D-generation X
アメリカ対カナダの抗争がピークに達していたとき、ファンはショーンをアメリカの裏切り者だと非難した。8月4日、ビンス・マクマホンを「これまでで最高のまぬけ」、ファンに対して「地獄に落ちろ」と発言し、ショーンは再びヒールになった。ショーンは保険証券としてリック・ルードを連れてきて、彼の手助けを受けて、マンカインドを破った。

8月18日、ショーンとHHHはアンダーテイカー&マンカインド組と対戦した。この試合を原型として、ショーン、HHH、チャイナ、ルードは結束して、D-generation X(以下、DX)なる軍団を結成した。そして、ハート・ファウンデーションとの抗争を開始し、ブルドッグを破ってWWF欧州王座を獲得した。これによってショーンはWWF史上初のグランドスラム(4つの全てのベルトを獲得)を達成した。

サマースラムを契機とするアンダーテイカーとの抗争は、グランド・ゼロで初めてシングルマッチへと発展し、壮絶なノーコンテストに終わった。次のPPVであるバッド・ブラッドではヘル・イン・ア・セル・マッチで再び激突した。この試合の勝者は、サバイバーシリーズ97でヒットマンのWWF世界ヘビー級に挑戦できることになっていた。この試合で、二人は金網の中でも外でも上でも激しく戦い、壮絶きわまる試合となった。結果は、ケインの乱入でショーンが勝利を収めた。この試合で、ショーンは空前の4年連続ベストマッチ受賞を成し遂げた。

ショーンと伝統主義者であるヒットマンとの抗争は、それぞれが率いる軍団を巻き込みながら、週毎に激しさを増していった。DXの人気が高まると、ショーンとヒットマンの間の緊張が高まった。というのも、ヒットマンはNo.1ヒールの座を約束される形でアンチアメリカ路線に移行したのである。ショーンとヒットマンは一触即発の状態で、運命のサバイバーシリーズ97を迎えた。

サバイバーシリーズ97では、苦いライバル対決の終章が待っていた。ショーンがヒットマンに対しシャープシューターの体勢に入った途端、突然ゴングが鳴り、ショーンの勝ちが宣告され、3度目のWWFヘビー級戴冠を果たした。この衝撃の結末は、ビンス・マクマホンの決定によるものだった。ビンスとしては、WCWに移籍することが決まっているヒットマンを、チャンピオンのままで離脱させたくはなかったのである。

DXはWWFのレスラーやアナウンサーや幹部をあざけることで、確実にインパクトを残していった。DXはいくつかの印象的なスキットを残している。例えば、試合中に解説席でバナナを食べたり、“ミニ”ヒットマンを登場させたり、ストリップ・ポーカーゲームをしたりと。ショーンはこの間にケン・シャムロックと短い抗争をしたが、シャムロックはベルトには全く届かなかった。また、欧州王座はHHHとの試合で、無気力試合をする形で譲った。

アンダーテイカーとの抗争が再び始まり、ロイヤルランブル98で棺桶マッチで対戦することになった。二人は再び好勝負を行い、やはりケインの手助けによって、ショーンが勝利した。ケインはアンダーテイカーを棺桶に入れた後、火をつけた。試合中、ショーンはリング内から場外に放り投げられた時、棺桶の角で腰を打って、ヘルニアを再発させてしまった。
バトルロイヤルではスティーブ・オースチンが優勝し、レッスルマニア14ではショーンvsオースチンが実現することになった。このカードは、まさにWWFの頂上対決であり、名勝負が期待された。



スティーブ・オースチン
ショーンはアンダーテイカーとの戦いで負った傷に苦しんでおり、しばらくの間欠場していた。ショーンとオースチンの抗争は、オースチンがショーンのベルトを盗んだことにより激化し、それと同時に、ニューエイジアウトローズが新たにDXに加わることになった。インユアハウス20で、DXとオースチン軍団(オースチン、オーエン、カクタス・ジャック、テリー・ファンク)が激突したが、ショーンはヘルニアの悪化により、急遽欠場となってしまった。

3月2日のロウイズウォーで、DXに驚くべき新メンバーが加わった。それは誰あろう、マイク・タイソンであった。はじめ、ショーンとタイソンはリング上で互いに円を描くように動き、睨み合っていたが、ショーンがタイソンのTシャツを引き裂くと、その下からDXTシャツが現れたのである。またこの日、ショーンはオースチンにスウィート・チン・ミュージックを決めたが、これで腰を一層痛めてしまうことになる。

ショーンとオースチンはレッスルマニア14で激突した。試合中、ショーンが腰の痛みに苦しんでいることは明らかだったが、それでも受身を取り、最後まで戦い抜いた。ショーンがスウィート・チン・ミュージックを出したがオースチンがこれを避けてスタナーを決めて、勝利を収めた。試合後、オースチンはタイソンに3:16Tシャツを渡した。ショーンはタイソンに詰め寄ったが、右フックを浴びて完全KOされてしまう。タイソンは結果的にDXを裏切ったのである。



引退
WWFはアメリカでも最高の医者の一人を呼んで、ショーンの治療に当たらせた。ショーンは整形の金具を取り付け、スイミングプールでリハビリに励んだ。椎間板は、初めはヘルニアだったが、この時には2カ所で破裂していた。
ショーンは1月以来、夜はほとんど眠れていなかったが、これでようやく眠れるようになった。容体は徐々に回復し、WWFも復帰の準備を始めたが、医学的見地からは100%回復することはないと言われた。

6月13日に、コミッショナーとしてロウに登場。以降、時折スウィート・チン・ミュージックも見せるが、基本的には背広派の一人として働いていた。もちろん、試合は行っていない。

99年3月に、元ナイトロガールズのウィスパーであるレベッカさんと結婚し、翌2000年1月には長男キャメロン君が生まれた。

地元テキサスで、レスリングスクール“ショーン・マイケルズ・レスリングアカデミー”とローカル団体“TWA”を興した。地元ではスポーツキャスターの仕事も得て、忙しい日々を送り出す。一時WWFが契約更新を渋ったために、ECWと接触したが、結局はコミッショナーとしてWWFに残留し、あくまでWWF一筋にこだわっている。

99年11月、FMWにレフェリーとして来日を果たす。ハートブレイクキッドになってからは初来日であり、入場シーンでのテーマ曲sexy boy、及びハヤブサに決めたスウィート・チン・ミュージックは日本初披露で、日本のアメプロファンを狂喜させた。

2000年4月、ショーンはTWAヘビー級王座とTWAの経営権をかけて、愛弟子ベノムに挑戦した。これがショーンの引退試合である。
決して全盛期の体調ではなかったが、できる限りの動きをみせ、最後の試合を成し遂げた。ラダー最上段からエルボーを決めもしたが、ベノムはパウダーをショーンの投げつけ、そして竹刀を使って攻撃した。その後トップロープにショーンを張り付け、ベノムは猛攻を続け、ショーンは流血した。ここでシューター・シュルツがショーンを助けに来て、ロープから外すと、ショーンはパワースラムでベノムをテーブルに打ち付け、最後は有終のスウィート・チン・ミュージックを決めて、勝利を収めた。TWA王座はその場で返上した。


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