2000.12.13up

ブレイク・タイム 4

上郷  伊織

◇◇◇◇◇

 夕方とは言え、初秋のきつい日差しに瞳を眇め、榊卯人は所長室のブラインドをいっぱいに開けた。
 部屋に招き入れた客人に、少しでも開放された空間を与えてやりたい。ただ、それだけの行為だったが、招かれた客は応接セットのソファーに居心地悪そうに、榊が座るのを待っているようだった。

─── 却って気を遣わせてしまったかな・・・・

 そんな風に思いながらも、榊はすぐ席に着く事はせず、手ずから大事なお客人の為にコーヒーを煎れた。
 一見すると、落ち着き払って見える榊。
 だが、彼の頭の中は、その客人の事で一杯だった。
 彼は笠原忍と名乗った。

───  忍。儚く清楚な彼に似合いの名だ

 などと頭の中でつぶやきを漏らす。
 榊はこの笠原忍の来訪を、心から歓迎していた。
「どうぞ」
 テーブルに来客用のカップを差し出す。
 忍はすっかり恐縮して榊の出方を待っている風だった。
「あ、ありがとうございます」
 それはそうだろう、忍は単に榊の会社に飛び込み営業に現れただけだった。
「申し遅れました。榊卯人と申します。よろしくお願い致します」
 取り敢えず挨拶をし、名刺を忍に差し出す。
 すると、忍は社交辞令通り両手でそれを受け取り礼をした。やはり、ちゃんとした教育を受けた営業である。自分の読みが正しかった事に榊は満足を覚えた。
 忍はと言えば、榊の名刺に眼を落とした途端、より一層カチンコチンに固まってしまった。
「しょ、所長様でいらっしゃる・・・・・・・」
 生唾を飲み込み、忍がやっと口にしたのはそんな台詞だった。どうやらもっと下の役職者だと思っていたらしい。
 失礼な出来事の筈だが、榊は苦笑しながらも、努めて平静を装っていた。
「そんなに若く見えましたか?」
「はい。・・・・・・申し訳ありません」
 率直な忍の返答に榊の口元は自然と綻ぶ。
 出されたコーヒーに一口も口を付けず、忍はなにやら鞄の中から資料を取りだした。早速、仕事の話をしようと算段しているらしい。確かに、これは商談である。当たり前の事だろう。だが、榊はそこに一抹の寂しさを感じていた。

───  覚えてはいないのですね

 あの夏の日の出来事を、榊は今でもはっきりと覚えている。茶色がかった大きな瞳に一杯に涙を溜めた忍の顔は忘れようにも忘れられなかった。出来る事なら抱きしめたい、笑顔にしてあげたいと・・・・・。そして、どんな事をしてでも手に入れたいと思った。ほんの数分の接触で榊の心をそこまで駆り立てたのが、今、目の前に座っている忍なのだ。

───  どうすれば、あの人に自然に会う事が
    出来るだろう。

 この数ヶ月間、何度そう思った事か。
 思い焦がれていた人が、今、目の前にいる。
 だが、今の二人の関係は客と営業でしかない。しかも、彼は榊を前にして可愛そうなくらい緊張してしまっている。
 客観的に彼を見ていると、これでよく営業などという仕事をする気になったものだ、と思ってしまう。
 プライベートはプライベート、仕事は仕事である。いくら相手が忍であったとしても、榊はつまらない商品の場合には買ってあげるつもりは毛頭ない。

───  お手並み拝見と行きましょうか?

 気持ちを仕事モードに切り替え、榊は忍に向き合った。
「早速、お話をさせて頂いてよろしいでしょうか?」
 意を決したように、忍は榊の眼をまっすぐに見る。
 榊は軽く頷いた。
「では、2・3の質問をさせて頂きます。御社では、現在CADをご使用になっていますか?」
「いえ、まだです」
「これまでに、当社以外でCADをご覧になった事は?」
 忍の態度が真剣そのものなので、榊は極力明確な答えを返していく。二つ目の質問に対しては、デスクに置いていた専門雑誌2冊を忍に差し出した。
「これに載っている程度なら、一通りリサーチはしています」
 CADの専門雑誌に視線を落とし、忍の顔色は青ざめた。
 榊は人の悪い笑みを浮かべ、忍の出方を待っていた。ある程度以上の知識を持った者への説明は下手をすると、知識不足の営業では、すぐにボロが出てしまう。これまで、この応対で何人の営業が泣いた事か・・・・。榊自身も人の悪いやり方だと思っている。だが、これくらいで音を上げてしまうような者から高額の買い物をする訳にはいかない。出来れば、指導もきちんとして欲しいし、そのソフトを利用して、かなり高度な事もしたいのだ。
「所長は勉強熱心でいらっしゃるんですね」
 しばらく考え込んだ末に忍はこう言った。
 きっと商談馴れしていないのだろう。笑顔の引きつり具合が、榊には痛々しく見える。
 どうも、忍が相手だと、いつもの調子が出てこない、まるで自分がいじめっ子のようにさえ思えてくる。
「購入は以前から考えていますので、これくらいの調査は当然でしょう。それより、所長と呼ばないで頂きたいのですが・・・・・・」
 そんな自分の気持ちに負けて、榊は話題を逸らせようと試みた。
「はっ?」
 瞳を一杯に見開き、忍は榊を凝視する。
「では、先生とお呼びすればよろしいんでしょうか?」
 一旦、考え込んだかと思うと、気を取り直したように、忍は質問する。
「先生もなんだか大仰ですね。榊でいいです」
 先生というのは、この業界では設計技師を示す。確かにこの呼ばれ方をされて喜ぶ輩は多いのだが、そんな風に持ち上げられる事を榊は好まない。
「そんな、馴れ馴れしくは・・・・・・」
 榊の返答に困り果ててしまったのか、忍は俯いて、また考え込んでしまった。忍は平の営業マン、榊は曲がりなりにも会社経営者である。しかも、忍は買って貰う立場なのだ。常識で考えても、対等の呼び方をする事は出来ない。
「馴れ馴れしいですか?」
 少しだけ榊は考える振りをした。
「私としては、商談は対等の立場で、一個人としての付き合いをしながら、あなたの持ち込んでくる商品、あなた自身の人柄を知った上で決定を下したいと思っています。ですから、堅くならず、気楽にやっていきましょう。もし、あなたからCAD購入、ということになれば、嫌でも長いお付き合いになります。ご理解頂けますか?」
「はい」
 涼しい顔でサラッと榊が言った言葉に、忍は大きく頷いた。
「では、あなたの事を忍くんと呼んで良いですか?」
「は・・、はぁ・・・・・」
 榊の提案に多少の抵抗を残すように、忍は曖昧な返事をした。




 その後、1時間近くで、二人はこの日の商談を終えた。
 何もかもが榊のペースで進んだ。
 当然といえば当然の成り行きだが、その反面、自分の言いなりに話を進め、商談のペースを忍が奪おうとはしなかった事が、榊の心に引っかかっていた。

「では、来週火曜日4時に必ず伺います」
「お待ちしています」

 忍は来たときと同じくきちんと挨拶をして出ていった。

───  あなたはその程度の人だったんですか

 殆ど音も立てず、丁寧に閉められたドアに向かい、榊は呟いた。
 仕事上の付き合いをする人物として、力不足なのではないか。榊はそう感じていた。
 まだまだ笠原忍という人物は未知数だが、個人的に付き合うのならば、可もなく不可もなく、と言った感じである。何よりその容姿は好みにピッタリはまっている。

「もう少し時間を掛けるとしますか・・・・・・・」

 窓際に近寄り、忍の車が出ていくのを見送りながら、榊はため息を吐いた。

                         つづく

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