G・馬場 対 A・猪木



今回は、プロレス界最大の夢のカードでありついに幻のままとなってしまった「G・馬場 対 A・猪木」について、平成ファンの私が生意気にも話してみたいと思います。


馬場と猪木というと、力道山亡き後の日本プロレス界を引っ張った二大スターであり、一般的知名度も他の比ではなく、まさに日本のプロレスの顔と言えます。

「馬場 対 猪木」というのは若手時代(猪木が猪木寛治の頃)には何度かシングルが実現しており、この頃は馬場は負け知らずです。
その後、猪木が東京プロレスから日本プロレスに復帰してからは、日プロの二大エースとして同一線上に並べられるようになり、タッグを含めて一度も対戦をしていません。



じゃあ、馬場 対 猪木なんて実現していないんじゃないか?

確かにそうです。リング上で直接は戦っていません。しかし、目に見えない戦い、政治的な戦い、というのは常に行われているのです。
それを2つほど挙げてみます。


1つ目は、「卍固め開発」。
卍固めと言えば、猪木の必殺技としてあまりにも有名です。
名称は一般公募して決まった、カール・ゴッチから伝授された、等は猪木ファンには周知のことでしょう。

さて、猪木がこの技を初公開したのは68年12月13日、ブルート・バーナードという選手にきめたときです。試合後に控室で「ここ数週間、使うチャンスを狙ってました。いつも使うコブラツイストはスカされるし、誰でも使える技ですが、これだけはウルトラC級で、相手が大きいほど決まる利点があります」と、記者達に説明しました。この時、猪木の横にはこの日のパートナーだったジャイアント馬場がいたのです。
これまで猪木のフィニッシュ技といえばコブラツイストと決まっていました。そのコブラを「誰でも使える技」と、馬場の横で言ったのには大きなわけがあります。

実は、この少し前から、馬場もコブラをフィニッシュとして使い出していたのです。猪木が何年もかけてフィニッシュとしての説得力をつけさせたコブラを、馬場があっさりと盗んで(語弊のある言い方ですが)しまったのです。
屈辱的な思いをした猪木は、”コブラを越える技”として卍固めを開発し、わざわざ馬場の眼前で公開したというわけです。
猪木の馬場に対する反骨心を象徴するエピソードと言えるでしょう。


2つ目は、「力道山13回忌」。
1975年は力道山の13回忌に当たることもあり、馬場は大きな興行を打とうと考え、国内外から広く選手を集める「オープン選手権」を企画しました。発表会見にて馬場は「猪木君が参加した場合、私との対決という可能性もある」と、初めて猪木戦実現に関するコメントを出しました。猪木の参戦を歓迎するという姿勢を打ち出したのです。

これまで猪木は幾度も「馬場への挑戦」を表明してきました。それを馬場はことごとく黙殺あるいはテレビ放映権をめぐって断ってきました。そんな馬場を猪木は「弱虫。逃げるのか」と挑発していました。

それに対する馬場の強烈なカウンターパンチがこのオープン選手権だったのです。
さらに最終戦(12月11日)を力道山の命日にするという念の入れよう(?)でした。これを猪木が断れば「今まで散々挑発しておいて、どうして受けないんだ?」という目で世間から見られるようになるのは当然の事ですし、力道山の直弟子でありながら13回忌に出席しない(最終戦は13回忌も兼ねていた)のは力道山家との関係の悪化にもつながりかねません。

結局猪木は、オープン選手権の最終戦と同日には新日本独自で興行を行い、自分なりに力道山を供養する大会を行うことになりました。

裏事情を言いますと、馬場さんは知っていたのです。猪木は新日本の社長であるし、テレビ放映権の関係などもあって、単身全日本に乗り込めるほど身軽ではなかったという事を。
また、同じように、馬場が新日本に上がれないというのは、猪木も知っていたのです。
お互いの事情は知っているはずなのに、猪木は盛んに馬場を挑発する。それに対する馬場が強烈な報復攻撃に出たというわけです。

満を持しての猪木への参戦依頼。そして力道山という絶対的な存在の登用。この時、猪木はマスコミや力道山家からはかなり辛辣な扱いを受けることになります。
馬場の作戦は大成功を収めました…………。

が、流石は猪木、転んでもただでは起きませんでした。
この75年12月11日はアントニオ猪木vsビル・ロビンソンのただ一度の一騎打ちが行われたのですが、これは「猪木生涯ベストバウト」に挙げる人がすごく多い、半ば伝説となっている名勝負なのです。
猪木は、何故力道山の13回忌に出席しないんだ? ときかれたときに「大勢が集まるだけが供養ではない。俺は名勝負をすることが最大の供養だと信じている」と発言しており、まさに有言実行の形になったわけです。

猪木の執拗な挑発。馬場の反撃。猪木の名勝負。
冷戦なのに、すごく壮絶です。



他にも、外国人の引き抜き合戦(新日がブッチャ─を引き抜いたのを契機に、両団体で企業戦争が勃発。最終的には両社の間で協定が結ばれる)や、大木金太郎にどのように勝ったか(各々独立後に、大木金太郎とシングルを戦っている。後に戦った馬場は、猪木の勝負タイムの半分ほどの時間で仕留めた)など、二人の目に見えない闘いはたくさんあります。

今のプロレス界には、こういう長く根の深い因縁はあまりないように思います。大学の先輩・後輩だとか、同期入門とか、その程度しかないような。
こういう(新日と全日の対立)話をすると、良くも悪くも、昔のプロレスの匂いがしますね。



参考文献 :「猪木神話の全真相」 KKベストセラーズ
:「馬場伝説」 筑摩書房



コラムのトップにかえる


Michael's Spaceのトップにかえる



全日1・17観戦記



1月17日(月)全日本 大阪府立体育会館大会
(※フォントは小さ目のほうが見やすいです)


第一試合
志賀賢太郎(スイングDDT)森嶋猛×

森嶋が最初元気良かったですが、結局は順当に志賀の勝ち。
ま、第一試合だし、こんなもんでしょう。



第二試合
垣原賢人
小川良成
(ヒザ十字固め) 泉田純
菊池毅
×

アンタッチャブルvs頭突き組の試合。
垣原はキックを、菊池&泉田は頭をフルに使ってました。最後はジャーマンを切り返してヒザ十字を極める、垣原得意の返し技。



第三試合
×丸藤正道
百田光雄
ラッシャー木村
(ムーンサルトプレス) 金丸義信
永源遥
渕正信

ベテランと若手が混じってます。ベテランはいつも通りに、若手同士は激しく火花を散らしていました。
一番驚いた動きは、フジマルがコーナーに振られたら、ボトムロープにポンポンと乗って巧くかわしたヤツ(説明し難いですね)。思わず「おぉ〜、カト・クン・リー!」と唸ってしまいました。でもフジマルは派手な技に行く直前の“間”が長過ぎるのように思います。



―― 休憩 ――



第四試合
井上雅央
本田多聞
(横入り式エビ固め) M・モスマン
ジョニー・スミス
×

アジアタッグコンビと、今シリーズ世界に挑戦したスミスがいれば、モスマンはちょっと苦しかったようです。ただ、モスマンの動き自体はとてもよかったです。また、本田のジャーマンやスミスのネックブリーカーも光ってました。最後は丸め込まれてモスマンの負け。
やっぱ三沢政権になってから、モスマンは勝てませんねー(よく志賀にフォールされてますから)。



第五試合
馳浩
高山義廣
大森隆男
(アックスボンバー) スコーピオ
ジョージ・ハインズ
ジョニー・エース
×

馳の人気が凄かったです。中盤にジャイアントスイングを出してから相手チームに捕まってかなり攻め込まれていたのですが、その間ずっと、会場は馳への声援一色でした。
馳がピンチを凌ぎきった後は、大森がいいペースで相手を攻めて、最後はアックスボンバーで決まり。アックスボンバー人気も凄かったですね。
あと、スコーピオがすごく景気よく飛んでくれました。450°スプラッシュこそ出しませんでしたが、100kg(ちょっとオーバー?)の体であれだけ飛べるなんて、大したもんです。



第六試合
S・ウィリアムス(殺人バックドロップ)マイク・バートン×

WWFの格闘技トーナメントで実現し、でその時は左フックでバート・ガン(当時)がウィリアムスに勝っています。ウィリアムスにとっては日本に場所を移しての雪辱戦となるでしょうか。
試合は全体的にゴツゴツした攻防が大半を占めていました。特にラリアットは両者ともよく出していましたね。といっても、二人とも場外へダイブもしたし、ウィリアムスは珍しく投げ捨てドラゴンスープレックス(オブライトが乗り移ってた?)を出したりして試合は白熱しました。、最終的にはバックドロップでウィリアムスの完勝。



第七試合
秋山準
三沢光晴
(助走付きローリングエルボー) ベイダー
田上明
×

ベイダーと秋山の三冠の前哨戦となった試合。が、両者とも勝敗には絡まず。4人の技の高度さについてはいまさら言うまでもありません。会場を大いに沸かせていました。
が、苦言を一つ。カード的にも随分と豪華だし、試合内容もよかったのですが、マッチメーク的にはあまり良くないと思います。第六・八試合のカードを先に決めちゃったからとりあえずここに詰め込んだ、という感じですから。ファン感や夢のカードならまだしも、ここで組む必要はなかったと思います。三沢政権になってから、こういうのって結構あるんですよね。



第八試合
小橋健太(至近距離ラリアット)川田利明×

川田の復帰戦であり、且つ5年前に震災二日後に60分フルタイムを行った二人の再戦でもあります。
川田の復帰戦といえば、去年のドームでの馳との一騎討ちが思い出されます。あのときはハッキリ言って万全の状態ではありませんでした。それがあったので、私は川田の体調を心配していたのですが、それは杞憂に終わりました。
序盤から両者とも早いペースで大技を出しました。特に目新しかったのは張り手の打ち合い。こんな原始的な技でもこれだけ魅せれるんだなぁ、と感心しました。最後は至近距離ラリアットで小橋の勝ち。試合後は大・川田コールに包まれました。
勝負タイムこそ18分台とそう長くはありませんでしたが、実に濃密で、全日本らしい攻防が見れた試合といえるでしょう。



いろいろ総括
さすがはメジャー団体だけあって、十分満足させてくれた興行でした。
特に後ろの4試合の間は、常に観客が沸きっ放しで、選手達もそれに乗せられるかのように高度な攻防を披露してくれました。シリーズも終盤に差し掛かっているというのに、スゴイです。
さて以前に、全日本は府立体育館の観客動員で苦戦している、と書きましたが、今回の公式発表では3600人。観客動員の面からは、あまり成功とは言えないかもしれません。
しかし、見た限りではアリーナはほぼ完売していたようだし、二階席も8割方埋まってました。そして何より、お客さんの沸きはすごいものがありました。
「純粋に試合内容だけで勝負する」という方針を有言実行している全日本プロレスが、もっと報われるように祈りたい想いです。



コラムのトップにかえる


Michael's Spaceのトップにかえる



三沢vs馳



現在ネット上で、1月9日に行われた三沢vs馳の一騎打ちについて盛んに議論されているようです。
そこで、私もその流れに乗って、この試合について話してみようと思います。


まずこの試合を一言で言うならば「馳の右腕攻め」に尽きるとおもいます。 前半から(と言っても、TVでは大幅カットでしたが…)試合終盤に至るまで、馳は三沢の右腕を徹底的に攻め続けました。これに対する三沢の対処法は“ガマンする”、“ロープに逃げる”のみでした。
これによって、昔からイメージとしてあった「全日はサブミッションを知らないんじゃないの?」という説(?)に証拠が与えられたような形になりました。

試合の勝敗についてですが、馳が負ける試合は「万全のノーザンで決められなかった」試合です。
この試合では裏投げ2連発(かなりエグい角度でした)からノーザンを出しましたが、あえなくカウント2。こうなると試合は「全ての技を受け止めた三沢の貫禄勝ち」へ一直線。
最後は強引な形での、三沢のランニングエルボーがフィニッシュでした。


見難かったというのもあるのでしょうが、観客は馳の腕攻めに驚くほど静かでした。「関節技じゃフィニッシュにはならない」というのが全日本での常識となってしまっているのでしょうか?
確かに最近の全日本ではスタンディングでの打撃の応酬がかなり多いような気がします。また、スープレックスも“ブリッジの効いていない”投げっ放しが多いです。
馳は試合で、グランド状態が試合の大半を占める、スープレックスはキチンとホールド、というのをやってみせました。
これが馳の全日本に対するメッセージではないでしょうか?

試合後の馳のコメントです。
全日本プロレスがこのままでいいのかって疑問もあるし、オレ自身このままでいいのかなって疑問もある。そういうのを確かめる試合がしたかった」



コラムのトップにかえる


Michael's Spaceのトップにかえる



名勝負論・ペガサスvsBタイガー



(※フォントは小さ目のほうが見やすいです)
私が「これだけは別格!」と思っているカードは三つあります。

1つ目が 「三沢&小橋 vs 川田&田上()」
2つ目が 「B・ハート vs S・マイケルズ ()」
これらについては、それぞれこれまでのコラムにてテーマにしてきました。

そして、今回テーマにするのが三つ目のカード、

ワイルド・ペガサス vs ブラックタイガー

です。


クリス・ベノワvsエディ・ゲレロも含めれば、あちこちで実現しているとは思いますが、ここでは私の記憶する限りの試合を列挙してみます。
日時、試合名、勝者の順になっています。

94年4月16日Jカップ1st、2回戦ペガ
94年6月6日スーパージュニア、公式リーグ戦BT
94年9月27日IWGPジュニア王座決定戦準決勝ペガ
95年7月4日スーパージュニア、公式リーグ戦BT
95年7月13日スーパージュニア、優勝決定戦準決勝ペガ
96年6月11日スーパージュニア、優勝決定戦準決勝BT

二人の試合は雪崩式など、あまりに連発すると嫌悪感を生むような技も使いますが、不思議なくらいにイヤミな感じはありません。もはや芸術の域にまで達した技の攻防は「究極」という言葉がよく似合いました。
とにかく、観る者を黙らせてしまうわけです。
そして、ハズレがない。まさにジュニア界の黄金カードと呼ぶにふさわしいものです(これに続くのがライガーvsサスケでしょうか)。

そして最後の三試合を見ると、「雪崩式BTボム」、九日後に「雪崩式ツームストン」、そして翌年には「雪崩式ツームストンをこらえての雪崩式垂直落下ブレーンバスター」と2年越しの大きな流れを作りあげました。
この辺りも、小さく扱われがちなジュニアが意地をみせて、大きな抗争をしたようにも見受けられます。


さて、私が好きな3つのカードのうち、1の四天王対決はまだ実現の可能性もあります。が、この組み合わせでは、もう長らく試合をしていません。
2のヒットマンvsHBKはショーンの引退によって、実現可能性はゼロと言えてしまうでしょう。
そして今回取り上げた3も、両者とも来日回数は減っています(特にブラックタイガーが)。また、WCWの方でも、ベノワはヘビー級、エディはクルーザー級に照準を絞っているので、ここでも対戦する可能性は低いと思われます。

つまり、私の好きなカード・ベスト3は全て、現在では実現不可能と言っていいものばかりになってしまってるわけです。寂しいですね。

今後、これらのカードを上回る黄金カードが生まれることを望みたいです。




コラムのトップにかえる


Michael's Spaceのトップにかえる