東 日 本 大 震 災

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 10月12日(金)
南三陸町 (10月11日・12日)
     
 今度南三陸町に来たら必ず泊まろうと思っていた「ホテル観洋」で素晴らしい夜明けを迎えました。昨年はここが避難所となり、多くの町民が避難されていたようです。 南三陸町と言えば 必ずこの防災庁舎が映ります。昨年は漁具やいろんなものが引っかかっていまたが、今は取り除かれ、鉄骨だけになっています。ここは町民の慰霊の場となっていて、西宮市民が西宮震災記念碑公園にお参りするのと同じです。近々取り壊すということですが、町民のお参りする場は残してほしいですね。


   
 支援業務の最終日、また来る時には復興していることを願って眺めた風景ですが、がれきが片付いただけのものでした。今度は何時になるかわからないけれど、ここからの眺めだけではなく、町が復興していることを信じたいですね。。  新しくなった町役場を訪ね、わずかな時間でしたが、昨年一緒に仕事をした懐かしい職員に会うことができました。 


     
 志津川地区の「南三陸さんさん商店街」は、旧県の総合庁舎近くにありました。土地はたっぷりあるので、多くの店舗が集まっています。駐車場には観光バスが来ていて、観光のついでに立ち寄ってくれたようです。これも小さな支援です。仮設商店街は各地を訪ねるので、買物は少しずつのつもりでしたが、寄ってみるとついつい買物をしてしまいます。


     
 歌津地区の道路は、今も橋の流された国道の迂回路となっていて、目的の「伊里前福幸商店街」はすぐに見つけることができました。商店街は大漁旗に囲まれ、にぎやかな雰囲気でしたが、多くの町民は仮設住宅に引っ越し、近くにお住まいの方が少ないせいか、少々淋しい気がしました。


 気仙沼市
   気仙沼市に入って間もなく、「道の駅大谷海岸」がありました。走っているのが片側1車線の国道であるため、車を止めて休憩するにも気を使います。こんな時、道の駅は非常に助かる施設です。
 休憩のついでに海を見ようと建物の横を抜けると、JRの走っていた線路とプラットホームが残っていました。線路から海はすぐそこ。これでは流されても仕方ありません。一部バス軌道に変わったというニュースを見ましたが、もうここを列車が走ることはないのでしょうか。


 
 気仙沼市街につくと、まず「復興屋台村気仙沼横丁」へ。前にフェリーが着く海岸沿いです。屋台村ということで、飲食店のみのように思われますが、店舗には多くの海産物が並べられています。特にメインとなるのは「フカヒレ」のようですが、値段も様々で素人には分かりません。おみやげは、見るだけのつもりでしたが、つい買物をしてしまいました。


 
 9月のNHKテレビで紹介された「フカヒレ鮨」を食べようと南町紫市場へ。店舗の場所は分かりませんでしたが、石垣が映っていたのを思い出し、奥へ奥へと進み、「あさひ鮨」を見つけました。昼食としては少々贅沢でしたが、昼食は仮設商店街と決めていましたので、お腹いっぱいになったことだし、これも支援と割り切りました。


   市の中心部を抜け、視界が開けると、目の前には打ち上げられた大型漁船。モニュメントとして残されているようですが、その下は家のあった所で数軒分が占領され、国道に出る道も完全に塞がれていました。残して欲しいけど、それでいいのか迷うところです。
 船の周りにはコスモスが植えられ、被災地に希望の光を振り撒いていました。


   大型船を目の前にした国道沿いに「みんなが集る場所」と書かれた復興商店街、「気仙沼 鹿折 復幸マルシェ」がありました。駐車場には車も多く、この場所だから買物に来やすいのかも知れません。


 陸前高田市
 
  陸前高田未来商店街は、毎週土日限定で開催される朝市らしく、残念ながらそれらしき店を確認しただけでした。  国道沿いの「栃ケ沢ベース」は軒数が少ないので、ボランティアセンターを目指して走っていた時は、ウッカリ通り過ごしてしまいました。ここの木村屋さんは、旅行前に通販でバームクーヘンを買った店です。もちろん、来た限りにはお土産として再び買って帰ることにしました。 


 
  仮設商店街は津波で流された低地に建てられたものばかりと思っていたら、「高田大隅 つどいの丘商店街」は高台にありました。まさか、まさか、と思いながら坂道を登って行くと確かにありました。2棟の店舗の間は板が敷き詰められ、ベンチもあり、コミュニティの場としての役割も果たしているように見受けられました。


 
 つどいの丘商店街からどんどん道を下って行くと、元の市の中心部へ出ました。もうほとんど建物はありません。壊れた市役所、職員が避難したというスーパー。帰ってすぐに取り壊すというニュースがありました。  無残に壊れた高校。ここも耐震補強の跡が見られます。津波の恐ろしさをどうして考えなかったのでしょうか。


 
 昨年作業をした場所を覗いてみました。本当に静かな場所です。あの老人はきっと元気にしていることでしょう。  小友駅も訪れた場所。6月というのに植えられたコスモスが咲いていました。その時の種が広がったのでしょうか。植えたと言うより、自然に育ったコスモスが駅のあちこちに咲いていました。この駅に、列車が来ることはないでしょう。


 
 小友駅を後にして箱根山へ。ここの左官大工伝承館には、神戸から分灯された希望の灯りが灯っています。神戸から移す式典には参加できませんでしたが、陸前高田市に来た限りには立ち寄らねばなりません。神戸の灯りを拝むのと同様、東日本で亡くなられた方々の冥福を祈りました。



 大船渡市 (10月12日・13日)
   JR大船渡駅周辺の中心部にあった商店が集まり、元駅の近くにオープンしたのが「おおふなと夢商店街」です。ウッドデッキが整備され、買い物客に優しい商店街です。休憩場所にはコスモスが咲いていました。


  「おおふなと夢商店街」から南の国道沿いに、地元飲食店の集まった「大船渡プレハブ横丁」がありました。わざわざプレハブと呼ぶのも変な感じがしますが、それを売り物にするのも、復興書店街の特権かも知れません。


 
 今夜はビジネスホテルなので夜は外食。大船渡屋台村は当初から予定していました。津波に流され、他の宿泊施設もなんとか修復したものの、十分な食事は無理なようです。夕方に屋台村を廻った時にはまだひっそりしていましたが、夜になると客足も増えて活気が出ていました。目星をつけていた「おでん屋」さんで夕食。おいしかったです。女将さんは気さくで、震災当時の話を聞かせてくれました。レストランでの食事とは違った地元の雰囲気を味わうことのできた夕食でした。壁に大きな地図が貼ってあり、どこから来たか書き込めるようになっています。もちろん「甲子園」と書き込んで来ました。


  夜に屋台村を楽しんだので、朝はすぐに釜石市を目指します。外に出ると、夜は気付かなかったのですが、地盤沈下で水に浸かるからでしょう、車道は大きな土嚢が並べられ、70〜80cmくらい嵩上げされていました。震災前の道は、雑草に覆われてはいますが、わずかに見える歩道の点字ブロックで確認することができました。
 空を見上げると、大きな虹が今日の晴天を約束するかように空にかかっています。3日目、最後の被災地の旅が始まります。


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