東 日 本 大 震 災

~ 遠く離れた 阪神・淡路より Ⅴ ~

石巻市 女川町 南三陸町 気仙沼市  陸前高田市
大船渡市 釜石市 大槌町 山田町 宮古市

五度目の東北
 震災から1年半。個人として被災地にできることは、もう、掛け声で復興の応援をするくらいしか残っていません。それでも直後のがれきに覆われた街中を見て来ているだけに、その後の歩みが気になって仕方がありません。
 そんなことから、復興は進んでいないにしても、ニュースで伝わって来る仮設商店街を廻り、復興の足取りに触れるとともに、わずかでもそこで買い物をして小さな支援にしようと、三陸の沿岸を旅行しました。
10月11日(木)
石巻市
     
 三陸沿岸の旅行は、昨年にボランティア作業をした石巻市の門脇地区から始まります。焼け焦げて哀れな姿になっていた門脇小学校にショックを受けましたが、今も変わらぬ姿でした。作業した墓場は新しい墓石になったものもあれば、手つかずで倒れたままのものもありました。先祖の眠る場所はここだけ。墓石が無くなっても、供えられた花束から悲しさが伝わってきました。
 昨年も上った日和山からの眺めは、当時残されていた建物が撤去された分、よけいに淋しく感じられました。


     
 門脇地区の次はいよいよ復興商店街です。「がんばろう!石巻」駅に掲げられたメッセージが石巻の心を伝えてくれます。「ふれあい商店街」は駅前の駐車場に建てられたもので、少々狭い感じはしましたが、店の種類も豊富で、宮城に来たからにはと、早速おみやげに「ゆべし」を買い求めました。被災地を廻る小さな買物の始まりです。


     
  次は川沿いにある「復興マルシェ」です。ここはゆったりとしたスペースで、イベントでのにぎわいがネットで紹介されていましたが、飲食店が多く、にぎわう時間帯ではなく、見学のみになってしまいました。川向こうには「石ノ森萬画館」が見えますが、再オープンは1月後で、まだ見学することはできませんでした。


     
 平成の大合併で、石巻市に編入された雄勝地区。押し寄せた津波のすごさを語るように、冷凍車とがれきが建物の上にそのまま残されています。雄勝公民館も屋上に残された観光バスの報道が印象的でしたが、震災1年を前に撤去されたニュースがあり、もうバスはないと思っていました。ところが公民館横の空き地には、あの観光バスがそのまま放置されていました。危険はともかく回避した。しかし、それ以上のことのできない。これが東日本の実情なのでしょうか。


 
 
 山中の道路を下っていくと、視界の開けた先に大橋が見えました。橋の手前を堤防に沿って下ると、74人の児童が死亡・行方不明となった大川小学校があります。今日は月命日ということで、部外者ではありますが私もお参りをさせてもらいました。手作りの祭壇には造花ではありますが色とりどりの花が飾られ、季節の花コスモスが暗くなりがちな場所を明るく飾ってくれていました。
 この場所は堤防よりかなり低い場所。こんな所で児童を長時間待機させたと聞きますから、開いた口が塞がりません。裏山は急とは言え、決して登れない山ではないし、私たちが雄勝から来た道路をすぐに歩き始めていれば助かったはずです。亡くなった児童を偲ぶ悲しさの中に、どうしても納得できないものがこみ上げてきました。


 女川町
 
 女川の中心部に向かって走っていたら、「コンテナ村」という仮設店舗を見つけました。もちろん、予定にはなかった商店街です。少し奥まった場所なので、入口の石垣に「コンテナ村 笑顔で復興営業中!」 「I♡女川」と書かれ、これを見なければ気付かず通過してしまっていた所です。非常に明るい雰囲気でしたが、時間が悪かったのか、買い物客の姿を見つけることはできませんでした。


 
 「きぼうのかね商店街」は高校のグランドにあり、かなり大きいはず。もう一度引返し、分岐路を見つけ坂道を上り、やっと見つけるとができました。入口には交番や銀行もあり、店の数も今までで一番多い商店街です。時間はお昼時。さっそく食事場所を探します。近所で復興作業をしている人に「おいしいよ」と言われたお食事処に入りました。味は当然のことながら、その量は大変なもの。力仕事をしている人には丁度いいかも知れませんが。旅行中の者には量が多過ぎます。それでも食べ切りました。これも被災地の応援になるのですから。


 
 「きぼうのかね商店街」を出て坂道を下って行くと雑草の茂った野原。と思ったらそこは建物の跡。手つかずのまま放置されていました。そこを過ぎると海岸へ出ます。周辺は復興作業が進められていて、ガードマンに誘導されるまま走ると、あっという間に中心部を過ぎてしまいましたが、まだ津波で横倒しとなったままの建物が残されていました。


 コスモスの詩のトップページに戻る  このページのトップへ 東日本大震災TOPへ