Brambly Hedge
―茨の境界―
〈2〉
昼間の街はやけに静かで、夜の熱の匂いもなくしんとしている。それでも朝はまだ帰
って行く客や客を見送る娼婦達の姿などがあったのだが、日が南へ昇る頃になると、気
怠そうに窓から道を眺めている者やしどけた姿のまま煙草をふかしている娼婦の姿があ
るだけだ。
祭りの後の静けさ、とでも言うのだろうか。その毎日繰り返される外の様子を飽きも
せずに見下ろしながら、カイトは逸る気持ちを抑えて夜になるのを待った。
「・・・カイト坊ちゃま・・・本当に行くのですか?」
と暫し不安そうにジイが聞いてきたりもしたが、決めた事を曲げるつもりはなかったの
で無言を貫くと、ジイはそれだけで悟ったらしく、「左様で御座いますか・・・」と呟いて
静かに出ていった。
ジイは自分の前の代・・・つまり父親の頃からの付き人で、随分昔から良くしてもらって
いる。生まれた頃から面倒を見ていてくれた所為か、自分の行動パターンを知り尽くし
ているといっても良い彼は接するのに楽な人物だった。
面倒臭い説明無しで話せる人物。自分と対等な知識や頭脳を持つ人物。そんな存在は、
カイトは生まれてこのかた父親しか見た事がない。
ジイにはとても言えたものではないが、カイトは未だに出会った事もない、本当にい
るかも解らない存在を探していた。
自分と、対等になれる者を。
カツ、カツ、カツと速いテンポで廊下の床板を蹴る彼女からは明らかな怒りのオーラ
が発されていた。
肩で揃えられた金茶の髪に薄茶の目。怒りを湛えたその顔の造作は一瞬息を呑むほど
整っており、そして大の男でも後退さってしまうほどの迫力がある。
その身は繊細且つ機動性に優れた造りをした黒衣の上から真白の白衣を纏い、質素な
色合いをも彼女の意志の強そうな容貌を強調している。
しかし、どんなに美しくてもやはり白衣を翻し闊歩する姿は隙がなく鬼気迫るものが
あり、信じられない事に異性から声をかけられた事は一度しかなかった。
それは兎も角、館の医師を勤める彼女はとある進言をしに館長の下へ向かっている。
周囲を威嚇するような気配も混じっている彼女の様子に、しかし慣れたものなのか館
内に行き来する者達は全く気にした様子はない。ただ、「あ〜またか・・・」とか「大変だ
よなぁ」とかいう呑気な感想を持って彼女の後ろ姿を見送るだけだ。
目指すのは館長の寝室。滅多に訪れる場所ではないのだが、時と場合によってはここ
に来なければならない理由が彼女にはあった。
「失礼しますっ!館長!!」
ガンッ!という普段にはない蝶番が軋まんばかりの荒々しい音を立てて乱暴に扉を開け、
滅多にしない怒鳴り声というものを上げて室内に入ると
、年の掴めない、しかし貫禄を
漂わせたこの館の主・・・ユウサクが極々穏やかな微笑みを彼女に向けた。
「やあ、シホ。どうしたんだい?そんなに急いで」
柔かい紳士な口調だが、これで騙されてはいけないのをシホは十二分に知っていた。
「裏で何を考えているか解らない人物」とか「二重人格」とか「タヌキ親父」などある
意味失礼に値する言葉はこの男の為にあるのだ。
「・・・知らないとは言わせませんよ、館長」
怒気というよりも大の男でも逃げ出しそうな殺気すら含んだ彼女の声に、怯むどころか
顔色も変えずに朗らかな調子でユウサクは「はっはっは、何のことかな?」などと言っ
て笑っている。
自分の感情を全く見せない。そういうところが嫌なのだ、とシホは自分のこの男に抱
いている感情を正確に理解していた。
「あの人を、今日出すつもりだって聞いたわ。・・・どういうつもりなんです?」
奈落の底まで辿り着けそうな低い声で、シホは絞り出すように言う。
これが、今日の大問題なのだ。彼女が主治医をかって出ている患者は無理すれば必ず
倒れてしまうという体質を持っていた。
もっとも、それは本人による自己管理の無さからくるものが殆どの原因なのだが、ち
ょっと前にも彼の患者は一度倒れたばかりなのだ。
「彼を出すなんて到底無理だわ!ちょっと前にも倒れたばかりなのは貴方も知っている
でしょう!?」
館長であるユウサクにこれだけ食って掛かれる人間は少ない。普段は表面上を優し気な
マスクで覆って隠しているが、何とも言えない不思議な威圧感を放っている彼に逆らお
うとするものはこの館には殆どいないのだ。
彼女は、彼に反対できるその少数の人間の中に含まれていた。
「そう言われてもね、コナンが是非にって言うし、本人も承諾したんだ。・・・どちらかと
いえば嬉々としていたよ」
「・・・コナン君が・・・?今度は何を企んでるって言うんです?」
きっと曲げられる事のない、決定されていると表明する言葉に、遅かったわ・・・と溜め息
を吐いてからじと目でシホはユウサクを見上げた。取り敢えず不問にしようという態度
を取る当たりはかなり譲歩しているだろう。しかし、ユウサクが「コナン」という言葉
を吐き出した時点で何かを企んでいる事をシホは悟った。
コナンが絡むと、絶対に何かの思惑がある、とシホは思っている。事実、この二人が
顔を合わせて相談していた事に、「普通」だった事は一つもない。
そして、この彼等の企みを止める事が出来たことも悔しい事にたった一度もなかった。
「・・・教えるつもり、ないんですね?」
「察しが良いね。第一、教えてしまってはつまらないだろう?」
すぐにわかるさ、とニコヤカに答える紳士にシホは肩を落し、疲れたように溜め息を
吐いて降参のポーズを示した。
「・・・彼に、危害は?」
最も重要なところだけを聞く事にする。
「勿論ないさ」
一体どこからくるとも知れない自信満々な表情を、取り敢えず信用する事にしてシホは
軽く会釈をしてから無言のままに部屋を出た。
「あるはず、ないだろう?」
いかにも楽しそうな声で、容易に想像できてしまう笑みを浮かべているであろうユウ
サクを敢えて無視して。
館長の部屋を後にした彼女の機嫌は最悪だった。部屋に赴く時以上の怒気を体中から
迸らせながら目的の部屋に向けて廊下を突き進んで行く。
(まったく・・・あれをやらせるなんて神経を疑うわよ。コナン君も何を考えてるのかし
ら)
今二も何かに八つ当たりしそうなアイの雰囲気に、周りの者はとても声をかけられな
いでいる。怒っている彼女には近づいてはいけない、というのは既にこの館での不文律
となっている。はっきり言って何をされるか解らないからだ。
恐ろしい事に、触らないでもいいような祟りを持っている神に触った者達はすべてこ
の館を辞めていた。
他にも色々な鉄則があるのだが、それらは未だに破られた事はない。・・・皆自分の命
が惜しいのだ。
彼女が超絶に不機嫌な気を撒き散らしながら歩いているところに、彼女の不機嫌をも
のともしない者が一人、後ろから声をかけた。
「よぉ、シホ。な〜にそんな怖ぇ顔してんだ?折角の美人が台無しだぜ?」
極めて明るく声をかけたのは、12,13歳の眼鏡をかけた少年・・・コナンだった。
(出たわね元凶)
不機嫌の元に一瞬顔を顰め、すぐに無表情に戻して明らかに楽しそうなコナンに目を
向けた。
一見可憐な容姿に変声期前の可愛らしい高めの声。さらについ微笑みを返したくなる
ような笑顔。生まれ持ったものをフルに使って近づいてくるその姿に騙されてはイケナ
イ。彼は化け猫を何匹も飼っているのだから。
「私がこんな風に不機嫌になっている理由は、あなたが一番知ってるんじゃない?」
シホはニッコリと口元だけで微笑んで、ピタリと自分の真正面で止まった彼に応じる。
周りにいた者達が顔色を青くしてそそくさと過ぎていこうが、周囲の気温が絶対零度に
近くなっていようが全く関係なしだ。
「さあ、何の事だろうな」
可愛らしい微笑みを浮かべたまま、何ターブも声のトーンを落して小さく首を傾げな
がら返すコナン。その外見と中身のアンバランスさに、彼の飼っている化け猫が背後に
見える気がするのは気のせいか。
何にせよ、形だけとは言え微笑みを浮かべながら会話を交わす彼等は、遠くから見れ
ば仲のよい姉弟か知り合いに見えただろう。あくまでも、遠くから見ればの話だが。
「あんなコトをあの人にあなたが提案するなんて、そろそろクスリでも処方した方が良
いかしら?」
「それならあの馬鹿にやれよ。喜んで実験体になってくれるぜ?」
「それはそれで魅力的だけど、わたしはあなたや館長の頭の中がとっても気になってる
のよね」
一度解剖させてくれる?と些か物騒な事を笑顔で提案するシホに、周囲で聞いていた者
達は恐れ戦慄いてその場から逃げ出した。しかし、コナンには全く利いていない。
「残念だな、それが叶う事はねえよ。他との違いはココをどういう風に有効的に使うか
さ」
といいつつ、余裕の表情でコナンは自分の頭をとんとん、と指で差し示した。
「あらそう?で、どうしてあの人にアレをさせようとしているのかしら」
さっさと話題を元に戻すと、途端にコナンは嫌そうに顔を顰めた。自分よりも結構年下
のはずなのに、流れている血の所為かそれとも環境の所為か、やたらと大人びているコ
ナンのこういう表情を見ると些か安心する。そして、まだ子供なのかとある意味での安
堵をシホは覚えた。
「――しつこい女は嫌われるぞ?」
「別に誰に嫌われたって構わないわ。それに、あなたが素直に理由を吐けば私はしつこ
く言う必要はないんだけど?」
「・・・そんなに聞きてぇのかよ?」
おおよそ子供らしくない溜め息をコナンは吐きながら、子供らしい上目遣いで見上げて
くる。
「当り前じゃない。私は主治医として聞く義務があるの」
「・・・「聞きたい」んじゃなくて、「聞かなければならない」?」
「そうね」
軽く肩を竦めてみせた。権利といわずに義務と言うのは少々卑怯な押し付けだが、自分
はたったそれだけの目的と存在価値でここにいるのではないと思いたかった。
「ほら、さっさと教えなさい。貴方の事だから、それは彼にとって不利にはならないん
でしょう?」
「そんな質問は愚問にしかならないぜ?」
至極当然というように胸を張るコナンに、シホは内心安堵を覚えながら、そうだった、
と自分の中の認識を再確認した。
「気にしないで、確かめてるだけよ」
と素直に口にすると、目の前の子供は軽く肩を竦め、ほんの少し迷うように視線を泳が
せた後、ゆっくりとシホと視線を合わせて告げた。
「・・・アカコの占いのアイツ、見つけたんだ」
探してた奴に、間違いないと思う。
そういう彼の目には楽しそうな輝きがあった。求めていた何かを漸く見つけて、今その
使用方法を検討している、玩具を見つけた子供の目。
しかし、そうなるのも無理はないと思う。・・・自分も今、丁度そんな感情を抱いている
からだ。
「・・・・・・そう。わかったわ、認めてあげる。貴方は補佐に入るのよね?」
質問ではなく、確認だ。少なくともそうでなければ、いくら待ち望んでいた機会であっ
たとしても、医者としての自分が「彼」に「アレ」をさせる事を許さない。
「当然だ。・・・多分、『四人目』くらいで終わっちまうから」
「そうかしら?」
「何がだよ?」
おれの推測に間違いがあるとでも言うのか?と不満をたっぷり滲ませた目でコナンは
シホを見上げてくる。その様子にクスリと笑い、彼の体調と気質を一番よく知っている
と自負している自分の考えに沿って、自信満々で言い切った。
「私は『七人』出ると思うわ」
「賭けるか?」
「いいわよ」
賭けといっても賭けるもののない意味のない賭けだが、彼等のそれは彼等自身にスリル
と楽しみを与えると知っているから、二人とも何も賭けることなく、この賭けは成立し
た。
傍から見れば、全く意味の解らない賭け。
半分は自己満足、半分は娯楽の為にするその本心は、二人にとって少し違うところに
あるモノだったが。
「・・・でも、久しぶりに見られるのね・・・楽しみだわ」
前見た時はいつだったかしら、とシホは昔の記憶に思いを馳せ、楽しそうに鮮やかに
笑った。こういう時の彼女は、普段の刺が一瞬消えて見惚れてしまうほど美しい。本人
はまるで自覚していないが。
「散々怒りを撒き散らして反対してたのに?」
揶揄い混じりにコナンが言うと、先程までの人一人殺してしまいそうな雰囲気が失せた
上機嫌のままにシホは笑う。
「あら、それとこれとは話が別よ」
さっきは、理由が聞けなくて怒っていただけ。納得できる理由があるならば、自分は決
して止めようとはしないのだから。
それに・・・
(滅多に見られないモノだもの――)
ふっとシホの口元が緩む。その姿にコナンは微かに微笑み、二人はこれから来る、い
つもに増して忙しく熱の集まるであろうナイト・リリーの「夜」に向けての準備の為に
各々の行くべき場所に戻る為にその場で別れた。
夜が、来る。
熱と欲と策謀に塗れた夜が。
この身を壊してしまいそうなエネルギーを伴って。
さてさて、2で御座います。なんだか激しくわかりやすい展開になりそうな予感がヒシヒシとこの辺から
出てきますね・・・ふふふ。次回はカイト君ナイト・リリーに潜入(笑)
しかも、私の趣味と好みと趣味が多いに現れているシーン続発です♪
n-c
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