2002.6.30 日
熱い戦いが終わった。フランス大会で、焦点が合わない無表情の棒立ちだったあのロナウドが今勝利を手にして大きく笑っている。いい動きだった。そして、ゴールポストから離れられないドイツのカーン。勝者はいつか敗者になり、敗者はやがて立ち上がる。今歓喜のロナウドの背中にあるブラジルの国旗も、また涙の日がやってくるのだ。痛々しいジダンの動き回るシーンに4年前、純金の輝く優勝カップにキスし大きく掲げる場面を重ねた。敗者は悲しい、しかし勝者もいつかの悲しみを背負っている。選手はいつもその両面を深く心に刻んでいる戦士だ。だからこそ、ブラジルの選手達はそのことを今忘れて喜んでいる。
宴の後、ここから落ちずにまたその栄光を手に入れるために彼らはまた気持ちを入れ換えるんだ、勝者も敗者も。4年間の勝負が始まる。
そして終わらない世界が人間にとって一番素晴らしい出来事だ。
2002.6.29 土
義理の弟家族が転勤先の横浜から2年振りに帰って来た。もてなしは、パエリヤと焼きたてパン。昨年の夏に生まれた葵ちゃんと初対面。実の妹にも2ヶ月の子がいるので、最近周りに新しい生命のパワーがある。この生命のパワーは何にも増して強い光を持っている。全てにこれを原点としたい。人間の正のパワー。難しく考えても、本当は正のベクトルしかないんだな、確かにそうだ。アオイの泣き声がそれを知らせてくれるぜ。生身のあんた。オレがあやしたからか・・・
悩みすぎる時、正面から考えよう。
2002.6.28 金
晴れ
家の前のマンションが2週間くらいで取り壊され、小さなコンクリの山になった。正面の視界がぽっかり空いてしまった。あった物がやがてなくなる。
ジョン・エントウィッスルが死んだ。ピート・タウンシェンドの精神イメージを具現したベーシストだ。「MY GENERATION」の強さをあのベースが歌った。ロジャー・ダルトリーと共に彼のベースは明らかに歌っていた。彼は、消えた。そして、THE WHOのリズムはこの世から完全に消滅した。悲しいんじゃなく、ぽっかりと空く場所がこれからも一つずつ増えるんだ。生まれ来るもので、それが埋められていくこともまた事実だが。
2002.6.27 木
曇り
複雑に物事を考え、結局言葉を並べて満足するのは決していい行動ではない。
物事をよく考え、結局言葉にならない現実は、言葉をたくさん並べ立てる人間には耐え難い時間となる。そんなことでお腹が熱くなって充血しているようでは、まだまだ大人にはなれない。そんな大人の大勢が自分を過信している。その感情を持たないと潰れてしまうから。潰れないために自己防衛する。そして己を信じて思考回路を閉じてしまう。
明日に向かっていくには、信じてなお反省する心だ。当然だろ、って?そうだ、当然だ。
でもそれをそのままするのが難しいんだ。ずうっと長く難しい。
自分に振り回されない自分。自分を無くして自分を育てる。死なずにこのことを考えて、今日を生きて、明日に繋ぐ。知らぬ振りの菩薩道。
2002.6.26 水
曇り
NPOの総会。2年後を睨んで、社会福祉法人格を取得する為の承認の理事会。NPOから法人への発展解消。10年間ずっと無認可保育所としての長い付き合いだったが、今回いいチャンスということで二種社福法人を真剣に討議した。いつも作って金を儲ける話の連続で、それとは変わった新鮮な時間。しかしオレには力もないし、コネもない。世の中、勉強しなきゃならぬことはたくさんある。しなきゃいけなかったことがいろいろある。この団体に理事として協力することは、オレのなにかプラスになるだろう。そう分からなくとも、自分の尺度の幅が身に付くような気がする。それより、もっと入るか、気持ちをもっと入れるべきか。オレの仕事の足元も万全じゃないんだが。
2002.6.25 火
連日の雨。舞うように細かい雨に傘が用をなさない。一年で太陽の一番長い季節なのに、18時を過ぎるとなんとなく寂しい。こういう天気は、人の思考回路を暗くさせる。という人も多いんじゃないか。
何も考えない。考えすぎると、大体落ち込むときのほうが多いんだから、こんな日は。
自分の性格、3年後の自分、徐々に老化する身体、取り繕う朝、今考ている自己愛に対する嫌悪、今日の多すぎる発言、程度の悪いジョーク、内面が嘘の話、金をもらって生きる生活、小さなプライド、過信している実力、店より派手な印象のジャケット、合わない靴下、合わない彼女との会話、何も学んでいない時間の連続、きれない湯放、ズルズル怠惰だ。
と、このようにベクトルが下がる。結局考えてるじゃん。いや、天気じゃねえな。
2002.6.24 月
偶然の酒に流れる夜。
音のない雨の粒。
頼れる人の言葉のない夜の続き。
どこまでも深く、自分に落ちる。
2002.6.23 日
晴れ
連日、水中生活。もう来週からは、屋外プールとともに室内が開放されるので、コースロープは外される。無秩序なプールではまともに泳げぬ、どこかのスイミングスクールの空きスペースを探さねばなるまい。

先日の話の続き。予防接種は、社会にその病気が蔓延するのを防ぐためにするものである。はしかや日本脳炎の予防注射は子供のときにやってそのままという人が多いが、一回だけでは100%の免疫効果はなく、それぞれの接種方法に基づいて本来は複数回必要である。また、必ず、幼児期からしなければならないこともない。例えば、ポリオは年に1,2人の発症例があり、その殆どは、その生ワクチンにあるらしい。ただ子供はその病に罹ると大人よりひどいということは意識する必要がある。三種混合のうちの百日咳は、3歳未満では、呼吸困難などの危険性があるので、接種したほうが良いらしい。但し、三種(ジフテリア、破傷風、百日咳)を一種にすることはコスト高になり、またそのワクチンは手に入れにくい。破傷風は、必ずしなくともよいが、親が子の怪我のとき、必ず医者にその旨をつたえること。ジフテリアは特に必要ないとのこと。風疹は子ども自身ではなく、妊婦への影響を考えて、接種すべきである。また海外では、環境が変わるために、その国をよく調べワクチンを接種すべきである。大切なことは、よく内容を知るべきである。これからの世の中に大切な自己責任の一端であろう。事ほど左様に、無知に、これからコスト高になる医療は受けられない時代になった。
でも生きるには、無知でいる時間と知るべきことの区別が大切だ。それほどオレの頭も大きくないんだからな。

2002.6.22 土
晴れ
暫く振りに、午前中、水中生活。脳のリラクゼイション。何もない時間を泳ぎ、そしてそれは、陸上でのDASHを可能にする。

昼より我がNPO主催の講演会。地元のちょっと風変わりな小児科の先生を招いて「薬と予防接種」の話し。彼は、極力、薬を使わない派である。風邪によく処方される咳止め、鼻水を抑える薬、抗生物質、下痢止め、熱さまし、これらの薬は、風邪には必要ない。自然治癒が前提、但し、肺炎、気管支炎、扁桃腺の膿の時に細菌に対応する抗生物質を初めて処方する。インフルエンザについても基本は同じ。至極当然だ。今の親は騒ぎすぎで、悪いことに昔は多くの子育ての経験を持った祖父母が今や、経験不足で親以上に始末が悪いらしい。先生は、負担の増えるこれからは親御さんが治療を選ぶ時代だといっていた。面白いことに、こういう先生のように、薬を出さず、親に判断を求めると、来院数は減るらしい。薬をいっぱい出して、治療方法を決めてあげる方が受けがいいんだって。なるほど。
最後に言った。「私は世をすねてるんじゃありません。一応信念ですから」笑った。
好評で次回も講演を依頼することになった。
つまりオレらも勉強だな。

夕刻、一族14人にて食事。

2002.6.21 金
晴れ
二日間の東京。しかし結局、商売敵はやはり中国。1/20の人件費と伸びる国のパワー。彼らのモラルは日本人のそれとは違う。徹底した合理主義と拝金主義。オレのやる仕事は、中国で出来ない商品の開発、中国で出来ないロットの商品受注、中国で対応できない短納期サイクル生産だ。
中国に進出する企業の目線は既に10年後に日本の給与水準に達する一千万人の市場を睨んでいる。オレらは、もう遅れている。輸入の役割としての中国の見方はもう古いのだ。
軽工業は今、ダウンサイジングの生き残りと市場から汲み取るアイデアに気持ちを集中させる時だ。デフレ時代の営業は本当に難しい。決めようとした仕事以外はまず決まらない。いらない人間はいらない。もうそれを言わなければならない。そうしないとオレらは消えてなくなってしまう。
そんなことより、東京の鮪と穴子のてんぷらは美味かった。友人は元気だった。少し飲みすぎ、少し話しすぎた。勝手に気分が良かったからだ。独り善がりの傾き者。
2002.6.19 水
曇り
今日は少したまった仕事をこなした。
ゴールデンレトリバーのつやのある生地のことデザインしながら、靴のインソールの仕上がりをイメージした。デュポンの糸の納期が遅れて四苦八苦している中、備長炭の見本を探し、他の色見本と送付、話しの長い客との電話をほぼ強引に寄りきり、カタログの文章チェックに集中。夕刻の会議があり、マキマキ。
そんなドタドタの最中でも来た客とは、昨日の日本戦のハナシ。忙しいと不思議と雑談が進むぜ。野球も選手退場なら、減らしゃーいいんだ。サッカーの毅然たるジャッジはそこだよな。フィールドの選手が暴力震っちゃ即退場だろ、迷惑かけれねえもんな。
日本も高校野球はやたらと、オマジメなんだからさ。なんでプロにいって野蛮になんだよ。
会議はじまる。役員「・・あいつ、ちゃんとやって欲しいんだよなあ」
オレ、シュミレーションギレした。
「部長、やって欲しいんじゃなく、管理でしょ。有無を言わせず指示してください。あいつが悪いんじゃなく、管理する側に問題あるんじゃないっすか」

いや、本当には、どうしようもないやつはいるんだ。そんなの社員に雇ったら不幸なのよ。引っ張っていくには重いやつもたくさんいる。まだ余裕あるな。

あすからTOKIO。

2002.6.18 火
曇り
韓国おめでとう。日本より意識が高かったように見えた。日本も負けたんだから、どうぜイタリアかな、なんて貧しい精神&お気楽な観戦気分で入ったが、こりゃすごい試合だったぜ。人は、やっぱり気持ちでいくらでも変わっていく。いつも、そのことを思い知らされて、しかしそのうち、また心でなく、理屈で考えてしまうんだ。
今日は、赤いコリアンに脱帽+感謝。いつも何も前後を考えずに心なんだ。最後に心で敗れても、また心なんだ。つまりこんな文章じゃないんだ。やめた。
2002.6.17 月
晴れ
周りに気を遣い、疲れてしまっている全ての優しい乙女達よ。自信を持ち、ありのままに伝えておくれ。あなたの顔は輝いている。心が表れるいい顔だ。その顔で語りかけておくれ。その真実の顔で、オレに伝えておくれ。オレは微笑む、打ちのめされたら肩を抱いて、疑念があれば最後まで話を聞いてあげる。安心するまで聞いてあげる。そしてあなたにあなたの素晴らしさを伝えてあげる。
「もう何の心配もない。そのままに羽根を拡げて飛び立つんだ。あなたが飛ぶんだよ」
大丈夫だ。
2002.6.16 日
晴れ
今朝の不規則な生活の所為で、この休日は水に親しむことができなかった。これで一週間、水の中の生活がとんでしまう。哺乳類なのに、この感覚、例の羊水の記憶ってやつか。水も毎日2リットル摂取しているので、去年の今ごろに比べると随分水的人間になったものだ。水の中で考えることもオレには重要だ。重力がかからない脳の時間は何かの作用を起こすのか、オレが、そこに望みを繋いでいるのだろうか。酸素が少ないので、実は大した思考回路ではないのだが。ひらめきのシュートか?いや単なるオフサイドか。
どうも例えがサッカーになってしまう。スペインよく守った。アイリッシュの涙も見た。
2002.6.15 土
晴れ
飲んで、少し仮眠して今車で帰ってきた。午前4:30。中途半端な時間に、覚醒した。早く寝て早く起きた今ではなく、ずっと起きてて寝られなくなった今のオレ、随分違う、怠惰。怠惰な中で、少しセンターライン、はみ出してふと楽になろうとした隙間があった。酔ってたんじゃない。精神の疲れか、BGMか。人間は理屈なしに圧倒的に負の方向に導かれることがある。これは闇ではなく、多数の光に存在する僅かな影である。いくらかの真実はあっても、他人には闇と映る。人間は不完全にして魅力があり、理由のない生き物である。少し足の向く方向が変わったり、目の前のものを潰したくなる衝動がある。これは何か人の因果を否定したくなるからかも知れない。或いは正しく行動する、人としての行いへの嫌悪感かもしれない。または、そんなことではなく、ある時、棒が右か左かへ倒れるぐらいの気まぐれの事実かも知れない。
おそらくこの文章は忘れられていいだろう。ただ、細胞の奥に無責任に入るとこんな人間の断面がある。ほとんど忘れていいがフィクションではない。一年に一回くらいの瞬間。日記の功罪?
2002.6.14 金
晴れ
JR神戸線が人身事故で遅れた。5分。まあいつものファール。7分。聞こえないざわめき。8分。いつもと違う、もう次の駅のはず、9分、はっきり違う感覚。10分、ルールが少し破られる、人と人の間の30cmの約束。12分、ルール改正、舌打ち、小言。13分、堰を切って携帯電話。車内アナウンス、隣のホームへ、行ったら結局違ってた、でもこんな時よくある光景だ。もう18分、だんだんあきらめムード、電車はちょうど、いつも汚い神崎川の鉄橋の上で停車。水鳥が潜ったり、泳いだり。いつもは時速70〜80kmで通過してたんだろうその地点。彼らは毎日、泳いで潜ってるんだ、もう皆様、電車任せの予期せぬ朝のふらり旅。そっから気が付けば、もう90分。久々の長時間延着だぜ。
夕刻、日韓同時決勝トーナメント進出。いつもの店で祝杯。まだ楽しませてもらうぜ。今日の一日、締めてOK。
2002.6.13 木
晴れ
家の事情でやけに早く帰った。いつもと違う明るさは、異なった家路の風景を見せてくれる。この時間の歩く速度はみんな遅く、もう家が近くて、それぞれが寛いでいる。白くぼやけた、輪郭の曖昧な時。ビジネス街から電車を15分乗って川を二つ越えただけで、人の表情は変わる。働く街で人は家路を急ぎ、住む町で歩を緩める。知り合いの保育所に寄ると、スタッフと保護者が壁を背に、だらり座って語らっている。夕方は長いので子供らは、まだ手を泥だらけにしている。オレのギャグを期待する。小学生より簡単だ。
少し笑わせて門を出た。アヒルの竜馬も笑った。・・そんなはずない。
2002.6.12 水
晴れ
負けないように生きていくと同時に、中間に生きていくことも大切だ。勝ちにいくのもいいが、ニュートラルに生きることもいい。情熱の人生も休まず続けることはできない。情熱のカウンターパンチには、力まない絶妙のスルーパスが必要だ。目が血走るときの懸命なメッセージには、一瞬のとぼけたなんでもない表情の記憶が、その迫力を生む。マジな歌に、どうでもいいようなMCを挟む。
実は、直向な感情の密度を高めるには、焦点が合わないくらいの痴人の時間を人は必要とする。言ってしまうと、ただ怠惰なような、いや、人間はそんなような。
浮浪雲の決心は、普段のゆらぎから来ている。そこに真実がある。
魂を持ち続けていくには、いろんなポーズがいるのさ。負けそうなとき、その貯金がないと、ある日ポキッと折れて、本当に負けてしまうよ。
負けるあなたが弱いんじゃなく、なんでもない時間を作ればいいのさ。
こんな簡単なことが本当は一番難しい。人間は自分に真面目過ぎるから。
2002.6.11 火
ふらりと飲みに行くと、カメルーンとドイツに日本人が歓声を上げていた。ワールドカップならでは。エムボマとビール以外にこれとしてイメージはないと思うんだけれど。
しかし逆に、日本への知識だって、その国にはないだろう。日本人がチョンマゲ結ってると思われているのは、全てに笑い話ではないらしい。
しかし、例えばフランスに料理の修業に行って、柔道や空手の心得があるというので、その場で一目置かれるのを聞くと、自分が日本の継承されている文化を殆ど学んでいないことを反省させられる。古くあるものを自然に尊敬できるようになりたい。昨日のことにあるように、古き良き日本の経験を忘れるような教育を、戦前のそれのようにオレ達は教えられてきたのか。アメリカの呪縛。富の憧れ。無意識のベクトル。
妻が、普通に日本の家庭料理を作っていることにも、そんなとき、単純に感動する。一汁三菜。毎日ではないけれど。食はごく普通に継承される。
2002.6.10 月
晴れ
日本では太平洋戦争の終結後、皇国史観の修正が行われ、GHQの指導でナショナリズムは徹底して排除され、一部のアカや共産社会主義の台頭を許した。自国を愛することは、なんとなくタブー視された。されないにしても、そんなことをしていると右よりの思想を持っているんじゃないかと少し訝しく思われる。多くを考えなくとも、若者がスタジアムで日の丸を掲げ、下手に君が代を口ずさむのも悪くないように感じるのだ。これから時代が悪くなると、必ず国粋主義に陥るのは歴史の必然、その手前で修正すればいい。大人の良識を持ち、間違ったポピュリズムをきっちり見据え、説得する。
戦後のアメリカの一時の新国家思想教育の中で、未だに、それを後ろ盾にして、日の丸に反対し、君が代を拒否する一部の教育者のそんな行動が小学校からそれらを排除している。彼らの姿勢は、何か戦後の思想の抜け殻に今でも魂があるように振舞っているように見えて仕方ない。この国のために犠牲になった人々の命は、そのナショナリズムを利用した大本営の独走に拠るものであり、その国を愛する市井の人々の思いとは、全く別の行動だ。君が代を歌うことでまた危険な状態に国を導くというのは、詭弁であり、彼らがよく理由にする不幸に国のために殉難した人の霊魂を慰めるのであれば、それこそ彼らは進んで招魂社に参るべきなのだ。我らは日本人だ。山紫水明の地を愛し、日本のサッカーを応援し、歓喜する。
2002.6.09 日
晴れ
毎週の水泳とマッサージ。静かな一日。夜には、ワールドカップに君が代。学校でも聞けないこの歌がゲーム前にあるのは、やはりいい。今回の日本チームは余裕の感じられるいいチームだ。今日の勝利を見ていたら、多分チュニジアにも勝てるんじゃないか、と無責任な観客として思ってしまう。そして一位で通過すれば、ベスト8も見えてくるかな。日韓での開催と、選手達の成長が、同じ時に重なったんだな。いい年だ。
2002.6.08 土
晴れ
バンド練習。他人の弾く音が耳に飛び込んできて、曲に新しい解釈が加わる。スタジオに入るとそこが面白い。意外性と発見。アマチュアの音は偶然に完成されていく。
帰りに雨が降ってきた。久し振りの雨の匂い。昼の熱を雨が吸い取ったときに蒸発したその空気の匂い。ほっとする空気の味なんだ。その上、静かな夜だ。今日も体が睡眠を求めている。寝。
2002.6.07 金
晴れ
地元で飲んだ。電車で帰るか、近くかで、随分飲み方は変わる。つまり気楽に飲んだ。ギターの弦を張り換えたいのだが、その気力がない。4弦のビビリを気にしながら寝る。寝られないと思っても、体がきっと寝る。それはある意味気持ちのいいことだ。体の勝ち。頭の添い寝。
2002.6.06 木
晴れ
安穏とはしてはいけない。本当は、ありきたりの預貯金で会社の株を買って、自分のリスクを負い、持ち続けて勝負すべきなんだろう。関係ない上場の株を持って、一喜一憂するよりいいだろう。と言いながら、そこまでは出来ないので50円、10,000株買った。10ヶ月払い。今日、個人企業の社長と話して出した結論。将来は、営業を独立して、出資に参加するような提案をしたい。取りあえず形にしよう。今の役員は60前後、5年のヴィジョン。オレ達は20年のヴィジョン。このままじゃ7,8年で潰れる。必ず。小さい会社、おそらく会社があれば、自然に役員、違う、早く経営側に入らなければならない。会社は器だ。小さいから色々考えるんだな。自分の売上実績の有利なうちに勝負に出よう。
2002.6.05 水
晴れ
会社は変わったが、同じ業界に16年もいると、話をしていても、人物や商品で必ず繋がりがある。業界を熟知しているように偉そうに話を進めながら、実はオレは安穏としていたいだけのことなんだ。といって行動を起こすこともない。新規先を探して、自分の知らないところで勝負してみる。「0」のオレが試される場が中々ないんだ。我がままだな。
でもオレの行き着くところは、生地をいじり回してのテキスタイルデザイン。客と大げさな話をしても、結局は机の前で、生地をこねくり回して考えている。おそらく世の中の仕事とされるものには、それほど刺激的なものはないのだろう。それでも、金に+αの何か、心が求めている。それは陳腐には「やりがい」なのか・・。そんなCMもあったな。戯笑。
2002.6.04 火
晴れ
昨日は四人の男がギター一本で歌った。原型且つ重要なライブパフォーマンス。バンドのように音の失敗は許されない。一つの楽器で向き合う相手に伝える真剣勝負。見る側にも緊張感を与える。カッティング、ブレイク、弦を叩きつけるピッキング。搾り出す歌声。音が伝える、その声が伝わる。歌だから親切に伝わるんだ。忘れかけていた音楽のひとつの姿。それぞれのアーティスト達の表現スタイルは様々だが、一様に楽しめた。おっさん達も負けていないぜ。高橋研「オレたち、ずっと同じことの繰り返しだと思っていたが、ある時、ずっとやってて、やっぱりやっててよかったと最近思ったんだ」
繰り返しは実は単純な繰り返しでなく、いや、単純な繰り返しかも知れないが、ある時その行動に意味があるように思うんだ。それは錯覚のような、人間を幸せに導く思考回路なのか、徐々に身体に蓄積されていく実感なのだろうか。そう考えると、続けることは大切なんだと自然に思う。無自覚に続ける。面白さを考える前に続ける。何かそういう人生は大切だ。おっさんの今からでも、開始するチャンスは充分にあるはずだ。
2002.6.03 月
晴れ
飲酒。更新作業。夜明け前、就寝、撃沈。
2002.6.02 日
晴れ
娘の教科書の音読に付き合わされた。「ツバメの住む町」京都のツバメが減少してきて、小学生がその原因を探るため、町を聞き取り調査したって話し。ツバメが古い家の軒に巣を作ってるのは知っている。しかしどこでもいいのではなく、玄関が表通りに面しているところ、但し、3m以下の狭い通りや、神社など広すぎるところもだめで、人通りの多い古い商店街が一番いいらしい。人通りの多いところは、天敵のヘビなどがいないことを経験的に知っている。また再開発での新しい区画は当然ダメ、木造はなく夜は無人で、カラスが集まり、ツバメの巣も狙われやすい。ツバメは人間の生活をよく観察しているのだ。つまり、都会では減る要素しかないんだ。
オレ達の求める便利さもそろそろ代償を求められる頃だな。それをツバメに教えてもらうことになるのか、そんな鳥のこと、無視すんのか。人間は地球でそんな主体ではないことをもっと知るべきなんだろう。ツバメはちゃんと空を飛んで人間の生活を見ている。オレは飛行機には乗るが窓から下を見る間もなく寝ている。宇宙飛行士は、作業の合間、宇宙から地球を見て神を知る。立花隆「宇宙からの帰還」を読め。
2002.6.01 土
曇り
小山卓治が九州の地で歌った。彼は熊本県の出身である。オレは、畿内で生まれ、地元で今も暮らしている。帰ることが分からない。出ていかねば弱虫と言われることも、帰って負け犬と呼ばれることもない。それはここがそれなりに働けて、それなりに便利だからだ。しかし、出て行かないのは、やはり弱虫だし、帰る必要がないだけだ。多分、この地への執着より、単に甘えているのだろう。また違う見方で同じ場所で静かに強く生きる人々も素晴らしい。でもオレはそれではない。
電話のない土曜のオフィスは静かだった。フワっと街に出て、ストライプのジャケットと明るいベージュのパンツを買った。心が爽やかだったわけでもないが、そういう色ではあった。

過去の日記