2002.4.30 火
連休の間の中途半端な仕事日。厚い雲だが空はなかなか泣き出さない。ビジネス街は古い問屋が潰れて、都合のいい通りにはファーストフード店がきっちり新しく出る。存在する意味のない流通業は無くなり、若い社会人のオアシスのようにコンビニが立ち上がる。週刊誌は、目に付くネタを優先して見出しに並べる。文化がない国は滅びる。便利さを求めると、立ち止まって考えることを失う代償が生まれる。消費しか考えないと資本の論理にのみ取り込まれる。「文化」とは生き方と解釈すればいい。物質的喜びを享受したオレ達は、精神的生活を求めていく時なのだろう。それは宗教にもロックにもボランティーアにもビジネスにも家族にも子への教育にもある。その道を誤らないようにしっかりしたイメージできる強い精神を持ちたい。輻輳するものを見違わない、迎合しない強い心が今必要だ。
2002.4.29 月
曇り
海に出た。干潮は15時。13時に海に入り、浅蜊を捕る。波が退き、海面は足のくるぶしくらい。去年より簡単にバケツいっぱい。その中で生きていることを子どもたちも知っている。角を出して貝殻をはみ出し生を求める。それをそこの海水で砂出しして、明日食べる。二人の子どもは、夜遅くまで浅蜊を見ていた。まあ簡単な漁労の殺生だな。「いただきます」って、あなたの命を“いただきます”、って感謝の念なんだって。家族4人でパエリヤ、味噌汁とアサリご飯にして全部喰ってやるよ。太った浅蜊クン、いただきます。
2002.4.28 日
晴れ
一族集合。ロイヤルホストでコスモドリアとビール。妹の三番目に生まれた女の子を見に行く。赤ちゃんを見る日に、栗の入ったコスモドリアが甘くて美味しい。上の二人が男だから、父親の喜びは容易に想像できる。小奇麗な産婦人科医院。丸い背中と耳の横の小さく握ったこぶしが26日に世に出て間もないことを知らせてくれる。真っ白な存在、すぐ赤くなる顔、開かない目。ほとんどの赤ちゃんがこのようにみんなに祝福され守られる。自分も祝福されていたことは間違いないわけだが、誰しも本人が一番実感がない。のび太はドラエモンに自分の生まれた日に例のマシンで見せてもらった。それを分かっていれば、オレももう少し真っ当になっていただろう。しかし成長は、それを振り返らないところにあることも事実。人生にはやがて少なからず間違いや狂いが生じる。懐旧の念に駆られることもある。ノスタルジアは安らぐがしかし成長しない。ある日「悪い人たち」の前に曝され、世間に自分が守られない場所のあることを知る。子供の将来をほのぼのと考えるのは、だから嫌だ。血族を守り、または守りきれないこともある。ドラエモンのマシンはやっぱり要らない。未来の彼女を守るためには。彼女が乗り越えるには。
2002.4.27 土
晴れ
プランターで、簡単なイタリアンパセリを育てている。というより、生えてくる。摘んだところが翌日にもう何故かその隣以上に伸びる。横のプランターはネギ。切っては生え、食べては生える。都会での貧弱でささやかな作物の実感。人との係わりに少し疲れたら、土だと思う。原則を知らない都会人は、理屈の前に、何も考えずに土を耕すことかも知れない。しかし、農家育ちの義母は、絶対したくない仕事だという。だから町の男と結婚したらしい。そうだろうな。随分前にゴボウを数本抜いて、手の平と腰が痛くなって、倒れこんだことを思い出した。労働とは圧倒的に体力のものがそうなんである。単純社会の始まり、労働は必ずそうだった。もっとも、実際のゴボウは、今は機械で掘り出しているらしいが。
2002.4.26 金
晴れ
空気が乾燥して気持ちがいいので歩いた。外出の5時間の内1時間は歩いただろうか。新しい生地の打ち合わせ。今年の秋冬の若い子の傾向を、しみったれた白壁の部屋のパーテーションの奥でやっている。去年は綿ベロア、今年はモダール混か?最大手の動きは。おっさん同士でやっている。そいつんとこの上司、音楽やってて、この前50で辞めてアメリカに渡ったんだって。すげえな。独身?なるほどな。身軽なほうがいいってことは、神戸の震災のときに実感し悟ったことだ。その時の記憶をなぜかオレの頭は引っ張り出していた。
2002.4.25 木
晴れ
木曜の朝は掃除日。今日はその時間に行けなかった。自主的なもので若いやつらがやっている。オレは相対的に、その年齢には入らないのだが、出来るだけいっている方だ。若いやつらが、掃除したカーペットの上を偉そうに歩けるような人間じゃない。しかし、掃除を手伝って自慢するのはもっと貧しい。だが今日は行かなかった。実は昨日寝る前に、そういう結論を出して寝てしまったのだ。大人は前日に決めたとおりになるもんだ。ズルイ話だ。そこが子供と違うところ。
2002.4.24 水
急成長セレクトショップのデザイナー来る。やっぱ元気いい。商品より、話の弾み方を重視するタイプ。結局、「イーマ」の出店の話しと、他愛の無い笑い話で、商品の話は少し。秋物の企画立ち上がりは連休明けか。午後から、63歳の方の退職の挨拶。企業年金暮らしの予定だと。極端な客の入れ替わりだが、働く人々。オレは退職の年から逆算できるような年では当然無い。3年くらいの未来予想図。そんなもん未来でもなんでもねえ。時間の巡りが早過ぎるんだな。深呼吸できるスペースを色々なところに確保しておかなくちゃ、正しい判断をできる時代じゃない。
2002.4.23 火
曇り
本社で、オーナーに呼び止められ、仕事一時間ずれる。総資本35億の会社だから、こんな状況もある。その意味ではありがたい。メーカーの立場で中国を静観するか、進出するか。国内でダウンサイジングか、中国へ資本投下の博打か、または中庸路線の技術提携か。行くか引くかの瀬戸際。中庸じゃつぶれるな、この会社。しかし、行くか引くかって格好いい言い方で実は無責任。あんたとオレの立場でも言葉の責任は全然違う。今の1年後か3年後かが分からない。国内で儲けてた良き時代を思い出しても仕様が無い。オレの無責任な立場でオーナーに危機を煽るだけなら言わないほうがいい。あんた、オレは一つ一つの商売を結実させていくしかないよ。二人でため息ついて、少し笑った。彼パーキンソンだから、いつ笑っても唇は震えている。
2002.4.22 月
晴れ
急に暑くなった。生命のプラス、ビジネスマンのマイナス、不健康なスタイルが始まる。今日はそんな日の始まりだ。ビジネスなんて都合のいい言葉だが、要はスーツ着た労働者。利益取り込み人。繰り返す不合理な電話を投げ、疲れた客と会う。そうだな、一年先も見えない状況じゃ無理ない。自分もそこそこに映ってんだろ、彼らの網膜に。夜、飲みの慰安婦。頭に流れる歌「KISS」。疲れると頭で歌ってるのさ、いつもこの歌を。
2002.4.21 日
人類学者イエルダールは、実践派の博士であったらしい。古代の南米人が南太平洋に渡ったという説を実証するために、自身、北アフリカから、パピルス舟で中米に渡りきった人間である。その彼の言葉である。どんな災難時にも楽しむ余裕を忘れないこと。クルーの資質の第一はユーモア精神である、と。本質に人間は、そうでないとまともに生きていけないんだ。そして、論より実践なんだ。そこを生きる支点にしたい。
2002.4.20 土
晴れ
結局、いつから土曜なんだって。やはり、寝て一日が変わるのだ。その意味では、昼寝て土曜になったんだ。短い土曜だった。知り合いが居酒屋を始めたらしい。おでんと串かつ。自営業って、どんなものでも憧れる。ビジネスマンは自営のシュミレーションでしかない。資本はあるが、一人員。借り物の資本。大きく動けることが唯一の利点。
2002.4.19 金
曇り
今日は、朝まで飲みタイプの客と痛飲。結局朝5時。わかっていたから精神的には楽。最後の店では、マーヴィン・ゲイにプリンスの映像。但し、9時に行った会社では座ってボーっとしていた。給料を食んでて、これはいけない。しかし体が動かない。眠くは無いが、頭が働かない。ひたすら生地を切る土曜の午前仕事日。まっすぐ切ることにひたすら集中。
2002.4.18 木
先日、クライアントより本社工場見学の申し出。先方の重要客先の強い要望とのこと。実は、そことは、現在商品クレームでグレー状態。ただし、今回そこの上役はそのことを知らないので、クレームには触れずにいて、案内をして欲しいということらしい。
頼むぜ。そんなコンディションで会えるわけないぜ。その時知らないで、後でその上役がそのクレームの存在知ったら、どうすんの。そんな適当な会社だったら、逆の立場にたつと信頼できない。内の会社のこと考えてんだろうか。こんな短絡的でイメージできない客と話すのは疲れる。電話口で声を荒げた。
2002.4.16 水
曇り
10歳の長女は、最近、朝目覚めるとパッと飛び起き、寝坊していないか、不安そうに時計を見る。時間の概念が彼女の頭に入ってきたんだ。少しずつ大人になっているその顔は、頼もしくあるが、少し親から離れていく気がする。それでいいんだ。子供は人間なんだから。
横で6歳の長男は、まだ何も知らずに口を開けてまだ寝ている。