2000.12.13up

ブレイク・タイム 5

上郷  伊織

◇◇◇◇◇

 営業会社の夜は静かである。

 報告書や日報の提出を終えて、営業社員はそれぞれに自分のデスクに向かい、週明けに客先へ持っていく資料や機材の準備に余念がない。
 そんな中、笠原忍はノート型パソコンの持ち出し許可書を記入していた。予約を取っておかないと、当日に持ち出そうと思った時には機械がない、といった事は日常茶飯事なのである。
「おっ、笠原もやっと単独デモか」
 バインダーを後ろからのぞき見て、忍より3年先輩の岸部武がにこやかに声を掛けた。
 デモとは、デモンストレーション。
 つまり、お客様に実際のソフトがどのようなモノかを機械の操作をしながら生で見て頂く事を言う。
 デモが上手くいった時には、即決で契約を頂ける事も希にある。
「は、はい」
 忍が照れながらも嬉しそうに返事を返すと、岸辺は忍の頭を軽く叩き、真っ白な歯をむき出して笑った。彼ご自慢のさわやかな笑顔というやつである。
 岸辺はハッキリとした、日本人には珍しく彫りの深い顔立ちで、容姿はなかなかの二枚目なのだが、生来のお調子者の気質がどうしても顔に出てしまい、二枚目半の印象が拭えない。担当地域ではおばさまのアイドルとして、人気のある営業である。
「そうか、良かったな! いやー、本当に良かった」
 忍としては、まだ売り上げに繋がるかどうか分からない予定を大声で騒がれるのは、あまり歓迎出来る事態では無かった。
「岸部さん、まだデモが決まっただけで・・・・・」
 遠慮がちに忍は言った。
 今月の岸辺は売り上げが思うように上がらず、何としても、あと二百万を上げようとしているらしかった。余裕のある時は、必ずと言っていいほど忍に構ってくる人である。
 根っからの営業らしく、機械の事には疎い。それなのにシステム課に席を置いている珍しい存在だった。
 忍の担当地域は彼から受け継いだものだった。引継ぎの為の同行研修も、岸辺が忍の担当だったので、忍の事を何かと気に掛けてくれているようである。人間それ自体は悪くはないのだが、苦手な機械の指導が適当なので、機械を売る事は出来ても、アフターサービスでお客の信用を失うタイプである。それによって、忍はかなりの迷惑を被っているが、なぜか憎めない先輩だった。
「だがな笠原、運がよけりゃ即決って事もある。俺は嬉しいよ! お前がやっと自分で商談を取れるようになったかと思うと・・・・あたっ!・」
「何をゴチャゴチャ騒いでるんだ、お前達は。課長が睨んでるぞ」
 ふざけて泣き真似をしている岸辺の頭に、黒いバインダーが落ちてくる。
「小暮さん」
 滅多に接触しない人物の登場に、忍は息を呑んだ。
 忍達が騒いでいるのを見かねて、小暮陽一が間に入ってくれたのである。
 小暮は入社4年目ではあるが、その実力は支店ナンバーワン、社内ランキングでは現在3位の営業成績を誇っている強者である。パソコンの知識にも長けており、忍が何を質問しても的確なアドバイスを手短にしてくれる。この支店の中では一番頼りになる先輩だ。
 涼しげな面立ちに明晰な頭脳、お客に対しては優しい印象を刻みつけている。非の打ち所のない、忍が心に思い描く理想の営業像を実現している数少ない人である。
 小暮に難点があるとしたら、社内では切れ者過ぎて敵を自ら作ってしまうと言うところだろうか。かなりやる気を出して、研究した上での質問にしか応じない為、他の後輩達からも好かれてはいない。
「バインダーで殴る事ないじゃないですか!」
「注意してやっただけでも有り難く思え。目標実績にほど遠い岸部くん」
 頭を殴られた事に腹を立てた岸辺の抗議にも、小暮は落ち着き払っている。
「でも・・・・」
「お前のお陰で、笠原がまた血祭りに会うかもしれないんだぞ」
 話題が忍の事に及ぶと、岸辺はやっと小暮の言葉に納得する。
 普段から上司に睨まれている忍が、目立った行動を取った後、どういう目に遭うのか、岸辺は嫌と言うほど知っていた。助けてやりたいと思っても、忍の成績が上がらない事には助けようがないのである。
 それが、営業の世界と言うモノだ。
 人並みの扱いを受けたければ、数字を出すしかない。
 落ち込み、項垂れてしまった岸辺は、自分の席に戻ろうとしていた。
「岸辺、小野寺材木には顔を出してるか?」
 小暮の言葉に振り返り、岸辺が不思議そうにに首を傾げる。
 小野寺材木店は岸辺の担当だった。
「行ってないんだな。週明けにでも、必ず顔出しとけ」
「でも、あそこは2年前の購入で、まだ買い換えには早すぎます」
 自分の担当会社の事に口出しされて、岸辺は憤慨したようである。
「あそこの長男が今年から働いているらしいが・・・・・」
「そんな事、とっくに知ってますよ」
 自分のお客は自分が一番知っているとでも言いたそうに唇を尖らせ、小暮に抗議する。
「じゃ、小野寺の息子が汎用並のパソコンを欲しがってる事も、勿論知っているんだな」
 岸辺の態度に動じる風もなく、小暮は静かに呟いた。
「あ、・・えっ、て事は!」
 さり気なく、即決で決まりそうな顧客の情報を小暮は岸辺に教えたのである。
 汎用並と言えば、大手の会社が扱うような機械の事である。機械本体だけでも100万は下らない。もし、セット販売に持ち込めれば、ソフトと加算して、軽く200万を越える。
 忍は頭の中で素早く計算して、顔色を変えた。 小暮の言わんとする事をやっと悟った岸辺は声もなく、小暮の手を両手で握りしめた。
「馬鹿者」
 その手を振り払い、小暮が軽蔑したように冷たい眼差しを岸辺に向けると、岸辺は困ったように、だが、にこにこと自分の席に戻っていった。
 小暮が凄いのはこんな所である。いつも他人には興味のない素振りでいるくせに、何処かで情報を収集しては、自分の可愛がっている後輩に知らせてくれるのだ。忍は小暮のそんな所が好きだった。会社の中では小暮を一番尊敬している。

「笠原、ちょっと」
 岸辺が去っていく後ろ姿を見送りながら、小暮は忍に手招きをした。

 忍は小暮に導かれるままに事務所の廊下を横切って、喫煙所まで歩いた。
「ま、飲めよ」
 自販機で買った紙コップ入りのコーヒーを小暮から受け取る。こんな事は初めてだった。憧れの先輩が忍の隣に座っているのである。質問だって、今まで4・5回しかしたことはない。それでも、毎回緊張してしまい、用件のみの会話で終わってしまうのだ。
 小暮が横にいると思うだけで、折角、頂いたコーヒーも喉を通らなかった。
「榊設計でデモをするのか?」
「えっ?」
 外国製の細身の煙草に火を点けながら、小暮は足を組み直す。その時の彼の表情からは何も読みとる事は出来ない。
 今日決まったばかりのデモの事を、なぜ、小暮が知っているのか、忍は不思議だった。
「持ち出し先に書いていただろ」
「あ、・・・・・ええ」
 ほんのチラッと見たバインダーの中を、瞬時に読みとっている小暮。忍は改めて「出来る営業」と言うモノを思い知らされていた。
「榊設計をご存じなんですか?」
「ああ、少なくとも俺は知ってるよ。たぶん、岸辺も・・」
 どんな話かとワクワクしていた忍は、小暮の言葉に驚きを隠せなかった。
「不思議でもないだろう。岸辺にとっても、俺にとっても元担当地域なんだから」
「岸辺さんの前の担当って、小暮さんだったんですか?」
「そんな事も知らなかったのか?」
 半ば呆れたような小暮の言葉に、忍は身も縮む想いで俯くしかない。自分の担当地域の情報を先輩から聞き出すのも、営業にとっては大切な戦略の一つなのだ。
「あの榊からよくデモの約束を取り付けたな」
「いえ、デモの話は僕からではなく、その、榊さんから言い出されたんです」
 感心したような小暮の問いに、忍は正直に答えた。
 気怠げに紫煙を吐き出していた小暮は煙草を灰皿に押しつけた。
「榊さんからか・・・・・・・・」
 忍の言葉を反芻し、小暮はなにやら考え込み始める。
「ですから、これは僕の営業力ではなく・・・・・正直、嬉しいことは嬉いんですけど、先方がどうお考えなのか、全く分からないんです。成り行きを見守っていたら、いつの間にか僕に都合のいい事になっていました」
 小暮に不信に思われるのがいやで、言い訳のように、忍は言葉を重ねた。
「笠原、月曜日に何かアポイントは入っているか?」
「えっ、・・・・いいえ。・・・・・恥ずかしながら・・・」
 不意に、小暮は話題を変えた。混乱しながらも忍は慌てて手帳を見た。
「そうか、じゃ、午後から開けといてくれ。久しぶりに同行でもしよう。支店長には俺から報告しとくよ」
 紙コップのコーヒーを飲み干し、小暮は立ち上がり、事務所に向かって歩き出した。
「それと、あんまり心配しなくていい。笠原は榊に気に入られただけだ」
 喫煙所に座ったまま、呆気にとられている忍に背を向け、小暮は言った。姿勢良く颯爽と歩く背中が遠ざかっていく。

「・・・・気に入られただけって、そんな・・・・・・」
 小暮の何もかも分かっているような台詞、突然の同行の申し出に、忍は戸惑うばかりである。
 嬉しい出来事には変わりがない。支店のナンバーワンとの同行など、頼んだってなかなか出来るモノではない。
 だが、何もかもが突然過ぎるのだ。

───  何かが加速を付けて変わっていく。

 忍は漠然とそう感じていた。

                         つづく

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