2002.7.31 水
晴れ
今日は会社を休んだ。今月は125%の売上達成。シェアするから関係ねえけど。
そんなことじゃなく、今日は娘のジャズダンス発表会。いつも、ダンスん時は喜んでやってるから、続けさせている。控え室は、戦争ジョータイ。一瞬のステージの時間に母親は全力を傾ける。みんな子供に綺麗に化粧して、髪を編み込みにする。オレはいつも思うんだ。
「なんか売られていくみたい」
化粧って時々そう感じる。女性のその時って、いろんな意味で勝負だから。まあこれは単なる親バカなんだけど。で、ステージは立派だった。オレは、カメラを構えて狙う、つまりオレもバカ親のひとり、その他大勢。
女は3歳から50くらいまで、みんな輝いていたぜ。全身を美しく見せようと内から出てくるこのパワーは大切だ。休みの日にいい参考になった。
ビジネス街でダンス、ダンス、ダンス?
2002.7.30 火
晴れ
東京での展示会と葬式で、事務所はガラガラ。オレは産地へ。前いた会社に行って、生地染め加工の打ち合わせ、そこでバッタリ前の社長に会った。オレの前のボス。一応その会社って業界で名門だったんだよね。で、少し落ちぶれ気味。で、オレは今は客の立場、不思議な感覚だが、まあこんなもんだろう。
どっちにしても、繊維業界は大変だね。ワークとサラリーのシェアリング。塩舐めあって仕事だぜ。早く売り手市場を構築したいね。
2002.7.29 月
曇り
夏をあきらめると身体が楽になった。何かの折、自分の人生が大変だと思うとき、本当は、そう大したことはないのだ。自分の立つ位置を確保しようとその実、その場所がわかっていない。暗い部分が見えていないのだ。見えずに自分に振り回される。見えていないのが大変なのだ。あきらめるとは、そんなに後ろ向きばかりの意味ではない。明るくして、明らめるわけ。
夏もそう考えると楽になるだろう?何てことない、今日は役員のご母堂様のお通夜で暑い中、黒服を着せられたからなんだ。そう、夏が暑いなんて、なんとも明らか。
2002.7.28 日
晴れ
貧しい国は、太い身体になることを夢見て、透けた肋骨にとまるハエを追い払う。先進国の人々はカプセル薬に任せてスリムな身体を夢見る。夢なんて幸せなんて相対的なものだから、とやかくいうこともない。喰えるだけで幸せなら、日本で自殺者は増えないだろう。喰えずに自殺するやつはいない。人より喰えずに自殺する。辺見庸の「もの食う人々」を思い出した。
精神を高めるには、ここってトキに集中する力を発揮するには、強い身体を作る必要がある。やせるだけを夢見るやつは、何か寝たきりでも目指してんだろか、なんて考えてしまう。栽培品の真っ白な細いえのき茸でも目指してんだろ。
毛が潰した中国なんて信じちゃだめだね。裏金、コピー、拝金のあの国の夢を詰め込んだカプセルをあんた自身の手で口に入れるなんてな。
2002.7.26 金
晴れ
今日は、一日オフィスワーク。かなり恣意的な仕事運び。楽だが身体はピリッとしない。やはり脳幹を刺激しなきゃだめだな。甘えると自分の身体に帰る。
明日は倉庫の中で、商品の検品、振り分け作業。充分に以上の刺激を受けることだろう。女子社員の申し出でこの作業をやることになった。いいことだ。仕事は、身体を動かすのが真っ当だ。株価の操作に一喜一憂することではない。製造業のアメリカも間違ってきてるな。製造業、最後まで商品に関わり、それに追いまくられる製造業、考えて開発しなきゃ残れない製造工場、頭と汗。オレは知らずこの仕事を選び、それに感謝している。仕事は動いてなんぼ。脳幹くすぐって、なんぼ。
明日は、きっと朝まで飲むことになるだろう。
2002.7.25 木
晴れ
飲んだ。JRを降りて北に上がる。南に建つマンションを少し過ぎれば、果たして月が見えた。少し欠けた月、ベスト。
もう眠った君も、殺戮に駆られた君主も、何も無かった幸せな多くの民も、この月の下にいる。
思えば、20秒くらいこの月を見て、後ろ向きに歩いてた。つまずく事なく、何も無かった。
2002.7.24 水
晴れ
晴れ続き。今日は夕方、久し振りに大声で怒鳴った。昨日とは違う。随分若いやつだから、まあ一種の社会人未来予想図へ向けての愛。ベテランの女の子に、どーすんの、どーすんのと言われて、オロオロしてたから、ちょっと切なくなり、チョチョンと暴発。彼もプライドあるから、「先輩には関係ないでしょ」
そーだな、単なる先輩。
「おまえ、男やろ。いけるか、いけんか、自分で判断せー、頼んなボケ」
古い言い方した。本当は、男女じゃねえな。そうだよ、オレはあんたの上司に言ったんだよ、オマエに向けて実は上司に言ってやったんだよ、部下を責任持って怒れって。
後でやさしく言ってやった。あんたの信頼は自分で勝ちとるしかねえ、特にクレームあるときは、全部自分で被れ、みんなはちゃんと理解してくれるよ。
今の子は、やさしく言うとちゃんと聞くんだな。分かっちゃいるけど、これまた勉強。
やつもオレも、みんな自分で前に進むしかない。
2002.7.23 火
晴れ
ビジネス街のオフィスの中は、暑さを見事に遮断してくれる。蝉の声も。その分、外に出る勇気も無くなる。エセ心地よい空間。
そんな事務所で、座ったまま手間を省くやつとブツかった。ナニが無い、コレが無いとわめきやがる。仕事は、自分でケツ拭いてなんぼだろ。こういうやつは、口が多くて実績のだせないと相場は決まっている、その典型。一番うるさい、だから腹が立つ。
「話をあちこち逸らして、やることやれよ」
言ってしまって、いつも後悔する。言ってることが間違っていると思わないが、その自分の言葉の中に少し、自意識があるんだ、自分のほうができているぜ、と思いながら言い放つ、それが分かるんだ。功名心はなかったか。人間のおぞましいところ。
オレは、女の子に行き先を告げて出た。外に出ると、もうその快適さと全く逆の熱風がオレの頬を舐めた。ビジネス街とオレへの付け、回ってきたぜ。外回りか、しかし暑すぎる。
2002.7.22 月
晴れ
蝉の声はもう無数に繋がっている。姿は見えず、それなのに圧倒的な叫び。10数日の命を女に賭けて叫び続ける。死骸は、脆く軽い。もうやつらは既に半分死んでいるのだ。それでも次の生命を灯すべく、狂い泣く。違う仮説では、あの饗宴は歓喜の歌らしい。土の中の幼虫時代から、太陽を真っ向から受け、喜びを爆発させる。それなら、やつらは、ただよだれを垂らして涙ぐちゃぐちゃにバカ泣きをしているのか。
オレはその声に背中を押され、正面の強い太陽光に戻され、効率の悪い歩を進めるのだ。町は夏休みで蝉以外の精気がやや薄れている。これほど暑いと気は失せる。
慣れるのはいいことだが、何でも慣れてしまっては、頭は錆付く。まだ戦いは始まったところのココロ。
昨日、昼寝しているベッドにやがて西日が差込み、もう2時間くらい経っただろうか、嫌な夢を見た。観念的な夢だった。時々見る夢。形に出来無いから、言葉では表せない。強いて言えば、陣地取りゲームの陣地が、徐々に相手方に捕られて、自分の居場所、自分を保てる所が無くなってくる、それもすぐではなく、思えば思うほど速くなるような、それは自分の精神を試されているような自分のみの内の心。例えば相手に線を引かれて、その線が集まり、それはだんだん黒い色に近づき、早くしないとダメだ、早くしないと、オマエは急がないと、もう多分オマエはだめだよ、じゃあ、どうすりゃいいんだ、負けしかないのか、もう負けるのか、手はないのか、と絶望感に嘖まれる夢。塗り込まれるぜ。あせってもどこからも希望の手はなく、やっぱ、オレは無力でダメな男だ、ツケが回ってきたぜ、元々オレはそれが真実の姿だ、分かってるよ。蝉だよ、それじゃ、オレはセミだ、とっとと、弱い自分に泣くがいい。思うようにわめきゃあいい。オマエそんでも泣かんじゃろ、最後まで利益の無いプライドと心中か、このヤロウ。とした最後でハッと目が開く。
強い太陽は、生命の強さであり、また人間を抑えつける強さでもある。そんな強い自然光の所為だ。殺人までは犯さないのだが。
単純に背中がヒリヒリして、数時間でその強い太陽に焼かれたからか。
2002.7.20 土
晴れ
夏休み。朝から晩まで忙しい。夕方、来年の春に閉園するポートピアランドに行った。昔、あんなに長蛇の列を作っていたアトラクションがガラガラだ。大体機械に操られるのはイヤだね。子供は平気に操られる、そう守られている立場だから、オレは守る側、やっぱ、機械任せはイヤ、右に左に揺さぶられるのも、高いところ行かされるのも。人は無力で、それも機械にそんな仕打ちにあうんだからな。いつも高いところにやられると、遠くを見てる。近くのネジやボルトなんて絶対に見ないね。
まばらな人の中、花火を見た。子供にはいい規模だろう。こんな花火もいい。
ポートピアはいいんじゃないかな。
2002.7.19 金
晴れ
子供は、終業式。オレ達は、変わらず仕事。今日はTシャツとジーパンの出立ち、スーツとは随分違う、夏だぜ、ネクタイはいらない、って勝手に決めて、この2週間していない。
本社に行くと、カブトムシがいやがった。拾って、腕につける。懐かしい痛さ思い出す。ここは山の中なんだぜ、ここでは大した虫でもねえ。車で町に戻り、知り合いの美容院の男の子にやる。明日から連休、ミニミニバカンス。さて、そろそろ梅雨明けかい。
平和で幸せで退屈、みんなこれを求めて働いている。
刺激を求めるには、忍耐がいる。これまた立派な労働。
自分を高めようにも、雄弁に過ぎて、思いとずれてくる。成就には無心。
2002.7.18 木
曇り
不安定な天気。少し晴れて、少し雨粒、雲の形がよく変わる。
行った客先で、昨日泥棒が入ったんだって。実は今週の日曜の深夜にもまた違う客先で泥棒が入ったことを聞かされたばかり。双方とも、かなり粗っぽい手口。人に被害は無かったが、ノーパソをやられたらしい。不法滞在の外国人の犯罪が増えている。今回がどうかは知らないが、粗っぽい部分ではその臭いが強い。新聞紙上でも、この手のニュースが多い。マスコミはあまり言わないが、外国人の犯罪は確実に増えている。資本家は安い労働力を求め、失業した若者のフラストレーションは外国人に向けられ、弱い貨幣は、国を渡り、クズになり、外貨は彼ら祖国の羨望の対象となる。ヨーロッパの一部では国粋主義の台頭の予感がある。破壊されつつある北朝鮮の大量難民の流出が近い将来、アジアの大きな問題となる。日本はアジアの中で舵取りを強く求められるだろう。徐々に変わるアジア、ボーッとしているとその変化にも気付かなくなる。
帰り楽器屋に寄って、少しギター話。西ノ宮駅に着いたら、最後は結構な雨が待ち受けていた。あきらめて傘も無く歩き出す。携帯で話していたが、切って体を丸めて俯き歩く。冷たさを確かめて、腕を流れる水滴を見つめる。
自分で判断する時代がもうそこにある。国も個人も。ボートピープルのベクトルは一直線にこちらを見つめているんだから。
2002.7.17 水
晴れ
不思議とリズムのある一日。取り立てていうことは無いのだが、昨日あんなに寝苦しくて薄い眠りだったのに。朝の豪雨で気が締まって、逆に良いリズムを引き起こしたのかな。仕事で机に向かい、気が付けばもう21時。ご褒美に沁みて焼酎。何か暖かいメールを思い出し、また酔う。
そんなとき、オレは幸せを思う。人間は勝手で、幸せだ。
で、勝手にどん底だ。勝手にウチョーテン、適度に忘却、全部一緒に分かれば仏さま。
オレはアブラぎった菩薩ニュルニュル野郎。寝。
2002.7.16 火
晴れ
もう夏。毎朝聞こえる蝉の声が一匹一匹増えているのが分かる。というのは、娘の話。
きっと梅雨が充分明けてから、安心して、気象庁は梅雨明け宣言を出すのだろう。暑くてたまらなくなる頃に。このスピードは民間には許されないことだ。しかし、オレの仕事は人民の命に係わるほどのことでもない。公務に携わる人間は、そんな軽はずみはいけないのだろう。いつもそう思いたい。そう思わないと納得できない。空蝉にならぬよう、やってくれ、人気でなく愚直に実のある行動を。できれば、理想は土の中の幼虫だな。
オレもパフォーマンスの自分に毎日、反省すっからよ。誰も知られぬ土の中の努力だよな。そうするとオレにも良い知恵と筋肉が付くはずだぜ。
2002.7.15 月
曇り
台風がくる。ビジネス街の人たちは、定時を過ぎると何かソワソワと足早に地下鉄に乗り込む。関西人は不謹慎ながら、そこに僅かに楽しみが含まれているように見える。四国に守られた内海。オフィスでも罪の無い話で、結構台風の進路で盛り上がっている。
西宮に着くと西の空は、もう絶望的な黒。家の近くでは、もう空中クロ、あっ違う、視界が狭まっただけだ。家の中に急ぐ。子供たちといえば、臨時休校を明らかに狙っている。大人は子供より守るものが少し多くはあるが、簾を巻き上げ固定するだけで、後は少し楽しんでいる。朝には通り過ぎるだろう。雨戸閉め、今年初めての冷房。
2002.7.14 日
晴れ
スポーツクラブに先週から行っている。水泳1300M、ストレッチ、サウナ8分、水風呂3分×2本。少し苦しい600Mくらい、サウナの6分くらいのステージが良い感じ。水風呂の3分は、至福の時、軽いトランス状態を体験できる。首の後ろまで冷水に浸かると自動的に思考が拡がる、ような、何も頭から無くなるような。冷たい息の塊がノドからホッと出てきて2セット目。一度体験されたし。しかし潜ると少し目が回るぜ。
ここの中年連中、やはり比較的体格がいい。いいことだ。寿命とは別だろうが。日々の怠惰な体の使い方をするオレへの、軽いムチ、週一のみ。
2002.7.13 土
曇り
今日は、芦屋浜で保育所の恒例バーベキュー&花火大会。雨と曇りのホントの狭間。誰かのイケーの言葉に火を熾したら結局最後までいった。ラッキー。酔いどれ晴れ天使。火の守奉行に、焼き奉行。
暗くなる前にパラシュート花火で子供たちにプレゼント。いつものことだが、気が利いている。子達の肢体は艶やかに柔らかく伸びる。今日は風が強く、パラシュートは、大きくどこまでも飛んでった。夜には打ち上げ、プロではないが素人でもできない、これまたいつものレベル。オレは車の誘導で横目にしたぐらい。最後に手持ち花火。子供の火を見る真剣な顔もまた恒例。その子が毎回変わるこの顔見たさに毎年くるもんだ。感謝。
終わってNPO総会。社福法人獲得は厳しい。オレは末席の理事。つまり、和(なご)み役?
2002.7.12 金
晴れ
心の闇が外に出てくる記事を読んだ。宅間被告の公判の言動。これ以上関係者が苦しむ現実は出されるべきではなかった。押さえ込んだ悲しみが容赦なく吐逆される言いようの無い苦しみ、怒り。しかし、新聞各紙が頻りに分からないとコメントしていたが、そんな嘘をついてはいけない。動機としてはわかりやすいものだった。「普通の公立の子を殺すより、家が裕福で頭のいい、将来有望な人間をやるほうが自分自身満足できる」
誰もこんな理由で子供を殺さない。ただ、人間の心の貧しい部分に、裕福な家を妬む気持ちがあることは分かる。将来有望な家系の人達を羨ましく思い、その人たちが失敗すれば愉快だと思う心のスキがある。殆どの人は、それを心の中にしまい込んで、自分だって生きるプライドがあるんだから、その貧しさを乗り越える。そして、余裕を持って、どんな環境でも付き合っていくようになる。そして、別の価値観を知り、それがどうでもないことを悟る。資本主義の貧富に存在する悪魔のハードル。
それでも、そのテクニックを待たぬ人は、或いはそれをコントロールできない人は、家で子供を殴り、中年は地下鉄で痴漢行為をはたらき、若者は集団で気の弱い者を嬲り、知り合いでもない有名人のゴシップに狂喜し、人の不幸を探しては、優越感に浸ろうとする。
こんな人知れぬ犯罪者は日本に何十万人もいて、この池田小の記事を読んで、ほくそ笑んで、あるいはそんなもんだと頷いて過ごしているのだ。

オレの親友の男の子はこの事件で一ヶ月の重傷を負った。会っては、いつもそれに触れず、バカ話をしながら飲んでいる。果てしなくバカ話しをしながら。

2002.7.11 木
晴れ
オレの宗教はロックンロールだ。自分の位置を知るために聞いているときがある。最高の精神の状態に導くには、良質のロックを探し、音を聞き、ライブに足を運ぶ。密教の「秘密荘厳心」に至るまで、音楽を手探りで求める。マニュアルはない。真実はその曲の中の一瞬にもある、それは自分の中にもあるのだ。しかし勘違いも多い。唯識論である人は、いつもロックの煌びやかさと同時にある影を感じている。声を揺らして、何かをメッセージしている、編曲に攻撃的な構成。そして自分は振り返る、いつまでもこの菩薩行を続けていると、その業は薫習していく。
苦しい時間。もう一度聞く。違う解釈、まだ落ちていく。体系を思い描く、まだわからない。こんなに苦しい時がある。だからまた聞く、ロックミュージック。
ボーっとしていると少し掴みかける、生きる苦しさとその楽しさが奇跡的に見えることもある。「自利利他」最後は自分を克服すれば、人に言える・・・
「ロックンロールを聞け、お布施はいらない、CDを買うぐらいの良識ある宗教さ」
2002.7.10 水
台風で、早いフライトで大阪に帰ってきたら雲間から太陽、逸れたんだ。
昨日は吉祥寺で、ビールと熱燗、シーバスリーガル、果ては、泡盛まで飲んだ。結婚式以上の酒の種類。で、深夜まで飲んでた。彼女見事に可愛くなってたな。
ファンクアレンジで「You've Got a Friend」が流れてた。
みんな「Friend」求めてる。分からない、オレの友達。求めてたどり着くものでもない。気が付けば、ふと横に座っているのだろう。或いはもう立ち去った後のことなのだろうか。人生にこれから現われるのだろうか。実は結構つまらなさそうにいてる隣人が「Best Friend」なのかも知れない。
それくらい人の心は分からない。人の心の中を覗けるマシンがあれば、幸せにもなれるし、世界を牛耳ることもできるだろうか?おそらく自殺するな。人の心の中を本当に知りえるのは自分だけだから。そんなやつがウロウロしてんのわかったらな、多分。人の闇は見ないほうがいい。それは「人」の定義から外れる。外れるがそれも人。棺桶に足突っ込むまで、人は内面だと誤解したものを含めて表面で生きていく。本当の内臓部分を社会にぶちまけたら、そいつは抹殺される。闇の存在をよく知っていれば、人は幸せに生きられる。棺桶にたどり着くまで。オレは見上げながら涙の意味を知り、その時FRIENDを発見するかもしれない。
2002.7.08 月
曇り
朝、いつもの時間会社に行き、茶でもすすろうかと思ったちょうどそのときに、ニッターから、糸の口が潰れて編めないと悲鳴の電話。納期は水曜、明日から東京、今日しかないじゃん。すぐに気持ち切り替えて、新しい糸を持って、飛び出した。そこへ携帯、先週に立ち会ったサンプル生地の説明、一緒に行ってくれ、だと・・自分でやれよと思いつつ、行く途中に組み込める場所、よっしゃ今日は、詰め込んだ一日とするか。その客乗せて、高速に乗る。
あ、うん、なるほど。そういえば高速の入り口で、「一般・ETC」ってえのがあると、どちらかと言えば「一般」に並ぶんだな。なんとなく、集団的発想、ETC専用でなくとも、少し躊躇してしまう。この感覚、オレは好きだな。日本人らしいっていうか、こんなささやかな気遣い、やっぱしないぜ他の国では。それが、消極的とか、没個性とかいうんじゃなく、なんでもないその感覚が好きだ。
遅く事務所に帰り、久々に残業。少し疲れて帰宅。自転車で家の前まで来ると、例のマンションがきれいに消えて、目線は広がり、曇った夜空へ拡散する。不意に震災時を思い出した。きれいに何も無い空間。きれいに無い静かな現実。わずかな心の傷かな。ほんとうに僅かな心象。あの日の駅までの自転車は静かに暗く遠かった。みんなの静かな悲しみが、暗い夜を圧していた。だから今日は疲れているんだ。
2002.7.07 日
晴れ
12回目の結婚記念日。その時は分からなかったが、結婚とは、始まってからが始まり。そんなこと当たり前?いや、分かり合ったと思い、結婚に突入した二人の生活は、今まで思っていたものとは、まったく違う認識をお互い新たに持ち合って、初めて始まるのだ。それは発見だったり、幻滅だったり、喜びでもある。つまり結婚式なんて、どうなるか分からん全く未知数の二人の門出を、めでたいという理由で強引に既成事実にしてしまう催しだ。
いろんな人生の決断は、いつも全く予期しないところへ導いてくれるからおもしろい。何も無く、普通の12年であったんだから、まあ良かったんだろう。つまり、それが一番の感謝。
そんな日に不思議に思い出して、洗面所と洗濯機と風呂場の排水口の掃除をした。導管を分解してキレイに洗う。半年に一回。つまり、去年の暮れからちょうど半年くらい。オレらの結婚記念日はそんな日にちょうど設定されているのだ。排水管のゴミも家族の生活凝縮部分、この業も幸せの一部である、とすべき。
フランス料理やなんやと考えながら、結局ツレ家族と気楽な外食。
2002.7.06 土
晴れ
夏らしい日。3人の小学生を我がNPO主催の調理実習会に車で送った。カレーピラフ、イタリアンサラダ、コンソメスープ。学校の調理クラブでは管理の問題で殆ど火を使わないらしいが、こちらでは、本格的にやる。やっぱり、本式?の料理だから、子供も真剣、目もキラキラしている。会が終わり、全員で片付け、子供を返した。ひとりの子は、車から降ろすと大きな声で「ありがとうございました」恥ずかしがらずに堂々と偉い。親の躾がよく見て取れる。オレの娘は、俯いて恥ずかしがるもんな。というオレも少し恥ずかしい。ありがとう、そうだな、コミュニケの原点だ。その上親御さんからお礼にジャガイモと玉ねぎをもらった。
夜は定例のバンド練習。こちらの挨拶はほどほど。まあそれもそれで良心なんだな。ギターがハウってイマイチ。でもその後のカラオケでみんな楽しそうだった。カラオケでは初めて聞いたような楽曲がたくさん。音楽仲間とだと、気を使わずに選曲できる。で、歌詞もいいし、それが画面でリアルに読めるんだな。歌い手だけではなかった。みんなで見る。カラオケのいい所を新たに発見。CDじゃ経験できんだろ。
今日の発見二個。
2002.7.05 金
晴れ
今日は、普段着で産地と自社工場回り。だんだん暑さが本格化すると、こういう風に普段着に逃げる仕事を選んでしまう。なぜ、ビジネス街ではネクタイに上着なのか、お互いに「夏は止めましょうか」で決着する気がするのだが。ネクタイを締める締めないより、やるかやらないかの実績主義の時代。
我が家の前のマンションがきれいに取り払われて、西正面を望めば六甲山脈の端の方まで見えるようになった。風景が変わって、面した部屋の中の色も少し変わったように思える。名実共に西向きの家になった。西日はきつくなるだろうが、表情の優しい夕焼けも見えるだろう。
2002.7.04 木
晴れ
オレの身体から石が出た。3x5ミリ、よく見ると結晶のように光るものと、ドス黒いものや細かい石などの複合体。何年かけて出来たものか分からないがその年月を感じる。紛れもなくそれは、オレの中で作られたものだ。オレの石。
自分の体に残る傷も色々な記憶を呼び起こす。それじゃ、オレの胃は、肝臓は、心臓は、脳みそは?取り出して一度見てみたい。死んだら解剖してもらって、50cmくらい離れて見ていたい。でもあまり年取ってからじゃ、見たくないか。そのうち優れたエコーもできるか。やっぱり人は、自分が好きなんだ。オレもそうさ。
2002.7.03 水
晴れ
暑く湿っぽい空気に嫌気がさして、一日オフィスワーク。
しかし社内の仕事では、リズムが悪い。空調は快適でもつまり能率は上がらぬ。来客
5組。炭水化物の多い昼食。下がり気味の業界事情。ややの早起きの所為で眠気が襲う。明日は外でリズムをつかもう。結局、天気や理屈より自分のリズム。天気は身体がやがて慣れるだろう、だから日本人。
2002.7.02 火
曇り
娘の宿題で、夜外に出て星座を観察した。夜空のゴミみたいな星をあんな真面目に目を凝らして見たのは初めて。慣れてくるとゴミが少し光り出す。
みんなは、何かを感じて、夜空を見上げることがあるのだろうか。人は、何かに圧倒されたり、情けなくなったり、存在が遠くなったりすると、遠景を見る。空、海、山。どこも人の作れないところ。自分が弱くなる、でもそれは少し違っていて、人間は地球でもっとも弱い生物だ。宇宙飛行士が宇宙に出て驚くのは、人類の科学の素晴らしさや悪ではなく、地球という地形の大きさである。唯物論者が漠然と想う神、真の光と闇。人間が議論し悩む環境破壊ですら、人類の勝手な思い込みであると愕然とするらしい。人は絶滅しても星は死ぬことはない。
そこから見つめて、グーと下界に降りるとアスファルトに座り、ボーっとしているオレにぶち当たった。ちっぽけなオレになったところで、謙虚に地球に居座らせて頂こう。どうにも必要のないオレの存在を知り、それが生きる力になる。
ところで星座は全く知らない。星座表も見方が分からない。まあるいものを平面で見るなんて。理解不能。
2002.7.01 月
曇り
梅雨らしい毎日だ。6月らしい不快湿度。
しかし、「らしい」ことを小さいときから、教えられているのに、成功者のほとんどは「らしく」ない行動で道を開いて、自分の人生を大きく変化させている。「らしい」ことが成功であるように教えられ、それがもっとも普通でつまらないってことを、実は学校に教えられなくても、分かっていた。分かりながら、そんなリスクで飛び出す勇気はなく、或いは、そこまでは分からず机に座り、漠然と聞き流していたのかもしれない。或いはその疑問を持つ頭をその期間、凍結されていたのかもしれない。インフレ教育では、真面目な工業生産に従事させるべく、文部省はそのカリキュラムを布いたのだ。国富。
危険さと隣り合わせでチャレンジする楽しさは、失敗の大きさがあるほどに興奮できるものだ。14〜15歳を迎え、その反動でオレたちは、他人の目も意識せず、無茶をした。悪びれて「らしく」ない行動をツレと競い合った。本当は競うものではないのに。そして顔が赤くなるような自分の行動や言動に暫くして気付く。そんな繰り返しが数年あり、その「らしく」ない行動は、そんなパフォーマンスではないことをまた知る。そこで己は初めて自分の能力を知り、方向修正をするか、そのまま勘違いして生きていくかのどちらかだ。
実は自分の意識の外で夢中になることだったのだ。意識の外ではその時の自分の行動が分からないわけだから、それを意識することで既に夢中ではないということになり、つまりは、それは終わらなければわからない。作戦はないという結論になる。作戦がないから成功するのだ。人生の面白さは意識外にある。
別に梅雨に反抗しているわけではない。自分の人生はやり直したいようで、なんか面倒くさく、また同じように今を迎えるような気もする。それも梅雨が無気力にさせるせい?

過去の日記