1960年後半から70年半ばにかけて、海外では、ヴァン・モリソンが叫びスプリングスティーンがストリートを歌い、ボブ・シーガーがデトロイトでボブ・ゲルドフがアイルランドで、ジャクソン・ブラウンが西海岸で曲を書いていた。70年後半イギリスでは普通に通りを歩いていた若者がギターを握りパンクムーブメントが起こった。彼らに影響された「ストリート」の歌い手は、日本にも70年後半から複数現れた。それは良質な聞き手が日本の音楽業界に、はっきりいい自国の音楽を求め出した時代でもあった。そしてそれらは一部の価値の無いものを含んで売れていった。しかし少し遅れて小山卓治が83年にミュージックシーンにふっと出てきたとき、これは少し違う、いや、今まで自分は洋楽の延長として日本のロックを聞いていたが、それはつまり日本語で歌う日本人の音楽家の音を聞いて、それをスプリングスティーンの代用として聞いていただけではないか。自分も日本に住んでいるのだから、など少し思いながら。
小山卓治はこれらとは違った。小山の歌うストリートは日本の「通り」であった。聞きやすい気持ちのよい音も遠ざけている。彼の声は、決してロックの歌い手によくあるしゃがれた太い声ではない。細くてきれいな声だ。無用な巻き舌も必要とせず、歌詞に綴られる言葉も驚くような新しい言葉を使っているわけでもない。しかし彼の歌うBackStreetsは「裏通り」となり、WorkingClassは「作業着を着た労働者」となる。決して私小説ではなく、そこに冷静な目による町やそこを歩く、或いは引きずっている人間への観察が感じられる。物語性、イメージしていく心の動き、そしてシュミレーション。そんなことが彼の並べた言葉に多くの刺激を与えているのである。彼にとっては、向こうの音楽はあくまでヒントであって、スタイルのみを一所懸命コピーすることではなかった。夜、ただ道路に寝ていてふと湧き上がるイメージが、どんどん夜空に拡散していくように、その主人公は静かに語り始める。小山はそのときの感じたニオイを曲を刻んでいったのだろう。
私も含めて、小山の音楽原体験は、不幸なものであったと思われる。ビートルズとディランはその時もう既に終わっていて、日本ではフォークムーブメントの最後に吉田拓郎がいたぐらいであったろう。彼がギターを握ったのもそのあたりがきっかけのようだ。そのとき日本のロックは不在であった。派手で、うるさければ思春期の子ども達が満足するだろうハードロックを当時レコード会社は勝手に店頭に並べた。小山が前述のアーティストやビートルズを別れたジョン・レノンに出会い、ある音楽の表現方法を見たことはおそらくその時期の発見だったろう。ロックミュージックは楽しむものだけでなく、肉と精神になるということを感じたはずだ。そこから小山は自身の方向性で音楽を切り開いていった。それは、自分の人生の小さな勝利であり、始まりだった。彼、或いは我々のプロミストランド(約束の場所)は、日本人の彼がきちんとそれぞれの「物語り」の中に静かに埋め込んでくれているのだ。
彼は、ひとつの歌々に、丁寧に時間をかけている。今巷にある歌には、その時間が感じられない。ひらめきはあっても時間と大切さが少し欠けている。それは今の音楽産業の当然の常識なのだろうか。小山を聴くと、ふとそんなことを考えてしまう。考えすぎなのだろうか。
過去に送り出された8枚のアルバムは全て廃盤となっている。現在正規に入手できるのは、1作目「NG!」から6枚目「夢の島」までのベスト盤「Stories」のみである。
彼は東京を中心に、今もライブ活動を精力的に続けている。
彼の現在の活動や、彼の歌を知るには下の「RED&BLACK」にアクセスして欲しい。
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