英会話ができれば、外国人と気軽に会話できればと思っている中高年に。
今でも遅くない。英語教材や英会話教材を紹介いたします。
英語発音のレベルを上げる方法から究極の海外生活や、旅行英会話も TOEICも大丈夫!?

■中高年からでも頑張りましょう。英語学習

英会話でのための勉強は、中学生レベルの英語で充分。と言われる人がいます。
しかし、中学校の英語教科書を読んでいても日常英会話が出来るようにはなりませんでした。
英会話と言っても簡単な日常会話から政治、経済、法律で交わされる英会話まであります。それを日常英会話と言ってしまうと、かなり不安になってしまいま す。
普通に 日常英会話している自分を想像するのは爽快です。外人と普通にコミュニケーション出来ている、中高年の自分を想像すればうれしくなります。
中高年の私が日常英会話ができるようになるには、中学で習った英語を徹底的に復習すれば良いのでしょうか?しかし、我々中高年から始める、日常英会話を考 えて見ると、英会話のレベルでコミュニケーションを交わすことはできないのではと、感じてしまいます。
私の日常英会話力で可能となる世界は、海外で孤立して一応生活できるぐらいでしょう。
とはいえ、現在の日常会話レベルを否定する必要は無いと思います。頑張って学び、日常会話レベルが上がったとき、中高年でもスムースに英会話出来るように なるのでは無いでしょうか。
そのためには、英会話用初級レベルの教材で学習するのが一番良いのでしょう。

英語を学ぶには、とにかくたくさんの英語の文を読む。多読するにつきるという人もいます。
この意見は、わからない単語は調べないで、たくさん読めば、大事な単語は良く出てくる。その単語の前後関係から理解できることもあるし、使われ方も辞書に 載っ ているだけでは足りないともいわれます。判らなくても、どんどん簡単な物語から読んでいけば自然と学習できると言うものです。しかし、簡単な物語の単語と 言っても、日常生活で使われない単語もあります。
中高年には時間がありません。『気にしなくても大丈夫。』といわれても、気になって仕方がない時が多いのです。
仲間がいれば励みにもなりますが、中高年になるとそ んな仲間見つからないでしょう。
最大の問題は、発音が判らないままの勉強が身につくはずがないということです。
確かに、ネイティブのような正しい発音は必要ではないかもしれません。
しかし、ネイティブに通用しない発音を自分勝手に使っていては、コミュニケーションは図れません。なにより、単語の記憶の為にはその都度、辞書で調べるの がいい、という調査結果もあるのです。


「英語はまず、ヒアリング。とにかくヒアリングを続けなさい。それ以上の学習は不要だ。」
耳が遠くなり始めた中高年や、英語を英語のままに理解したい方、英語の各種検定を考えている方、ネイティブのコミュニケーションについていけない方にお勧 めです。

聞き取れた時に、英英辞書で確認するのが大切だといわれます。
理解できる英単語を増やす事をせず、1年間ヒアリングを続けた自分を想像してみましょう。
英会話が、比較的聞き取りやすくはなっているでしょう。ヒアリングを1年もつづければ慣れるのは当然でしょう。
しかし、完全に聞き取れるようになると断言するのは間違いです。
ヒアリングを1年間続けても、判らなかった言葉が理解できるとは思えません。
しかし、判らないままでも聞き取れる単語や文がでてくるのは間違い無いでしょう。
聞き取れるようになってから辞書で調べなさいと言われても、いつになれば、辞書を調べてよいのかが判りません。
結局は、ヒアリングだけの勉強では文法力が身につかない、という調査結果があるようです。
文法の基礎力(中学生レベル)がついてからの方が賢明でしょう。

英語と日本語をセットで聞き続けるというものがあります。
楽にとにかく続けるので、ある程度、英語が理解できるようになるかもしれません。
この場合、英語が先か、日本語が先かの問題も出てきます。どこで区切って発音するのかも問題になります。
他に日本語の文章ではなく、区切りごとに発音してくれる教材もあります。
初級クラスの英語を忘れてしまった中高年にとって便利な教材かもしれません。
英語文の作りを思い出させてくれるので、徐々に続ければ、英語独特の言い回しも覚えられると思います。
ただし、長い英文を早口でしゃべられると、慣れていないため、聞き取れるかどうか 心配です
文が区切られているのは長所だし、短所でもあると思います。
中高年にとってこの短所は大変つらい事です。
話たいことがすぐに口に出てこない中高年にとっては、このあたりから克服した方がいいような気がします。

英検・TOEIC・通訳案内業試験もあります。
15万人が受講した「スーパーエルマー」で TOEICリスニング満点!

■お風呂のお 話

■ 英会話なんて恐くない

 「TOEIC点数保証ソフト」と言うのがあります。750点用には返還保証もあるようです。当然条件付です。
しかし、これらの合格者や高得点獲得者でも、自由に英会話できない・字幕なしで洋画が見れないというのは良く聞かれることです。
友人の通訳案内業の資格者は、映画を字幕なしでみるができないと言っています。点数が即、実用に繋がらないと言うのは、英会話だけに限らない。そんな事は 中高年にとって理 解しやすい事です。
気にすることはありません。続けるための効果測定が目的だからです。いい点数を取ることが目的ではないからです。試験勉強 が役にたたないはずがないのは当たり前の事です。

ネイティブが教える英会話学校もあります。ネイティブのフィリピン人より、金髪のロシア人が教えているところもあると聞きます。教師は外国人であると宣伝 すべきではないでしょうか。
英語は国際語です。英国、米国以外にも多くの国で使れています。そんなことを考えると、発音は大して重要ではないのでは?と考えてしまいます。同じ綴りで も、国によって発音が変わってくるからです。
それでも通じるのです。肝心なのは、アクセントです。アクセントが異なれば通じないといわれます。
文法は理解に不安。発音もそれぞれ国により違う。聞くこと、話すことには相手がいないとでき ません。
英会話学校は聞くこと、話すことができます。文法もできる。
大切なのは、英会話学校で何を習うべきかということでしょう。
英会話学校で学ぶならば、自分でカリキュラムを作ったほうがよいでしょう。中高年にはそれができるはずです。
学校のカリキュラムをネイティブが消化して、それで授業 料にあった教育と考えてもらうのはよくありません。
自分自身が、自分にあったカリキュラムを考え、外人教師と話しあいながら習う。英 会話学校の理想的な利用方法であると思います。中高年にはそれができるはずです。しかし、お金を捨ててもよいと思えるときだけに、授業料の前払いをすべき でしょう。
蛇足です。米国では高校まで英文法は習わないそうです。大学に入ってから習うそうです。英文法が嫌いな学生も多いと聞きます。TOEFL の試験では文法で点を落とす性か、英語を本国語としない国より平均点を落としているようです。
やはり、英会話学校はある程度、英語力がついてから利用すべきでしょう。


どうすれば文法ができ、聞き取りができ、単語を覚えることが出来るようになるかです。
残念ですが、地道な努力しかないとしか言えません。単語集なら、語源・語根・接尾語・接頭語などで憶えるもの、文章の中に重要語をカタカナでちりばめ前後 の文脈で憶えるもの、関連用語集などで憶えるもの、語呂合わせで憶えるもの、などいろいろありますが、全てを利 用するしかありません。
私は、それぞれの本を「これ!」って決めたら、1日で読み切るようにしています。(遅くても3日で)憶えようとはしないようにしています。どの本も大体、 重要語は重なっています、ほとんど同じ単語の憶え方がたくさんあるだけです。それならおもしろく繰り 返す方がいいし地道に続けられると思います。
私は何度も挫折をしました。地道な努力が必要なのは百も承知です。憶える努力をしないほうがいい。これらの方法はお金がかかるものが沢山あります。それは したくないという人もいるかもしれません。


無料の実力確認単語・熟語確認サイト

●単語力(タンゴ リキ)

そこで、無料で始められる教材も紹介をしています。
簡単に始められますが、経験済みなので言いますが、継続は難しいだろうと思います。。しかし、 やってみて損はないと思います。お勧めのものと、止めたくなるようなものも紹介しています。
操作の難しいのはやめたくなるでしょうが、パソコンの勉強だと思って、時 間のある時にやってみてもよいかもしれません。機械を通した発音で聞きにくいものもあります。しかし、ネイティブはそれでも聞き取れるのですからやってみ る価値はあると思います。

結局、いろいろ考えてみると、ひとつの教材ですべてが賄えるというのは難しいかもしれません。手短なものからはじめるのがよいでしょう。始めなければ何も 起こりません。

■英語の歴史(英語、英国、日本関連と重ねまし た)

英語は、インド・ヨーロッパ語族の一つで、紀元前5000年頃、黒海沿岸で話されていた言葉です。それがヨーロッパ各地やインドに広がりました。
紀元前2000年から2500年ごろ、スペイン・フランスにいたイベリア人(主にイベリア半島の住民)が、立石や環状列石を残したといわれています。 (Stonehenge)彼らは、短身で黒 髪の新石器人種の人たちでした。
紀元前5世紀頃から、ケルト人が移住し始めたといわれています。
ケルト人はそれまで、フランス・ドイツ・アルプスなどに定住していた人たちです。ケルトという人種がいるというのではなく、古代ギリシャ人が西方ヨーロッ パにいる異民族をケルトイと呼んだことに由来するといわれています。
それ以前の先住民もいました。イベリア人といわれています。しかし、その言語は英語には残っていないようです。
ケルト人の言葉では都市や川の名前で英語として残っています。
London、York、Thames、などがそうです。
さて、キリスト紀元の初めには、西ヨーロッパはケルト語を話す南とゲルマン語を話す北に分かれていました。そして、ケルト語を話す地域の大部分でイタリア 半島から出たラテン語が広がったという構図があるようです。
紀元前54、55年頃からローマ(カエサル)の侵攻にさらされます。(この頃日本は弥生時代。)
この頃より、ローマの言葉(ラテン語)が英語に浸透します。(イギリスはローマの属州となりブリタニアと呼ばれます。)
wall、street、mile、wine、dish、butter、cheeze、な どローマの生活がみえるようです。

この頃食卓の道具としては、武器でもあったknife を肉を切るために使いましたが、 spoon や fork はありませんでした。spoon が食卓用として使われるのは、14世紀のことです。fork が食卓用に使われるのは、中世末期の15世紀のことでした。
もちろん、彼らローマ軍はローマ人ばかりではありません。ローマ帝国に征服された人たちも多く混ざっていました。ゲルマン人も入ってしたかもしれません。 そしてゲルマン人の正体はいまだ謎とされています。
ローマは敵ですがその生活はかっこよく映ったようです。ローマからは、「(公衆)浴場」の文化が伝えられますが、後のキリスト教の普及とともに浴場がなく なります。そして、ローマの支配は4世紀後半まで続きます。
ところで、カエサルの「ガリア戦記」(紀元58から52年)というのがありますが、「ガリア」とは今日のフランス、スイス東部、ベルギー南部を含んだ地域 のケルトをローマ人が「ガッリ」と呼んだ名称に由来するといわれています。(この頃日本は、倭の奴国王が後漢に朝貢し、印綬を受けています。「後漢書」)
AD47年、ローマのクラウディウス皇帝のとき、ブリテン島は征服され、以後350年間ローマの支配下に置かれます。これだけ長い間ローマに支配される とラテン語の影響が出ないわけにはいきません。

4世紀後半(日本では古墳時代、朝鮮半島は百済、高句麗、新羅、任那に分かれていた頃。)にはゲルマン民族の大移動がはじ まり、イギリスにも影響を及ぼし ます。このゲルマン民族のアングロ族とサクソン族がイギリスに7王国を建国します。
ケルト人も金髪でかっこいい青い目をした彼らに心やその他を奪われたケルト人もいたかもしれません。ケルト人と彼らがイギリスに同居することになります。
彼ら、ゲルマン語由来の言葉としては次のようなものがあります。
ask、begin、come、eat、go、 find、make、 live、meet、see、sleep、speak、walk、stand、などです。
基本動詞が揃い踏みのようです。
father、mother、brother、 son、 daughter、家 族が揃いました。
その他、動物や中学時代にならった生活に必要な日常英語の用語も揃ってきます。
5世紀中頃から英語史によると古英語はこのあたりから始まると言われています。ケルト人は5世紀頃にカトリックに改宗しています。既にローマは4世紀にキ リスト教をミラノ勅令で公認し、キリスト教ローマ帝国の時代に入っています。
6世紀末(聖徳太子が摂政となった飛鳥時代)あたりからキリスト教の強力な布教が始まります。イギリスでの文字使用もこの頃です。
このキリスト教の布教によりアングロサクソン人の読み書き能力が向上したようですが、7世紀が終わるまで英語の文献はないようです。7世紀にアングロサ クソンが初めて文字と書籍を手にします。そして、このころの英語は発音と綴りが同じだったようです。
キリスト教はラテンの国から入りました。ラテン語を起源とする英語は次のようです。
angel、candle、offer、organ、temple、school、な ど教会で使われそうです。
キリスト教改宗から9世紀はじめまで、イングランド南部にアングロサクソン文化が最盛期にあったといわれています。
8世紀前半の伝説的人物として、ベオウルフ(Beowulf)がいます。叙事詩の主人公として怪物グレンデル(Grendel)を退治します。
8世紀末(奈良時代が終わろうとする頃)あたりからバイキングが侵略を開始します。バイキングとはもともと北ゲルマン民族全体を指した言葉です。
今は福祉の国家として有名なデンマークはバイキングが建てた国です。当時はスエーデン南部とデンマークを領土としていました。
デーン人のバイキングやノルマン人のバイキングというように詳しくすればややこしいですが、バイキングとはそれら北方ゲルマン民族の総称です。 Viking の vi は(bay 入江)を表し、ing は部族、氏族を指す言葉です。尚、vi はアングロサクソン人の言葉 wic(camp 野営)を表す言葉との説明もされたりしています。
バイキングの言語は北ゲルマン語に属し古英語とは近い言語です。
英語はこの北欧語の影響を受けます。
call、die、get、give、take、基本動詞がまたできました。
侵略者から、「得る」「与える」「取る」などの言葉が入りました。これらが英語の「大和ことば」になっていくのです。代名詞のthey、their、same、なども入りました。
GiveTake だけで、英語は通じるという本もありますので、バイキングの影響も小さくはありません。
余談ですが、バイキングの勢力拡大範囲は広くヨーロッパ各地や地中海沿岸までに及びます。しかし、各地にバイキングの文化の名残はありません。なぜなら バイキングはとても強くて、小数で多数の人々を支配したからです。その為バイキングの方が彼らの文化に染まってしまったのです。
756年ピピンの寄進があり、教会領がはじまります。土地を所有し、領主になります。領民から税金を取ることが可能になります。教会の世俗化です。
800年ごろからの200年間ノルマン人がヨーロッパ諸地域に侵入します。
800年にフランク王国のカール(=シャルル=チャールズ=シャルルマーニュ=小ピピンの息子)1世がローマで戴冠(即位は768年)を行ないます。そし て、「学問をせよ!」と言います。カロリングルネッサンス=第一次ルネサンスとも呼ばれます。また、この時代に小文字が完成します。これにより羊皮 紙にたくさんの文字記入が可能になります。この小文字がヨーロッパ諸国に広がります。(一方日本では794年に平安京遷都。805年最澄が天台宗を開きま す。806年空海が真言宗を開きます。)
しかし、9世紀末には、アルフレッド大王がデーン人を撃退します。
9世紀末(アルフレッド大王)から10世紀後半。ベネディクト派の司教たちによって、書物が作られるようになりました。
871−99年のアルフレッド大王の時代。教会の復興、僧院の建設、学問の振興が推進されました。
この頃の文法で、自分が気になるところを整理しました。
●名詞の格変化が今より複雑です。(但し、古英語後期からは単純化されます。)
●主格は、主語になり、補語になります。
●対格は、直接目的語になります。他動詞の直接目的語です。副詞にもなるようです。
●与格は、間接目的語。
●属格は、所有や部分関係を表したようです。副詞にもなります。今残っているのは、副詞になった always が、そうです。最後の s が格変化の残骸です。他にもあります。indoors 室内で。outdoors 室外で。towards 〜のほうへ。besides その上、さらに。overseas 海外で、海外へ。nowadays 今日では。perhaps たぶん、おそらく。など
●対格や与格は、副詞的にも用いられました。時間や距離、態様などを表します。
●当時は、今使われている前置詞の役割を格語尾が果たしましたが、その後格語尾がなくなり、前置詞をつかって同じ内容を表すようになります。そして、この 前置詞の発達は中英語期以降本格的になります。

また、この頃の語順は比較的自由だったようです。
基本は、SVOですが、この目的語が、代名詞だったりするとSOVになったり、文頭に副詞句が来たりすると副詞句+VSOになったり、and の後はSOVになったりしたようです。
「物主構文」って言葉があります。「この花の香りって落ち着きますね。」を英語にするとき、
「この花の香りが私を落ち着かせる。」となります。ちゃんとSVOの語順になってます。
日常使う日本語を、SVOの語順に直すのも英語の感覚をつかむ勉強になるわけです。
また、to 不定詞の to はこの頃前置詞と考えられていました。今は単に不定詞の印だとされています。

そして、900年頃から1100年までが古英語の後期です。
911年にはノルマン人のバイキングがキリスト教に改宗しノルマンディー公となりました。
バイキングのデンマーク王は、1016年にイギリス王も兼任しますが、その後急速に勢力が衰えます。
但し、バイキングの言語は英語にも影響しました。
そして、1042年イギリスにアングロサクソン王家が復活します。
しかし、それもつかの間。

1066年(11世紀)。ノルマンディー公ウィリアムスが、英国の王位を主張し、イングランドを制圧します。ノルマン人の征服です。(ノルマン人と はゲル マン人のことだと思っていいでしょう。)そして、ウィリアムスはウイリアム1世として即位しました。ノルマン朝 の成立です。ノルマンとは、north man (北の人)という意味だそうです。これによりイギリス人はフランス人になったわけです。
余談1、1140年からイギリスでスパイスや胡椒が使われだしたようです。
余談2、このノルマン人ですが、8世紀にイギリスに侵攻したバイキングなのですが、9世紀にはノルマンディー地方に定住しています。そして、11世紀ま でには言葉・宗教・慣習等がフランス化していました。
これによりイギリスの支配階級は英語ではなくフランス語を話すようになります。しかし、被支配階級のアングロサクソン人は英語を使い続けました。このよう な状態が200年以上も続きます。同じ国で2言語が使われるのです。
この頃、フランス語を通して、アラビア語も流入しています。
alcohl、sugar、zero、など。ラテン語も流入しました。
1079年教皇グレゴリーVIIのとき、聖書にラテン語以外の使用が禁止され、他の言語への翻訳は異端とみなされました。
1096年聖地奪還のため第1回十字軍の侵攻が始まります。以後2世紀にわたって8回まで続きます。これにより、イスラム世界と接触することになりまし た。以後西洋の古典ギリシャ文化はイスラム世界を通じてキリスト世界(ヨーロッパ)に入ったといわれています。
12世紀の伝説的人物として有名なのが、義賊ロビン・フッド(Robin hood)。シャーウッドの森に住み、イギリスを侵略したノルマン人の貴族や金持ちを襲い金品を奪います。それをアングロサクソンの貧民に分け与えまし た。
恋人の名は、メアリアン(Maid Marian)。 


1100年から1300年頃までが、中英語前期だとされます。
(日本では平安末期から、鎌倉時代になります。中国ではモンゴルの元が興り、朝鮮は元に服属します。これが、13世紀の後半です。)
そして、その後13世紀には支配層も英語を話すようになります。
ノルマンディーとは、フランスのイギリスよりの地方をいいます。フランス語を起源とした英語には次のようなものがあります。
minister、government、 royal、 parliament、justice、suit、evidence、army、navy、 peace、soldier、など政治・法律の用語があります。社会制度が整えられて行くのがわかります。
影響は大きくその他服飾・通商・芸術・学問用語など生活の多岐に亘ります。
また、フランス語と英語の仲立ちをしたのが、それ以前に入っていたラテン語でした(ラテンの影響も根強い)。そして同時に、またラテン語から英語に単語が 流入しました。admit、complete、conclude、conflict、 discuss、interest、major、など。見覚えのある 単語達です。
また、同時にギリシャ語も導入されました。 chaos、 ecstasy、な ど。
1300年から1500年ぐらいまでが中英語期の後期になります。
14世紀後半には中国の元は滅び明が建国されてます。日本は14世紀前半から室町時代。朝鮮は14世紀後半から李氏朝鮮が建国されてます。1339年か ら1453年までイギリスはフランスと100年戦争に入ります。原因は領土問題とフランスの王位継承権を争うのが原因です。そして、1431年には、ジャ ンヌ・ダルクが死刑にされました。また、1348年頃から、ペストの大流行です。ヨーロッパ全土に広がり、多数の聖職者が死亡しました。その後継者養成の ため、grammar school が英国各地に設けられました。同時に労働者階級の日常語である英語の重要性が増してきます。
1356年、州法廷で英語が使用されるところも出てきます。
1362年、議会開会演説がはじめて英語で行なわれます。また、訴答法により法廷用語も英語となります。
1382年、ワットタイラーらの農民一揆により、彼らの言語の英語の重要性がさらに増します。
1383年、最古の英語の遺言状が書かれます。
1385年、英語による教育がすべての grammar school で定着します。
1423年、国会の議事録が英語で記されます。
1425年、ロンドン方言が標準的な書き言葉になり、公文書に用いられます。
1450年、諸都市の記録が、英語で行われるようになります。
1489年、すべての法令が英語で記録されます。(1300年まではラテン語、それ以後はフランス語でした)

14世紀が終わろうとする頃、イタリアでルネッサンスが始まります。16世紀までに全欧州に展開した学問上・芸術上の革新運動です。ギリシア・ロー マの古典文化を復興し、教会中心の中世的世界観を離れ、現世の肯定、人間性の解放、個性の尊重を主張しました。当時の教会による魔女狩りに市民も嫌気をさ していたんでしょう。ただ、ギリシャ・ローマの文明はイスラム教徒によってヨーロッパに輸入されたことは知っておきたいと思います。
この頃から、文法的に格より語順が重要になってきます。
If you like . は、「もしよかったら」と訳されています。この like は目的語をとる他動 詞です。何故、目的語がないのか。今の語順に従えば、If it like you . です。you が目的語です。語順に倒置がなされ、目的語を前に持ってきている形のまま残っています。
There 構文もこの頃から使われています。じゃあ、それまではどう表現していたのか。
答え、there の代わりに It が使われていました。
例。It are only girls. 若者だけしかいない。
(16世紀前には girl は「若者」という意味で、少女という意味で使われたのはそれ以後だそうです。)

受動態不定詞に関してはto be p.p ではなく、to do で表されていました。
その名残として残っているのは、
He is to blame.(彼は責められるべきだ。)

16世紀。イギリスは絶対王政の時代に入ります。この頃から近代英語の時代だといわれています。
イギリスでは、ヘンリー8世が、カトリックで禁止されていた離婚に踏み切ります。カトリックと決別しイギリス国教会の始まりです。宗教改革の始まりとなり ます。後に女王となるエリザベス1世は、彼の再婚相手との娘です。カトリック風にいえば後の結婚は認められず、私生児となるためか、第一学習者の資料集に よれば、ヘンリー8世の再婚相手の名前がなく私生児か認知の扱いになってます。このエリザベス1世の物語は、DVDにあります。彼女は生涯独身でした。
さて英語は、ラテン語を英語化したり、新英語などが出来てきます。また、ルネッサンスの影響も少し遅れて(150年ほど遅れる)イギリスに入ります。
この頃にもギリシャ語起源の英単語がでてきます。
camera、climax、energy、 idea、theory、など。また、同時にこの頃にはポルトガル語イタリア語スペイン語などからも英単語ができたようです。
message、はポルトガル語から、 concert、manage、 traffic、model、はイタリア語からparade、guitar、 cigar、はスペイン語から来たようです。発音と綴りに開きがあり、英語の勉強はつらいのですが、起源はここらあたりにあるようです。
中英語までは発音どうりの綴りがされていたといわれています。シェークスピアもこの頃の人です。語順が意識され、SVOの語順が固定的になります。It is me. 悩ましいのは、me がなぜ目的格なのかということでしたが、SVOがそのころの基本語順だとわかり、無理にでも納得するほかありません。しかし、当時はラテン語をお手本とし て文法を形成しようとする勢力があり、It is I. とすべきとの主張もされ たようですが、受け入れられませんでした。
Me and 〜を主語にする表現
Me and my mother went to the school. 私と お母さんが学校に行きました。
イギリス人が話すことのある間違った英語。Me は、I でなければならない。
16世紀のシェークスピアの時代には頻繁に使用されていた用法。しかし今では非標準語法として残っている。

助動詞の do もこの頃使われていたようです。do があれば、疑問文もSVOの形を維持できるというのでした。

受動態に関しては、現在 be + p.p + by が使われています。
しかし、1600年頃までは、by のかわりに of が使われていました。
その名残は、
be afraid of
be fond of
be tired of に残っています。

17世紀には、1616年シェークスピアが亡くなっています。この年までを近代英語の初期とみなされています。
1628年のチャールズ1世のときに権利の請願が裁可されます。これにより、課税には議会の同意が必要なこと、不法逮捕の禁止などがみとめられました。
日本では1600年に関が原の戦いがあります。1603年はエリザベス女王が亡くなり、同じ年日本では江戸幕府が開かれます。
1642年に清教徒革命がありました。(この数年前に日本では島原の乱)
革命の目的は王政の廃止です。そして、当時のチャールズ1世が死刑になってます。しかし後には王政が復古します。
清教徒=ピューリタンとは、謹厳で潔癖な人を意味します。

1620年にはメイフラワー号が新大陸に漂着します。
1688年から1689年にかけて名誉革命がありました。
(1687年には日本で生類憐れみの令が発令)
この名誉革命により、王位継承者を王の同意の下に議会が決めることになりました。

18世紀から20世紀にかけて、近代英語の後期になります。1789年フランスで革命勃発。
18世紀末にはアメリカがイギリスより独立しました。これにより、英語もアメリカ語と袂をわかち英語・米語が独自の発展をします。シャーロックホームズが できたのは、1854年だそうです。
英語が世界と交わりどんどん新しくなっていくのに、米語では英語の古い表現がそのまま残っていたりするのも、アメリカのイギリスからの独立によるもので す。


シェークスピアの名セリフを紹介します。
「オセロ」から、自刃前のセリフです。
「賢明に愛するすべは知らなかったが、あまりにも深く愛しすぎた男のことを語ってほしい…」
(オセロは最愛の妻を嫉妬のために殺してしまいました。)
"Then, must you speak
Of one that loved not wisely but too well;
Of one not easily jealous, but being wrought
Perplexed in the extreme; of one whose hand,
Like the base Indian, threw a pearl away
Richer than all his tribe."
「真夏の夜の夢」から、
I am amaized, and know not what to say.
呆れてものがいえない。(否定文に助動詞が使われていない)
「ハムレット」から、
Frailty,thy name is woman.
よわきもの、汝の名は女なり。