2002.07.16up

もう二度と  5

上郷  伊織

◇◇◇◇◇

 人ごみを掻き分けながら細い裏路地を駆け抜ける、サラサラとした髪の小柄な少年を見失いそうになりながら、必死に追いつこうとしていると、彼は時折、後ろを振り返り私の姿を確認し、横道を見つけては姿を消そうとする。
 完全に私を撒くつもりで意図的に道を選んでいるのが見て取れた。
 彼が曲がる横道を確認しては、路地を覗き、自分の姿を相手に悟らせないように付いて行くと、彼の歩調は緩やかになった。
 相手との距離感を保ちながら、私は彼の根城まで尾行するように方針を変えた。
 とてもではないが、走り続けたのでは体力が保たない。
 どれ位の時間が経ったのだろうか?
 いつの間にか街中を抜けて、民家がチラホラ見える所に辿り付いた。人影も少ない寂れた場所にポツンと一件の家が建っていた。
 疎開でもしたのか、その家の窓には板が打ち付けられ、とても人間が住んでいるようには見えない。小柄な少年はその奥にある物置小屋に入っていった。
『おかえりなさーい』
 聞こえてきた幼い声に家族が中にいるのか、と驚いた。
 しかし、それは私にとっては好都合な事だった。
 家族がいるのならば、訳を話してカバンを返して貰おう。
 思い切って物置の戸を開けると、中には少年よりも小さな男の子が3人と、私と年の変わらない女の子が一人、部屋の隅っこに怯えたように肩を寄せ合って、その前に華やかな顔立ちの少年が仁王立ちしていた。

 私はその瞬間、自分の方が悪人になったように錯覚した。

 孤児や事情のある子供ばかりが片寄せあって生きていた。
 方法はいただけないが、彼は皆が食べる為に必死になっていただけなのだ。
「……あの。………カバンを」
 返して貰えるのかどうかも分からないが、返して貰わない事には家に帰れない。
 私だとてこれから、叔母や従兄弟の為に食料を調達しなければならないのだ。
 呆然としながらも、私が掛けた声に少年の後ろからカバンを拾った少女が震える手を差し出した。
「……ごめんなさい。私達のせいなの……」
 深々と頭を垂れて、少女は謝罪の言葉を口にする。
 私は彼等を見ているのが辛くなって、すぐさま踵を返した。
「いいよ。返してくれれば」
 
 その小屋から出た後の私の足取りは重かった。
 ホンの少しでも、お金を分けて上げれば良かったのかもしれない。叔母の家は繊維工場もやっていて裕福なのだから。しかし、たかが一度そんな風に分け与えても意味があるのだろうか……。
 色々な考えが頭を巡って、後味の悪さだけが私には残っていた。
 私の周囲には極端に貧しい人間はいなかった。だから、人づての話で、そういう人間がいる事を知ってはいたが、それは単に知識程度のモノで、実際、目の当たりにした時、私には何も出来ない事しか分からなかった。

「あんた、馬鹿なの?」
 突然掛けられた声に驚いて身を翻すと、華やかな少年が呆れた素振りで私を見ていた。少年は自分から『小田切 雅(おだぎり みやび)』と名乗った。
「ほんと……。馬鹿みたいだよね」
 私はそのままの気持ちを口にした。
「どうして、殴らないんだよ! 俺はあんたの物を盗んだんだ。あんたは俺に仕返ししたっていいんだ」
 雅は怒鳴った。
「そうだね。でも、いいんだ。鞄は私の元に返ってきたし、中身もそのままだから……」
 彼に対して、不思議と怒りは湧いてこない。
「ふーん。あんたがそう言うならいいや」
 
 彼を置いて、私はまた市場へと歩き出した。
 とんだ寄り道をしてしまったから、まだ、私は当初の目的を果たしていない。
「市に行くんだろ? こっちが近道なんだ」
 すると、彼は私に駆け寄ってきて、私の手を引いた。
 あまりの驚きに私がきょとんとしていると、彼は口端に皮肉な笑みを浮かべる。
「あ、またなんか盗られると思ってんだろ?」
「……いや」
「さっき見逃してくれたからさ、案内してやるよ。あんた、買い物なんかした事ないだろ?」
 どうやら、私の様子を最初から観察していたらしい。
 雅はニッコリ微笑んで、色々な事を教えてくれた。
「配給だけで足りるのか?」
「いや……」
「もう少し日が暮れたら連れて行ってやるよ」
 どの人から米を買えば、沢山の量が買えるとか、現金よりも着物を喜ぶ農家の人もいるとか……、彼は詳しかった。
 彼の言う通りに先だっての小屋で時間を潰し、日が暮れてから街中へ、ごく普通の民家に見えた家の裏木戸を潜ると、奥の部屋いっぱいに米が積み上げられていた。
 あまりの驚きに私が目を白黒させていると、雅と名乗った少年は声を発てて笑う。
「本当に坊ちゃんなんだな」

 最後に私が買い込んだ米と芋を、心ばかりのお礼として渡すと、雅は黙ってその食料を見詰めていた。
「やっぱり少ないかい?」
 私がそう聞くと、雅ははにかむように唇を噛み、首を振った。
「あんた、やっぱりおかしいよ」
 照れるように、その場から雅は走り去った。

                         

つづく

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