本当にその通りなのだと思う。しかし、残念ながら当時の私はこのことに気づけなかった。
私もよく、周りがしていたように、それが知人であれ、見ず知らずの人であれ、練習中に走っている人を見れば必ず「ファイト」と声をかけていた。苦しそうな人を見れば、心から「ファイト!頑張れ!」と思っていた。
それは確かに心からの言葉ではあったけれど、でも今思えば、それは肉体的な苦しみを自分のことのように感じての「ファイト」であったように思う。純粋に「走り」に対しての「ファイト」ではなかったのだ。
走りに喜びを見い出し、走れることの素晴らしさを感じてのものではない、ただ単に苦痛から逃れるための「ファイト」だったように思うのだ。
結局私は引退の時まで陸上を続けたけれど、でもその最後の時が近づいてきても尚、主人公達のように陸上に対して心を捧げることはなかった。打ち込むことを頭から放棄し、陸上を愛そうともしていなかった。
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