2002.07.16up

もう二度と  4

上郷  伊織

◇◇◇◇◇

 戦時中の日本は物資が不足し、国民には配給制度が義務付けられていた。家族一人についての量が米や芋、大根に至るまで政府によって決められ、食料品を扱う店に行っても正規のルートでは空腹を満たすに十分な食事は出来ないようになっていた。
 町中に住む国民は個人で闇ルートの食料を売り買いする家を、夜中にそっと訪ねては着物や現金と交換に食料を仕入れる事が暗黙の了解としてまかり通っていた。
 世の中が食べていく為に必死になっている中にあって、旧制中学の寮にいた私は飢えた事など殆どなかった。
 学校の夏休みも近付いたある日、父や母が空襲で亡くなったとの電報を受け取った。信じられない思いで帰省すると、家屋は全く無事なのに、ソコには私を迎えてくれる筈の家族の姿だけが消えていた。葬儀を早々に済ませ、そこそこの財産があったために叔父夫婦に後見人になってもらい、結局、家を出て叔父夫婦の家に世話になっていた。
 復学する気力も失いかけていた。
 私が悲嘆に暮れている間にも戦局は厳しくなり、叔父は戦争に駆り出されて行った。
 今度は男手を無くした叔母とその家族が残されている。悲しんでいる暇は与えられなかった。
 叔父の代わりに私は食料を調達する役目を果たさねばならなかった。
 叔母はどこかに闇ルートがあるという情報を得てはいたが、具体的にその場所を知らないようだった。
 私は、とにかく出かけて、その闇ルートを探す事から始めなければならなかった。

 ゴミゴミとした埃っぽい路地いっぱいに即席で作られた店が建ち並んでいた。
 茣蓙や新聞紙の上に麻袋を半分開き、芋や米、粟や野菜が並べられ、人が溢れている。
 初めて足を踏み入れた空間に私は怯え、どのように声を掛けて良いのかさえ分からずに立ちすくんでいた。暫くの間、石のように固まっていた体を無理やり動かし、米を売っている男に声を掛けようと決意した一瞬の出来事だった。
 小柄な少年が、私にぶつかったと思った次の瞬間には、肩から下げていた筈の布製のカバンを引っ張られ、体制を崩した私は尻餅をついていた。
「………ど、どろぼー!」
 咄嗟に叫んだが、そんな事で少年が止まってくれるわけも無い。
 財布の入ったカバンを奪われたままでは叔母の家に帰れない。
 とにかく私は少年を追いかけて、全力で走った。
                         

つづく

INDEX BACK NEXT