イメージ深いアーティスト。優しい転調のメロディに鋭い言葉が刺さっていたり、激しいギターサウンドに弱々しい言葉を並べていたりする。
退廃的でありパワーを持続させているルー・リードのロック、ソロでのジョン・レノンの内向的精神、ジャクソンブラウンっぽい暗示的なものから、ドッラグ風な歌詞、日本語の韻を意識した美しい言葉の連なり、リフの連続、圧倒的なギター音で感覚を麻痺させるもの。そして空間を意識したアレンジ。繰り返し。ギターは、度々分散してピッキングされている。ライブのようなギター撮りもあったり。そして時折、ループされるそのギター音が瞑想に導かれる瞬間がある。そこに歌詞の意味があるような錯覚。例えば、ブライアン・イーノがしているような音楽手法を感ずる時もある。
感情が揺れるとき、怒るとき、弱いとき、沈んで落ちていくとき、それを歪曲して表現しているように見えて、実はストレートなんだ、と何度も聞いてると思えてくる。ふと、ピート・タウンシェンドの影も見える。つまり、ひねくれたやつが純粋に見えてくるように。ロックアーティストが辿る道なのだ。つまり非常に良心的といえる。
感情を殺して語る。そのままに受け入れる心の難しさを語ってくれる。難しさを語るのでなく、そのままにいることの難しさに共感する。センチじゃない共感、シンパシー。
新しい試みがあって楽しい。五十嵐 隆のバンド。
彼の声は時々高音で掠れ、曲作りにトップの音を敢えてその辺に持ってくる。ヴォーカルも詩のイメージに合って効果的である。上手いと言うより、五十嵐節?
一見難解な歌を、普通の心で聴いてみよう。普通に感じられることがたくさんある。ふっと思い出すことがいくつかあるはず。何も異常ではない。
自分に酔うことを許されないなら、誰だって不安定になる。
その一瞬を切り取ったら、もしかして彼の音楽なのかもしれない。
どこにも辿り着かない彼の言葉にうずくまって、少し安堵する。
終わりも行き着くところも何もない。きっと現実なんて、どっかに行けて結論が出せるほど、そんな気持ちのいいものではないんだろう。背負ってしまった人の原罪を歌う。
彼はいつも少し向こう側に座ってる。
でもやさしさってそんなもんだろう。
ロックの本質を知るアーティストとして重要な位置にいる。
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