と  まつじょう  
                 富松城ミニ年表

                                    
                                    富松城跡を活かすまちづくり委員会

◇富松城跡が、いま
  危な い
◇富松城とは
◇城に影響を与えた
  人びと
◇細川両家の争い
◇地元は「方二町」説
◇城当時からの祠
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  づくりに挑戦
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 富松城跡は、文献資料からこれまでは15世紀の後半に築造された城と考えられてきました。しかし、1994年度、尼崎市教育委員会が行った発掘調査から15世紀前半には本格的な城館として整備されていたことが分かっています。


1447年11月10日 富松但馬守三郎左衛門は富松村の牛頭天王社で千句連歌を興行するため、中原康富に発句を寄せてもらった
1467年1月 この頃、富松庄は大乗院の料所に宛てられていた

1467年5月

応仁の乱勃発(〜1477年)

1487以前

平安時代から富松荘が置かれ、薬師寺氏が荘園管理の任務にあたっていたことから、富松城は薬師寺氏の居館として構えられていたと思われる

1487年11月

「如意庵領年貢算用状」で富松城の名が史料で初めて出てくる

1507年6月23日

細川政元が養子・澄之をかつぐ家臣のはかりごとにより殺される

1507年6月24日

細川澄元が澄之勢に襲われ、京から近江へ逃れる

1507年8月1日

政元の養子・高国が澄之の寝所を襲い、切腹に追いやる

1507年8月2日

政元の養子・澄元が家督として入京する

1508年5月

池田城(池田市)の城主・池田貞正が、細川澄元に味方したので細川高国が貞正に報復し殺す。これが尼崎に戦火をおよばす始まり

1508年7月

足利義材(義稙)が将軍に復職する。高国は将軍復職に大功があったことから、細川家の家督を継ぐ

1519年10月22日

有馬郡田中(三田市)に立てこもる澄元勢に対する、高国勢の交戦が、 尼崎地方が主戦場となる発端に

1519年12月2日

細川高国方在城

1519年12月6日

細川澄元軍に対抗して越水城(西宮を守っていた瓦林政頼を助けるため、高国が池田城を本陣として九十九町(富松)などに陣を置く

1520年2月16日

細川澄元方在城

1520年6月10日

細川澄元方が阿波国で病死

1526年

高国が西摂津支配のため海上交通の要所にあたる大物に尼崎城を築く。高国と澄元の子・晴元の対立が表面化

1530年8月27日

晴元方の薬師寺三郎左衛門国盛が立てこもる

1530年9月21日

晴元方の薬師寺国盛在城、神呪寺(西宮の本陣を出た高国軍が富松城を襲う。国盛森24人討死

1530年10月19日

晴元方高畠甚九郎・薬師寺国盛が高国勢と富松南で交戦30人余討死し、晴元勢伊丹城に敗走、高国占拠し在城

1531年6月8日

尼崎の広徳寺で高国が切腹

1541年9月29日

伊丹衆ら西富松に在陣するも戦わずして分散。晴元方、伊丹・越水・西宮に放火

1549年5月1日

三好長慶方在城、晴元側が富松城を攻めるが失敗

1550年1月10日

三好長慶が富松城に在陣

1579年

織田信長による伊丹城攻撃のときに信長方の陣地となる

◇ ◇ ◇

1963年3月

道路計画による緊急発掘調査で既存の土塁の北にある小山は土塁の一部で居館または物見櫓があったと推測。戦国時代の軒先瓦など出土

1966年10月 尼崎市史第1巻で方一町説掲載
1983年3月 郷土史研究家故・橋本観誠さんが、尼崎郷土史研究会会報「みちしるべ」で方二町規模と発表
1992年5月16日 地元郷土史研究家・故橋本観誠さん、富松一寸豆祭記念講演会で従来からの研究により「富松城跡方二町」説を力説する

1994年

尼崎市教育委員会の発掘調査で堀の一部が土塁南側で確認される

1999年12月 富松の魅力をアピールする富松21(とまつトゥエンティーワン)発行の「富松ひとめぐりマップ」に富松城の記事掲載
2000年5月20日 第9回富松一寸豆祭記念講演会、テーマ「富松地域の埋蔵文化財」の中で尼崎市教育委員会学芸員が、これまでの調査から富松城跡を説明
2000年11月17日 未来に引き継ぐ尼崎の宝「ミレニアム遺産100選」に富松城跡が選ばれる
2001年3月 尼崎市発行「ミレニアム遺産100選集」に富松城跡が掲載 
2001年12月 相続が発生し、富松城跡が国(財務省)の所有となる
2002年1月26日 富松城跡を活かすまちづくり委員会が発足する
2002年3月18日
尼崎市役所記者クラブで、富松城跡を活かすまちづくり委員会発足経過と今後の活動について記者会見
2002年3月30日
第1回まちづくりシンポジウム開催
西運寺庫裏、186人参加
2002年4月26日 富松城跡の南側に立て看板を設置
2002年5月8日
尼崎市教育委員会社会教育委員会議
委員より「市民グループによる富松城跡の保存・活用の取組みが新聞記事で見た.。大変有意義な活動だ。市文化財担当者としてこの問題をどう考えているのか」との発言。
当局より「本件については、まちづくり委員会と協力して対応していく」と説明がある

2002年6月8日 第2回まちづくりシンポジウム
第1部 「富松城跡の現地を見る」  参加者246人
第2部「戦国の城・富松城の実像に迫る」 参加者382人
尼崎北小学校 体育館   
2002年6月11日
尼崎市議会
尼崎市議会の新政会派、小田原良雄議員が「富松城跡について」質問。会員5人が傍聴
2002年7月15日
尼崎市役所記者クラブで会見
月21日の富松一夜城体験学習
「富松城土塁復元に挑戦」事業主旨について記者会見

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