年齢による衰え



先日、全日本プロレスのファン感謝デーにて、百田光雄選手がデビュー29年目にして日本では初めてのメインイベントのリングに上がりました。
同じく長らく前座戦線を賑わしていた永源遥選手もメインのリングに上がり、普段とは一味違った熱いファイトで観客を大いに沸かせました。
また、渕選手も久しぶりにシングルマッチを行い、ジュニアのホープ・志賀選手を鬼のようにいたぶり、存分に存在感を示しました。


さて、このように全カードを抽選で決めるという画期的な大会は、ベテラン勢の活躍により大成功に終わったわけですが、残念ながらラッシャー木村選手だけは出場しませんでした。一応発表では負傷による欠場だったのですが、私は「もし抽選でシングルマッチになってしまったら困るので、欠場して逃げた」のだと思ってます。
一ヶ月ほど前に生観戦をした時に木村選手を見ましたが、ハッキリ言って相当に衰えてしまっていました。6人タッグだから何とか体裁は保てていましたが、あれでシングルだと、メジャー団体としてはちょっと見せられないような試合になってしまうでしょう。

百田選手や永源選手は、この日のために、いつもよりも多めの練習をこなしていたそうです。これはG馬場選手が還暦記念試合に臨んだ時と同じ状況です。

さてここでブルーザー・ブロディのセリフを引用しますと、
「たいていの奴は一晩だけはタフだ。ただ、トップレスラーたるものは毎晩タフでなければならない。そこがこのビジネスの一番ハードシップなところさ」
となるそうです。

つまり、百田選手や永源選手は一晩だけ(ファン感謝デーのみ)なら熱い試合は出来ますが、それを3日連続でやれと言われれば、それは年齢的に無理なわけです。


やっぱり、大きな試合にに単発出場する選手よりも、地方興行で毎日メイン・セミを戦っている選手の方がエライといえるでしょう。



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大森ブレイクを考える



今年(といってもまだ9月半ばですが)のプロレス界で、最も大きな飛躍を果たした選手といえば、私は全日本の大森隆男を挙げます。
対抗としては新日本の中西学でしょうか?


さて、大森がブレイクしたキッカケは二つあると思います。
ひとつは「アックスボンバーの習得」。
もうひとつは「ノーフィアーキャラクターの定着」。

アックスボンバーとは言うまでもなくハルク・ホーガンのオリジナル技です。スタン・ハンセンのラリアットが流行し出していた頃に、ホーガンはその亜流とも言うべきアックスボンバーを考案しました。ラリアットは肘の内側で相手の首を掻っ切るのですが、アックスボンバーは肘をほぼ90度に曲げて(古館アナの“三つ又の槍”という名フレーズもあります)相手の顔面を殴りつけます。
一応はラリアットとは別の技として分類されるのですが、実際の所はホーガンがハンセンと同じ技を使うのを嫌がっただけでしょう。

日本人の中では大型の大森が腕をぶん回し、相手の顔面を殴りつける様には、爽快感があります。
また、アックスボンバーはラリアットに無い動作として、「腕の振りぬき」がありますが、大森のそれは、実に迫力満点です。もはや、大森はアックスボンバーを完全に自分のものにしたと言えるでしょう。

高山と二人でやる「ノー、フィアーー!!」にしても、ゴールデンカップスと新日的コメントが混ざっただけで、初めのうちは冷ややかな目で見られていましたが、一途に(?)続けたことで、こちらも完全に定着しています。

今年の1月31日にジャイアント馬場さんが亡くなり、その出棺の時に、一番泣いていたのが大森でした。馬場さんは常に秋山のライバルには大森しかいないというような趣旨の発言をしていましたが、なかなか期待に応えることはできていませんでした。

しかし、前の武道館では「秋山vs大森」が見事に武道館のメインを飾りました。内容的にも十分の好試合だったと思います。

「もう少し早く、今みたいになってればな…」
というのが、天国の馬場さんと、古くから(あすなろ時代)の大森ファンの率直な心境でしょうか。



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天龍vsベイダー



プロレス界には夢の対決と呼ばれるカードがたくさん眠っています。
ついぞや幻となってしまったジャイアント馬場vsアントニオ猪木(猪木寛二時代には実現しているが)、ジャンボ鶴田vs藤波爾巳などもあります。

さて今年の上半期に、私が今最も見たいなと思ったのが天龍vsベイダーです。
この二人(私の記憶する限りでは)タッグでも対戦したことが無いはずです。

天龍は全日本出身。ベイダーは新日本で名を挙げた選手。そして今の活躍の場は天龍は新日本、ベイダーは全日本です。
見事なまでのすれ違いを演じています。

天龍といえば、鶴田や長州との戦いも強烈な印象を残しています。その一方で、ブロディやハンセン、ホーガン、そしてレスリングサミットでの伝説的なサベージ戦など、外国人選手とも数多くの名勝負を残しています。
そして、昨年の9月にスコット・ノートンと初対決(タッグ)した時に「ノートンにはハンセンやブロディとは違うものを感じた。IWGP獲って欲しい」とエールともライバル宣言ともとれる発言をしました。
この発言を聞いて、私は「天龍は外人と相性のいい日本人だ」と再認識しました。(この後ノートンは永田とのIWGPチャンピオン決定戦に勝って見事にIWGP王座に就くのですが、天龍のIWGP初挑戦は次チャンピオンの武藤の時になってしまい、残念ながらノートンvs天龍の一騎打ちは実現しませんでした)

一方のベイダーは猪木、藤波、橋本、高田などどちらかというと日本人選手との名勝負の多い選手です。新天地・全日本で昨年から大暴れしていますが、三沢戦や小橋戦は名勝負の名に恥じない試合です。
すっかり全日本に馴染んでいるといえるでしょう。

二人とも直線的(と言うと語弊があるかもしれませんが…)な攻めと、決して後ろに引かないファイトを身上としています。
そういう同タイプのレスラーがぶつかったらどうなるか? ファンなら想像するだけでも興奮してしまいます。


天龍vsベイダー。

今のところ実現の可能性は極めて低いこのカード、あなたは見てみたいと思いませんか?



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名勝負論・ヒットマンvsHBK



(※フォントは小さ目のほうが見やすいです)。
ブレット・ハートとショーン・マイケルズ。
これはホーガン離脱後のWWFのトップの座をめぐって政治力でも試合の勝敗でも争ってきたまさにライバルです。

さて、この二人の一騎打ちはPPVのメインでは三回実現しています。その試合結果は

1、1992年

11月

25日

サバイバー・シリーズ … ヒットマンの勝ち
2、1996年

3月

31日

レッスルマニア12 … HBKの勝ち
3、1997年

11月

9日

サバイバー・シリーズ … HBKの勝ち

となっています。当然すべての試合にWWF世界ヘビー級が賭けられています。
では順番に3つの試合を見ていきましょう。

1、
ヒットマンとHBKにはレスラーのタイプとして大きな共通点があります。それは「体は大きくないが、研ぎ澄まされたテクニックと抜群のセンスを持っている」と言う点です。この二人が台頭してくる前はWWFのリングではホーガンに象徴されるような、筋肉マンタイプのレスラーがトップグループを独占してました。しかし、カードのマンネリ化とステロイド疑惑によって方向転換を余儀なくされるのです。そこでWWFの取った方針が、スキルを持ったレスラーを使う、というものです。
その結果、WWF・ニュージェネレーションと呼ばれる世代が台頭してきました。その代表がショーン・マイケルズです。
ホーガンは93年6月13日を最後にWWFのリングを去りますが(それまでから長期欠場を繰り返していた)、この時点でヒットマンとHBKのシングルがPPVのメインをとるというようなことは、2・3年前までは考えもつかなかったことなのです。

さて試合ですが、この頃のHBKはまだスウィート・チン・ミュージックを完成させておらず、ヒットマンがシャープ・シューターで完勝しています。


2、
レッスルマニアのメインイベントだったこの試合。試合形式は60分のアイアンマッチです。が、結局60分ではどちらもフォールを奪えず、延長戦となり、ここでショーンのスウィート・チン・ミュージックが決まり、ショーンの勝利。
この勝利で勢いを得たHBKはその後丸一年間、WWFを一人で引っ張る大活躍を見せます。

試合は乱入や凶器などは一切使用せず、また、無意味な膠着などもありません。純粋にレスリングだけで60分を超える試合を作ってみせたのです。あらためて二人のレスリングセンス・テクニックについて感服させられる内容でした。
ショーンが勝ったのは、スウィート・チンを完成させていたのと、試合運びが上手くなっていた(前回の対決では、ショーンがフロントヘッドロックを掛けている時間帯は正直眠かった)のがその要因だと思います。


3、
ヒットマンとHBKの最後のシングルマッチです。
この試合の頃になると、二人の間に確執があったことは関係者やファンの間では公然の秘密となっていました。さらにヒットマンがこの試合を最後にWCWに移籍するのではないかという噂もありました。そういう状況で組まれた1年8カ月ぶりの一騎打ちでした。
このときは二人ともヒールのポジションでしたが、そういう細かいことは忘れさせてくれるような激しい試合(感情剥き出しだったとする見方もあります)となり、まさに二人の戦いの集大成となるかと思われました。

が、ショーンがシャープシューターの体勢に入ったところで唐突にゴングが鳴り、ショーンの勝ちが宣告されました。
確かにサソリ固めの体勢にはなりましたが、ヒットマンがギブアップの意思表示をしていないのは明らかで、そこから体を入れ替えて逆にシャープシューターを決めようとしたところで、いきなりゴングが鳴ったのです。何とも不透明な形での決着となりました。
ゴングを鳴らさせたレフェリーは、直後に逃走。ヒットマンとHBKは「何が起こったんだ?」という顔で、ビンス・マクマホンの方へと目をやっていました。

ヒットマンはマクマホンに唾を吐き、控え室では強烈に一発殴ったそうです。この辺りの経緯はヒットマン主演の映画「レスリング ウィズ シャドウズ」に克明に映されています。
HBKにとってもこのような結末は不本意だったのでしょう。本部席のベルトを取り上げると、仏頂面のまま引き揚げていきます。すぐ横にジェリー・ブリスコがなだめるように側にいたのも印象的でした。

ショーマンシップ化されたWWFにてレスラー達のシュートな部分が表に現れた、実に歴史的なシーンでした。この日の出来事は「モントリオールの長い一日」と言われています。



結局、ヒットマンvsHBKというのは、ホーガンによるアメコミ調のプロレスと、ストーンコールドとマクマホンJr.による連続ドラマプロレスとの間で生まれた純粋なレスリングで見せるプロレスなのでしょう。
このプロレスは、レスリング技術とショーマンシップが極限まで融合されており、一戦一戦に歴史が刻まれていきます。まぎれもなく、プロレス界最高峰の対決でした。

現在、ストーンコールド人気で繁栄しているWWFですが、私にとっては、ヒットマンとHBKのいないWWFのリングというのは寂しく感じられます。



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