始まり
ショーン・マイケルズは高校在学中にプロレスラーになることを決心し、18歳になると、地元サンアントニオで“ビッグソック”ホセ・ロザリオの指導の下、トレーニングを始めた。
19歳の誕生日を迎えると、ショーンはミッドサウスレスリングでデビュー戦の用意を始め、84年9月8日にアート・クルーズを相手にデビュー戦を行った。試合に敗れはしたが、ショーンが能力を秘めていることは十分に示した。続くデビュー第2戦は時間切れ引き分け、第3戦では見事に勝利を収めた。
尚、ショーンの本名はマイケル・ヒッケンボトムだが、ほぼ全キャリアをShawn Michaelsというリングネームで闘っている。

その6ヶ月後、ショーンはミッドサウスからボブ・ガイゲルが運営しているカンザスシティーに移動し、ここでマーティ・ジャネッティと出会う。
さらに3ヶ月後、ショーンはテキサスオールスターレスリングに戦場を移し、ポール・ダイアモンドとアメリカンフォースというタッグチームを始動させる。彼らはテキサスオールスタータッグチームタイトルを2度に渡り獲得し、またマスクド・ホーズやジャパニーズ・フォース(冬木弘道&川田利明)らと抗争を繰り広げた。

86年にショーンはマーティ・ジャネッティと組んでミッドナイトロッカーズを結成する。ミッドナイトロッカーズとは、ロックンロールエキスプレスとミッドナイトエキスプレスという二つの名タッグチームからとった名前だった。チームを結成するや、瞬く間に名を挙げ、バート&ブラッドバターンからNWAセントラルステイツ・タッグ王座を奪取する。しかしリマッチで敗れてしまい、1週間天下に終わる。

86年暮れからミッドナイトロッカーズはAWAに参戦し、そこでAWAタッグ王座を獲得する。二人はAWAでテレビに多く映ったことから、WWFの首脳陣が二人に目をつけ、テレビテーピングにブッキングされた。しかし、ショーン達はナイトクラブで遊びすぎたために、翌日に解雇されてしまう。
ミッドナイト・ロッカーズはAWAで快進撃を続け、サザンタッグ王座を2度に渡り獲得し、そのベルトを巡ってRPMsと激しい抗争を繰り広げた。ショーンとジャネッティが2度目のAWA世界タッグに輝いたとき、再びWWFが二人に興味を持った。二人は前回の教訓から、しばらくの間は行儀良くしていた。



WWF
88年に、ショーンとジャネッティはロッカーズと改名してWWF入りを果たした。華麗な空中技とロック系のパフォーマンスで、チームはすぐにファンの支持を手に入れた。しかしこの時のWWFには、ハート・ファウンデーション、デモリッションズ、ブレインバスターズといった、WWFで土台を築いている名タッグチームが集中していた。
それでもロッカーズの挑戦は止まらなかった。二人は全員を相手にし、重量級チームとの抗争の中では多くの敗北を喫したが、懸命に闘う姿はファンの支持を得ていた。ロッカーズ初期の最高の抗争相手は、ルージョーブラザーズだった。2つのテクニカルなタッグ同士の抗争は、見応え十分だった。
90年にロッカーズはパワーアンドグローリー(ハーキュリース&ポウル・ローマ)との抗争を開始し、サマースラム90でハーキュリースはチェーンを使ってショーンの膝を破壊した。

またこの年にはハウスショーで、ハート・ファウンデーションの持つタッグチームタイトルにも挑戦している。ロッカーズは見事に試合に勝ったが、内部事情(ジム・ナイドハートがWWFから離脱するかどうか迷っていた)により、タイトルの移動は認められなかった。ショーンはこの決定が大変不満だったようで、97年にもなって、このことについてテレビで発言していた。これが、ショーン・マイケルズとブレット・ハート(以下、ヒットマン)の間に生じた最初の溝となる。

91年1月には、WWFと提携していたSWSへ初来日。以降、SWSに複数回の来日を果たしている。
ロッカーズは次にオリエントエキスプレスと抗争を始め、ロイヤルランブル91でロッカーズが勝利したことにより抗争は終了する。この試合は、ロッカーズのベストバウトのひとつとなった。
しかしこの頃からロッカーズの仲が悪くなり始め、 サバイバーシリーズ91ではジャネッティのパワースラムがショーンを巻き込んでしまったことから敗北を喫し、仲間割れは決定的となった。ショーンはマーティを非難し、「ロッカーズは自分が支えている」と発言した。



シングルプレイヤー
92年の初め、二人はブルータス・ビーフケーキによるインタビューコーナー・バーバーショップで会うことになった。初めは、和解して再びタッグチームを組みかに見えた。しかしそうはならず、ショーンはマーティにトラースキックを決め、さらに彼を窓ガラス越しに投げ飛ばした。これがロッカーズの最後となった。

シングルプレイヤーに転向すると、シェリー・マーテルをマネージャーにつけ、軟弱系ヒール“ボーイ・トーイ”として売り出された。この新路線で、彼はすぐにタイトル戦線に乗り込み、92年の春から夏にかけてはインターコンチネンタル(以下、ITC)王座を巡ってヒットマンといくつも好勝負をした。しかし、チャンピオンの座には手が届かなかった。

サマースラム92を前に、ショーンとザ・モデル(リック・マーテル)は、シェリーがどちらのマネージャーにつくかをかけて抗争を始め、決着はサマースラムまでもつれこんだ。結果は両者リングアウトに終わり、シェリーは水浸しになった。このサマースラムでブリティッシュ・ブルドッグがヒットマンを破ってITC王座を獲得した。そしてショーンは、いよいよベルトに照準を絞ることになる。

92年10月27日に、サタデーナイトの最終回のメインイベントとしてブルドッグ対ショーンのITC戦が組まれた。この試合は92年のベストマッチの一つで、ショーンはブルドッグを破って新ITCチャンピオンになった。
さらにショーンは貪欲に、サバイバーシリーズ92でヒットマンの持つ世界ヘビー級のタイトルに挑戦した。チャンピオンvsチャンピオンと称されたこの試合、ショーンは勝つことはできなかったが、この試合は95年から97年にかけてのヒットマンとの抗争の土台となった。

しかし、ショーンはまだITCチャンピオンであり、このベルトを獲得するために、ジャネッティがWWFのリングに帰ってきた。ジャネッティは復讐のために鏡でショーンの頭を打ち抜こうとしたが、ショーンがシェリーを前に押しやったために、シェリーがその一撃を食らってしまい、ショーンはリングから逃げ出した。この出来事によって、シェリーはショーンのマネージャーから外れ、ショーンに復讐しようと思うことになる。しかしショーンがまだマーティと対決中であったロイヤルランブル93では、一応ショーンのコーナーについていた。

次のITCへの挑戦者はタタンカだった。彼はノンタイトル戦やタッグマッチではショーンからピンフォールを奪うことができたが、タイトル戦ではショーンが巧みにリング外に長くいたために、ベルトを奪うことはできなかった。シェリーとの抗争は、レッスルマニア9でショーンがマネージャーとしてルナ・バッションを連れてきたことで終わった。

93年5月17日、マンデーナイトロウでショーンはインタビューを受け、「いつでもどこでもだれでも倒すことができる」と発言した。ショーンの発言の直後にジャネッティがリングに上がってショーンに挑戦し、ショーンはもちろんこれを受けた。この試合はこの日のうちに行われ、ジャネッティはショーンを破って新ITCチャンピオンに輝いた。

しかしショーンはまだ奥の手を持っていた。6月6日に再戦を要求し、それが認められた。この時、彼は7フィート300ポンドの怪物をボディガードとして連れてきた。ボディガードの手助けによってジャネッティを破り、2度目のITC王座の獲得に成功した。ボディガードはキングオブザリング93でディーゼル(ケビン・ナッシュ)という名前になり、ディーゼルとショーンは親友になった。

次のITCへの挑戦者はミスター・パーフェクト(カート・ヘニング)だった。しかし再びディーゼルの助けによって、ショーンは王座を防衛した。11月初旬、ショーンはITC王座を剥奪された。30日間防衛戦を行わなかったことが原因だが、実際の理由はWWFとの契約上の問題だった(手首のケガのためという説、ステロイド検査の結果自宅謹慎処分になっていたという説もある)。空位となった王座の争奪戦でレザー・ラモン(スコット・ホール)が勝利したため、新ITCチャンピオンはラモンとなった。



帰還
サバイバーシリーズ93で、ショーンはジェリー・ローラーの代わりとして復帰し、ハート・ファウンデーションと対戦した。そしてすぐにショーンは、持っていた旧ベルトと誰にも負けていないということを論拠に、自分はまだITCチャンピオンである、と主張した。
これにより、本当のITCチャンピオン・ラモンと、自称ITCチャンピオン・ショーンの抗争が始まった。

ショーンとディーゼルは執拗にラモンを攻撃し続けた。ショーンはロイヤルランブル94でのラモンとIRSとの試合に乱入し、ラモンを気絶させた。これによってラモンは一度はベルトを失ったが、すぐに裁定は覆された。バトルロイヤルでは、ショーンは思いもかけずディーゼルを転落させ、これが後の抗争の最大のキッカケとなる。

ショーンとラモンはレッスルマニア10でラダーマッチで激突することになり、この試合で2本のベルトが統一され、真のITCチャンピオンが決まることになった。試合はラモンの勝利だったが、二人が実力を大いに発揮したこの試合は史上に残る名勝負となり、94年のベストマッチに選ばれた。ショーンのいわゆる出世試合として、現在でも語り継がれている。

5月にWWFは単独で日本上陸を果たす。このマニアツアーの参加メンバーに当初はショーンもエントリーされており、シングルプレイヤー転向後の初来日が期待されたが、膝のケガのために急遽中止となった(代役はザ・モデル)。

ショーンとディーゼルはまだラモンとの抗争を続けていた。今度はディーゼルがITC王座に挑戦し、二人で協力してラモンからタイトルを奪還する。
ディーゼルとショーンがタッグとして活動を始めると、すぐにタッグタイトル戦線にも進出し、サマースラム94の前日にヘッドシュリンガーズからタッグタイトルマッチが組まれた。二人は迫力ある試合を披露し、見事にタッグタイトルを獲得した。

サマースラムではディーゼルはラモンを迎えてのITC王座防衛戦が組まれていた。ショーンは常にディーゼル側のコーナーについていたが、これが裏目に出る。ショーンはラモンにスウィート・チン・ミュージックを食らわせようとしたが、ラモンが避けたためにディーゼルにヒットしてしまう。これが決め手となってディーゼルはこの試合に敗れ、ITC王座を失う。
二人の間に緊張が走ったが、まだタッグチームチャンピオンであるがために、なんとか冷静さを保っていた。

サバイバーシリーズ94では、オーエン・ハート&ナイドハート&ジェフ・ジャレット&ショーン&ディーゼル組 対 ラモン&1-2-3キッド(X-パック)&ブルドッグ&ヘッドシュリンガーズ組による、10人イリミネーションタッグマッチが行われた。ディーゼルは相手チームをラモン以外次々とジャックナイフ斬っていき、最後にラモンをジャックナイフで仕留めようとしたところでショーンがタッチを要求。ディーゼルは渋々従い、ラモンを押さえつけたが、ショーンのスウィート・チンはまたもや誤爆してしまう。これでタッグチームチャンピオンとショーンとディーゼルの関係は終わってしまい、次の日タッグタイトルは返上されてしまった。

この三日後、ショーンと別れたディーゼルはベビーフェースに転向し、いきなりWWFヘビー級チャンピオンとなる。ショーンは必死に旧友への復讐を狙っていたが、世界ヘビー級に挑戦するにはロイヤルランブル95で優勝する必要があった。
ショーンはエントリーナンバー1で入場したが、見事に優勝し(1番入場で優勝したのは史上唯一)、持久戦を戦えるだけのスタミナを持っていることを証明した。そして、レッスルマニア11でディーゼルと対戦することになった。

ショーンは、ディーゼルに代わる新しいボディガード、サイコ・シッドを雇ってきた。レッスルマニア11では、ショーンは世界ヘビー級を獲得する資格十分に見えた。しかし、シッドは手出しのタイミングが悪く、ショーンを邪魔する結果となってディーゼルが勝利を収めた。この試合はショーンの路線転向の一つの契機となる。

次の日のマンデーナイト・ロウで、ショーンとディーゼルは試合で対戦することになっていた。その試合の前にディーゼルがインタビューを受け、ショーンとの友情について語った。ショーンもインタビューを受け、ディーゼルとの友情は忘れられないと述べた。また、ボディガードはもう要らないとも述べた。これにシッドは激怒し、ショーンが引き返してきた所に襲いかかり、パワーボムを3度も見舞った。間に合わなかったが、ディーゼルが必死に救援に駆けつけた。ショーンはジャネッティの時には味わえなかった友情復活を体験した。


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