2000.12.13up

ブレイク・タイム 6

上郷  伊織

◇◇◇◇◇

 週明けの月曜日。
 車窓を打つ強い雨に視界を邪魔されながら、忍は小暮との約束場所へと急いで出かけた。
 指定のファミリーレストランに入り、小暮の姿を探す、天気の良い日ならば、景色がよく見えたであろう窓際に、涼しげな横顔を見つけ、駆け寄ると、彼も忍に気づいて手を挙げた。
 さり気なく、その日の趣旨を聞き出そうとする忍に、小暮はデモの手伝いとしか告げなかった。
 乗用車二台では邪魔になる為、適当な有料駐車場に忍の車を駐車し、小暮の車に乗せて貰い、辿り着いた先は、小暮の担当地域でも1・2を争う規模の建設会社だった。
「ここ、大島建設じゃないですか」
 巨大ビルを仰ぎ見て、完全に忍は怖じ気づいていた。自分だったら単身でこんな所に乗り込んだり出来ない。体の奥からせり上がる緊張に忍は支配されていた。
「ビビるな。俺のいう通りにCADを操るだけでいい」
 普段と何ら変わることなく、落ち着き払ったままの小暮を、忍は憧れにも似た気持ちで見つめた。
「信用してるよ、笠原」
 ビルの玄関へ歩みを進める痩身に、すべてを委ねて忍は後を追った。

 大島建設の設計部で4人の人物に囲まれ、デモは行われた。
 実際には、小暮がお客様と商談を進め、質問された内容や設計部として有効なCADの利用法など、要所要所をまとめ、忍に指示を出し、小暮のペースで商談は進んでいった。
 この商談は、結局、午後2時から5時までかかった。大島建設側でも、日設のCADを気に入って貰う事が出来た。ただ、その場に居合わせたのが、課長クラスの人間までであった為、後日、部長への再デモということに話は落ち着いた。
 これだけの大会社で部長クラスへ話しをもっていけるだけでも、かなりいい結果と言えた。

 忍は今回、設計士に対するデモを始めて行った。その内容は、今までやった工務店向けのデモとは、見せ場のポイントがまるで違っていた。工務店と違い、設計士の方が一つ一つの機能に対する要求も細かいモノだったし、機械やソフトに対して、素人ながらも、CADを扱った経験のある者ばかりに説明をするのは、骨の折れる事だと思い知らされた。
「小暮さん、今日は本当にありがとうございました」
 事務所への帰り道、車の助手席から忍は礼を言う。
 榊設計事務所のデモ直前の日に、設計士に対するデモの要領を忍は小暮に体で教わったのだ。土日の休日を利用して、忍も忍なりに机上の理論でデモ練習をしていた。資料も設計士向けのモノを読みあさった。だが、やはり、実地で覚える事と比べると、その差は歴然としている。なぜ、こんなにまで小暮が親切にしてくれるのか、忍に理由は分からない。
 自分で思いつく限りの事をやって当たって砕けるのも、潔いのかもしれないとさえ思っていた忍に、知識を与えてくれた小暮に感謝するばかりだ。
「明日、うまくやれそうか?」
 小暮はなんでもない事のように、前方を見つめたまま運転を続けている。
「小暮さんのように堂々と渡り合えるとは思えませんが、今日の事でそれなりの自信は持てました」
「堂々と・・か、笠原にそう見えたなら上出来だったんだろうな」
 言うなり、車は道路脇に停車した。
 膝に置いた忍の手に小暮の手が重なる。
 小暮の手は微かに震えていた。
「どうも・・・・・あれだけの会社になるとダメでね」
 微苦笑を浮かべる小暮の告白に、忍は自分の甘えを悟らされる。新規の客先を訪ねる度、怖いのは自分だけだと、先輩や話し上手な同期の者達は平気で営業に出ている、という自分の勝手な思い込みを、忍はこの時初めて恥じた。
「外に出たら、営業は一人だ。商談が成功しても、失敗しても、その時、判断を下すのは自分でしかない。食っていく為には、逃げられないのが俺達さ。そう思わないか」
 白皙の頬を緩めて、優しげに微笑む小暮を、忍はこれまで見たことがなかった。
「はい」
 素直に頷く忍の肩をポンと叩き、小暮は車を発進させる。
 言い聞かせるような小暮の言葉を、忍は噛みしめた。
 程なくして、忍が車を止めた有料駐車場に到着した。
「どうして、こんなに親切にしてくれるんですか?」
 自分の車に乗り換えなければならないのに、忍は小暮の言葉を待っていた。
 沈黙は5分とは続かなかった。
「入社したての頃、榊に売ることが出来なかったからかな・・・・・。時間はかかってもいい、絶対に落として欲しいんだ」
「でも・・・・・」
 小暮がだめだった相手をどうやったら忍に落とす事が出来るというのだろう。
「お前は自信を持つべきだ。榊相手にデモの確約が取れたのは、お前だけなんだ。それに、入社したてで社内試験Bランクを持ってるんだろ。そんな奴は、支店始まって以来だって事も・・・・・・」
 切々と小暮は忍に訴えかける。
 ギラギラと輝く双眸は、優しげに落ち着いた口調や表情を裏切っていた。
「そんな」
 もし、忍と小暮の担当地域が入れ替わっていたら、小暮は忍に期待など寄せず、自ら榊に向かって行くであろう事を、忍は容易に推測出来る。小暮ほどプライドの高い営業が、狙いを付けた見込み客を人任せにするわけがないのだ。

───  この人はその時どれ程悔しい想いをし
    たんだろう

 そう思う反面、胸の中を冷たい風が通り抜ける。
 所詮、忍の力が認められた訳ではないのだ。
「期待してるよ」
 小暮は最後にこう言った。
 
 自分の車に乗り換えて、忍は走り去って行く小暮の車を見送った。

 残された忍の肩には、また一つ、見えない重石がのしかかっていた。

                         つづく

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