
人は、自然にうまく生きているようで、実はすごくズルく暮らしている。うまくやってるんだから調子こいてると落とし穴にはまるのだ。夜中にふとそれに気付く。オレという人間は何の価値もないやつに思えてくる。
いつもうまく世の中を渡ろうと考えてばかりいるからだ。大したことないんだよ、オレもアンタも。それが分かるともうちょっと普通に生きていけるよ。ああ身体って重いな。
2003.01.25 土
晴れ
朝、帰りしなに羽田行きのモノレールでボーっとしていると、真っ白な富士山が目に飛び込んできた。そんなセット、どこかにあったのかな。すぐ近くに大きな富士がにゅっと出ている。何か非現実的なイメージ、いつも富士は見えるのか、今日が見えるのか、いつもオレはボーっとして無為に過ごしているのか、驚いた。東京からあんな近くに見えるなんて。
昔は江戸では、どこからでもいつも見えていたんだろう。あの富士山みたいに日本一になるんだ、なんてほざきながら。富士は果たして唯孤高に佇んでいた。東京人はこれ見られるだけ考え方が膨らむ時があるんだろうな。
今日は空気が澄んでいるんだ。飛行機は窓側を取ればよかった。
2003.01.24 金
埼玉、熊谷で飲む。この辺は風がきつくて寒い。昨日は雪が降ったそうで、所々に雪の塊が寄せられてある。知らない街で酔い、回る。
2003.01.22 水
晴れ
一日、内勤。防炎協会へ提出する書類作り。こういう仕事はオレには合わない。金儲けに関係のない仕事は苦手、こういう公務員的相手のお仕事は。早く寝よう。
2003.01.20 月
まっすぐ帰宅。やっぱり引退か、夕刊の見出しを駅で見た。記者会見は見ていない。
貴乃花の生き方はオレには出来ないが、彼の人生の節々で、男として、そうあるべき姿勢を見せてもらった。
語るときと語らないとき。
自分に自信があれば、語るべき時でない時に、語らないことができる。
その点オレは自分の人生の中で、黙っておられないのよ。堪らず話してしまう。正しい自分をアピールするために。しかしそれが全然伝わらないのよ。実は弱い自分をただ表しただけのこと。オレはまだまだ青い。だが貴乃花は年下。
2003.01.19 日
朝の3時半まで飲んだ。愚痴もこぼさず穏やかな酒。愚痴ネタはそれなりにあるけど。
最後静かに「さとうきび畑」なんて歌いながら。
夜更けに外に出れば、なんとすごいモヤ。月の回りをモヤの粒子が包む。田舎なので灯りは遠くの門灯が微かにあるだけ。漆黒の闇夜に浮かぶぼやけた月。月のあかりはやさしく存外明るい。歌にあったな。
この世と思えぬ薄黄色い世界に、ズルズルと飲みすぎたお陰で出会えた。
2003.01.18 土
晴れ
保育所で震災メモリアルの炊き出しと餅つき。餅をつくとそこに輪が広がるのがいい。掛け声と共に子供と大人の笑顔が集まる。関学生がボランティアで来ているので、オレは一杯ついただけで楽をした。こいつらも今年社会人になるやつがいるんだな。
きな粉、あんころ、大根おろし、海苔、雑煮。
餅の大きさもまちまちなので、というか、ちぎりながら、ぼちぼち喰うと一体いくら喰ったか分からない。今日の集まりでも震災体験者は半分くらいだろうか。それも幸せなことだ。
この保育所も古い建物で潰れたんだよな。今の工事現場のプレハブ造りでもう8年。
2003.01.17 金
晴れ
今週の水曜の東京は寒かったけど、今日は大分緩んだ。東京から友人が2年振りに訪ねてきた。今は100人の会社の社長。400人の家族の生活を守っているやつだ。そう、社長は何やっててもいいんだよ、最後に腹切るだけなんだよな。
ツレはそんなことを少しも考えさせないようなバカ話を繰り返していたが。

そうだ、8年前の今日は、町内で60人以上が自分の家の下敷きになって死んだ日だ。
人に思い切り肩を揺さぶられているような荒っぽい感覚。隣の家の屋根に自分の屋根が接触するんじゃないかという錯覚。縦揺れが最初だったのか横揺れだったのかも思い出せない。揺れが収まって表に出て、隣の人と東海地方か?などと会話。当時はプレート地震が地震のイメージだった。隣の文化住宅からは悔しさ交じりの怒号が聞こえる。
やがて明るくなると町は一変していた。知っているたくさんの家が道路に投げ出されていたり、二階が一階になっていた。回りにはそこの家人が座り込んでいる。少し気持ちを落ち着かせて町へ出る。人の家に土足で上がっては手伝い、コンビニはどこも全くの空になり長蛇の列、国道二号線は駐車場に変わり、高速道路や阪急電車の高架は、とても弱い建築物だった。全壊した実家から嫁の両親とそのお隣さんが転がり込んできた。静かな悲しみをもった集まりだった。いろんな財産は悲しみのリスクの上にある。余震に異常に敏感で、遠くから揺れてくるのが肌で分かり、やってくると皆円陣を組んだ。経験して初めて奥尻島や普賢岳の人々のことが分かった。やっぱり人間は素直で馬鹿だ。
半日後の夕方には朝の頃のその同じ時間に目覚まし時計が潰れた家から聞こえてきた。公衆電話で会社に電話をする。まだ事情がわからないのか、納期の来ている仕事を細かく指示してきて、その環境下で無駄に思えるその話に業を煮やしたすぐ後ろのオヤジに頭を叩かれた。翌日には、ボランティアや野次馬が西宮駅からどっと出てきた。とりあえず買出しに難波にいくと、人々はパチンコをし、百貨店ではギフト売り場で品定めをしている客が不思議に見えた。直下型地震は惨めなもんだ。
経験したことのない一日は意外と淡々と過ぎていったんだ。

2003.01.16 木
晴れ
昼にラーメンを喰った。大した話ではないが、持ってきたラーメンの汁が机にこぼれた。些細なことだが、その女は明らかに忙しくて、手の動きが粗雑なんである。こぼしたことではなく、精神が忙しい事実によって、その雑な行為を自ら許しているのである。オレはそういう心構えが少し気になって注意した。女は通り一遍の詫びを済まして簡単に机を拭いた。忙しいから仕様がないという風で。
田中耕一氏は、ノーベル授賞式に旅立つ前の日、各先に挨拶回りをした。皆からガンバってくださいという激励に対して、「いいえガンバりません」と答えたという。
その女は言葉をその通りにしか受けられないんだろう。
貴乃花はヘンな横綱とも言われている。その女も多分ヘンな横綱だと思っているんだろう。
2003.01.12 日
晴れ
もう、えべっさんが終わって西宮は後片付けモード。それを尻目に香枦園浜へ。今日は、子供らの寒稽古。海は予想以上に冷たく、親は逃げ腰、子供は経験。中々無いなこの経験。オレはできんけど。団体だから出来る行為やね。
夜は弟夫婦と一杯。年末のカニは、まあどうにか今日まで持ったな、味。
2003.01.11 土
晴れ
晴れが続いて、夜の度に綺麗な星座を覗く。都会なりのはっきりした星座。
今日は、西宮戎を見て今宮戎の入り口を見てきた。街を行き交う人が笹を手にしている。そのまま飲みにいって家に着くと足がフニャフニャ。連日の飲みと昼間のスイミングの肉体的疲労がきたんだな。まあこれも心地良し。
2003.01.10 金
晴れ
泉大津で新年会。5時間喋り続け。所謂ハマるってやつ。声も枯れた。
2003.01.09 木
晴れ
凛とした朝。寒さを認めればいい季節だ。コートをきっちり着こんで、頬をその冬風に打たせる。心も身体も腐らずに全ては青白く凍りつくのだ。それは美しく清潔だ。
2003.01.08 水
晴れ
ちょいとした新年会。所謂、会社の主要メンバー、ミナミで飲んだ。いや、もう飲むメンバーは今、イコール主要メンバーなのだ。
オレらのメンバー、これっぽちの主要なやつら。
これっぽちだからやってられるのよな。年賀状の名簿数えた。社員92名。しかし会社の町内出身者が29名、現場作業員、つまり1/3なんだよな。
よくよく考えたら、オレってそのために仕事やってる。市内で見れば70%なんだ。
これも因果だ。そしてそのための仕事一つ一つ。
2003.01.07 火
晴れ
メーカー系商社も過去の5−10位商社も専門商社も、我々の繊維業界は既にマイナーな業界である。この年始挨拶でもある会社の30代前半の若いプロパー社員が異動となり、この業界から、違う成長業種のポジションへ移る。この繊維の業界は間違い無く、経済の端の端の方の脇役に追いやられた業界である。新聞ネタにもならない。関係者が自身の力で生き残るだけのローカル業種だ。
自分のオマンマを確保するだけのマイナーな戦い。系列も親子もない自助努力のみ。自分で生き、自分で腐る、分かりやすい構図。
2003.01.06 月
晴れ
初出。朝から晩まで酒。今年初めての本格的一日酒。
2003.01.05 日
すこぶる寒い日。ダラダラとした日。キリっとした寒い日にダラけた精神、同居。
しかし、初泳ぎで1000M、20分04秒、30秒記録更新。何の力が作用したんだろう。わけ分かんねえ。
2003.01.04 土
やっと体調が落ち着いて家でゆっくりした。そういやまだ酒飲んでないな。初出までこれでいくか。廣田神社初詣いっても、もう正月気分じゃないしな。まわり見渡したらTV以外ってほとんど正月風景じゃないね。
2003.01.03 金
ゲレンデで雪あぞび。0歳から10歳の子どもたち6人。子どもは雪が好きだ。
胃が戻ってきた。「飯粒」が喰いたい。津山で雪が雨に変わった。
2003.01.02 木
午後から、大家族14人で知り合いのペンションへ。ペンションは、近づき過ぎず、離れず同じ屋根の下というのがいい。その部分で合格。蒜山高原はそこそこ雪が積もっていた。オレの胃は他人に借りているような感覚。だから酒は申し訳程度、こういう大人しい胃の状態も20年振りくらいだろう。
2003.01.01 水
晴れ
体調不良にて寝正月スタート。でも考えればこんなスタートの方が気を張らなくて済む。風邪をひくとその時の体の万全でないところがわかる。オレの場合、石の腎臓、慢性に弱い大腸、少し怪しい歯、このへんが痛む。人間、順風満帆でいくと、どっかで間違える。一年の計が元旦にあるんなら、体調不良で正月を迎えることは悪いことではない。
尤も反省することは他にも多いが。

過去の日記