2000.12.13up

ブレイク・タイム 2

上郷  伊織

◇◇◇◇◇

───  やっと来ましたね

 ブラインドを指で僅かに開きながら、さかき卯人うひとは小さく呟いた。
 空調の効いた5階建てのビルの窓からは、広々とした幹線道路を東西へ行き来する車の流れが伺える。
 道路脇には一台の乗用車が停車していた。
 榊の視線は窓から見える全ての風景を無視して、その乗用車に注がれている。社用車らしく、青ではっきりと社名とロゴがペイントされていた。榊のいる二階からでも社名が読みとれる。
 車はビルの間近に止まったまま、中にいる人間が動き出す気配は伺えなかった。榊はデスクに一旦戻り、マグカップを手に取ると、奥のキャビネットを開き、コーヒーを点て始めた。程なくして芳しい香りが部屋に広がる。自分専用のマグカップに煎れたてのコーヒーを注ぐと、榊は再び窓際に戻り、停車中の車を眺める。

─── やれやれ、今日もかい?

 艶やかな漆黒の髪を無造作にかき上げて、榊は微笑んだ。
 以前から何度か見かけた光景である。
 月に2回位の間隔で「鞄本設計総合研究社」という社名の車は、ビルの前から五十メートル程離れた場所に十数分の間停車する。どこかに用がなければ、こんな飲食店も何もない道路脇に車を停車する目的など考えにくい。一時間前後の駐車ならば、仕事をさっぼっている営業の昼寝ともとれるのだが・・・・・。

───  そんなに敷居が高いんですか・・・・

 まるで、車中の人物に語りかけるように、榊はため息混じりに呟いた。
 あの車の中にいる人物こそ、二ヶ月前からの榊の待ち人の筈だった。
 いや、もしかすると、あの夏の日から焦がれている人物なのかもしれない。
 同一人物であって欲しいというのはあくまでも榊の希望で、車の人物が出てきてくれないことには確認する事が出来ないのだった。


 
 二ヶ月前の事である。
 榊は自分が描いた注文住宅の設計図面を持って、取引先である金丸工務店を訪ねた。玄関を入って挨拶をしていると、中から頼りなげな紺色のスーツ姿の青年が出てきて、榊とすれ違いざま、会釈だけして、受付から中に聞こえるように挨拶をし、足早に出て行ってしまった。
 一瞬の事で、相手の顔をはっきりと見ることは出来なかった。だが、「失礼します」と、はっきりとした口調の挨拶は、礼の角度も四十五度、正式な敬礼で、しっかりとした教育を受けたビジネスマンである事が伺える。榊の目にはそれがひどく場違いに映った。
 金丸工務店は地場の工務店で、平たく言うならば、個人経営の小さな会社だった。そういった場所では取引先もご近所付き合いの延長のように、地域の気さくな営業が多いのだ。
「さっきの方は?」
 奥の社長室に入るなり、榊はこの工務店の主である金丸慎一郎に尋ねた。
「来るなり挨拶も無しか?」
 コンピュータデスクの前にふんぞり返った、目つきの鋭い小太りな中年の男性。それが金丸慎一郎である。
 彼は、かなりの頑固者で、礼節を重んじるタイプの人間である。
「お久しぶりです。ご注文になった図面が仕上がりましたので、お持ちしました。早速、ご覧頂けますか?」
 榊はわざと大仰に挨拶する。
「おいおい、おまえにそんなかしこまれちゃあ気色悪い。あれは、日設の営業だ」
 手を顔の前で振りながら、金丸はさもイヤそうに唇を歪めた。
 その仕草に榊はくすくす笑う。
「相変わらず、性格の悪い奴だ」
 子供のように、拗ねた表情はとても会社経営などしている偉いさんとは思えない。
 それもその筈、榊と金丸はもう十年来の付き合いなのだ。
 大学時代に榊はこの金丸工務店で現場のアルバイトをしていた。本来ならば、一時のバイトなど入れない主義の金丸に、現場の勉強を早い時期に体で覚えたい、と榊が食いついた。坊ちゃん育ちが現場仕事のきつさについていける訳が無いと、高をくくっていた金丸はその場限りのつもりで、バイトの件を承諾したが、その年の夏休みいっぱいの間、榊は立派に仕事をしたのである。それからの付き合いだ。
 金丸はいつも憎まれ口をききながらも、榊の事を息子のように可愛がっている。
「で、日設がどうかしたのか?」
 金丸はマウスを操り、コンピュータの終了作業をし、画面が消えたところで榊に向き直った。
「いえ、きっちりした方だと思いまして・・・」
「ああ、良い奴だ」
「珍しいですね、親父さんが誉めるなんて」
「最初はどうしようもない感じだったが、今じゃコレの先生様よ」
 コンピュータの画面を指でピンッとつつき、金丸はニンマリと笑った。悪人面が満面の笑みを浮かべると、可愛らしいのか不気味なのか分からない、とその時榊は思った。
「気に入ってるんですね」
 榊が微笑みながらそう言うと、「ああ」とだけ答えが返ってきた。
 
 ずいぶん前のそんな出来事。
 それだけで、榊はその「日設」の営業に会いたいと思った。
 ちょうど、一年程前から榊は自分の会社にもCAD(図面設計用ソフト)が必要だと思い続けていた。だが、世間にはCADと一口に言っても様々な会社が開発を進めている。展示会や説明会にも何度も足を運び、専門雑誌も読みあさった。その結果、3社位に的は絞っているのだが、同業者からそのサポート体制に関しての評判を聞くと、どの会社も良いモノでは無かった。「日設(鞄本設計総合研究社)」もその3社の内の一つである。
 金丸の話によれば、「日設」はソフトとハードをセット販売しているらしい。最初に金丸がコンピュータを購入したのは、3年前で、その時の「日設」の担当者はアフターサポートがいい加減で、ソフトの持っている機能の三十%も指導しない内に来訪しなくなったという。指導料として余分に二十万払ったというのにだ。
 業務用のソフトには、基本的な操作説明書はついているが、やはり、そのソフトの癖や、図面を描く際のテクニックに関する事はマニュアルには載っていない。時間をかけてそのソフトを使い込んでいれば、テクニックも自然と身に付いて来るのだが、いかんせん建築関連の職種というのは、事務所にそんなに長くは居られない。現場仕事と図面作成で手一杯な状態である。だからこそ、追加の指導料を払ってでも、コンピュータの扱いやソフトの扱いを要領良く覚えようとする者が多いのだ。
 今の担当者は今年入り立ての新入社員で、金丸が購入した時期のソフトについて、知識が無かったにも関わらず、本社に問い合わせを繰り返し、金丸に自分が覚えた事の全てを教えに毎週金曜日の昼間に来るらしい。非常に良心的な人物である。
 数年前の購入ならば、すでに時効と言われても仕方のない状態なのだ。普通、商社の人間ならば、うまい言葉を使って要領良く逃げる。最近の出来る営業と呼ばれる人間ならばそうするだろう。
 だからこそ、金丸工務店に通っている「日設」の担当者に榊は会いたいのだ。
 幸い、榊の会社は金丸工務店と同じ市内で、しかも、歩いても10分の距離である。地域担当ならば、榊の会社にも訪れる筈だった。

                         つづく

INDEX BACK NEXT