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まさもと よしずみ かんれい
細川政元、義澄擁立のクーデターで管領の地位を独占
たかうじ よりはる げんこう
将軍足利尊氏の家来で足利の支族でもある細川頼春は、元弘の役で手がらをたて、阿波
(徳島県) の国を恩賞として与えられるとともに、頼春以下4代、更には勝元・政元と父子代々が幕府の重職で
ある、将軍を補佐する役目「管領」に任じられました。
めいおう
細川政元は、1493年の明応の政変で、将軍足利義稙 (義材) にかえて義澄をたて、将軍の傀儡化(かいらいか)に成功します。
このクーデターで細川氏は管領の地位を独占し、幕府での専制化を強め、細川家の家督を継ぐ者が将軍足利氏の相続を決定するようになるのです。 |
細川政元
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富松城が細川両家の争奪の的となる遠因
しゅげんどう
細川政元は修験道の呪法修行にこり、女性を近づけなかったことから後継ぎがなく、そこで前関白の九条政基の子・澄之を養子に迎えました。
く ぎょう
公卿でもあった澄之は、部下を統率することができず、このため同族の細川成之の孫である澄元、さらに同族の細川政春の子の高国を後継ぎの養子に迎えたのです。
富松城での合戦の遠因となる理由は、実は次から次にと養子を迎え、その家督争いにあるの
です。
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所有権を国に移すためにクイを打ち込まれた
土塁西側の堀 2001.10
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