純愛なんて知らない (5)
上郷 伊織
◇◇◇
帰宅途中コンビニに立ち寄る。あまり食欲もないが手軽に食べられそうな物と飲み物を物色してレジへ行く。その後、いつもの習慣で雑誌の立ち読みをしていると携帯の着信音がした。
画面を覗くとそこには佐伯の名前が表示されていた。
あの物理室での一件から、俺はなんとなく佐伯を避けていた。
なんかHする気分になんてなれなくて、それを説明できればいいけど自分でも「なんとなく」だから話しようがない気がして。会わなければ何も言わずに済ませられるとズルイ考えが俺にはあった。
『輝?今から会える?』
落ち着いた低音が問いかける。
「う…ん……。いや。ちょっと」
今日はそんな気分になれそうもない。
『元気ないね。この間の事を気にしてるの?』
「そうでもないけど……」
『食事だけでも一緒にどう?』
まるで今の俺の心境を察しているかのような気遣いのある言葉に絆されそう。こういうトコが大人なんだよな、佐伯は。
「あんま食欲もなくて……」
『そう……。前に気に入ったって言ってたイタリアンレストランで軽いものだけでも食べない?』
高校生が一人では敷居が高くて入れない高級店の事を示されて、気持ちがグラリと傾いた。
「行く」
「じゃ、一時間くらいで迎えに行くよ」
「うん」
佐伯は俺をコントロールするのが上手い。
あんな風に下手にでてお願いされたら断り辛いではないか。
空が赤みを帯びて住宅地の風景を染め替えようとしていた。
片手にぶら下げたコンビニの袋を無駄な荷物に思いながら家路を急ぐ。
自宅の間近まで来ると、玄関前に人影が見えた。
長身のその人物に徐々に近付いていくと、そこには二郎が佇んでいた。
以前と変わらない姿勢で壁に凭れて俺を待っていた。
「珍しいな……」
あまりにも久しぶりなその光景に俺は幻影を見ている気さえした。
玄関の鍵を開けて二郎を招き入れる。
「一時間位で出掛けるけど、それでもいいなら上がれよ」
佐伯と会う約束があるから、二郎との話は早く切り上げるつもりでいる。
俯き加減な二郎は無言で玄関を潜った。学校で会った時あれ程険のあった瞳が穏やかに見える。話をするなら今かもしれない。
もう、避ける事は叶わないのかもしれない。
三和土で靴を脱ぐ仕草すら懐かしかった。
「『泊まってく?』って聞かないのか」
以前は必ず俺が言っていた台詞を二郎が呟く。
「断るくせに?」
何度も何度も断ったのは二郎。
断られるのが解りきっていたから、もう聞かなくなった俺の台詞。
それがなくても、もう絶対に言わない台詞だろう。
「これ飲んで待ってて。着替えてくるから」
一階奥のリビングに二郎を通してさっき買ってきたばかりのペットボトルをテーブルに置いた。二郎が好きだったコーラを。
足早に階段を上り二階の自室で制服を脱いだ。
佐伯との約束の時間まで一時間弱。
すぐに出掛けられるように着替えだけは先に済ませておきたかった。
もし、二郎の話が長引いても佐伯が途中で訪問すれば二郎は出て行くしかないだろう。有無を言わせずに追い出す事も出来る。またズルイ考えを俺の頭は思い浮かべる。
どこまで汚い人間になれるのだろう。
一応、高級な店に行く予定だから、ちょっと畏まった格好をするべきか、ジーンズにジャケット程度の格好にするべきか、クローゼットの前で迷っていると階段を上ってくる足音が聞こえた。
「二郎?」
部屋のドアが開けられる。
慌てて間近にあったジーンズを掴み、穿こうとした所に二郎が顔を覗かせる。
強張った二郎の表情にゾクリと指が震えた。
「そういうの穿くようになったんだ……」
二郎の視線が俺の股間に注がれていた。相手が意識的に見ていると思うとただのボクサータイプの下着でさえ際どい物の様に思えてくる。よりによってコイツに見られるなんて……。
「…お、お前に関係ない。それより、服着たら下に行くから出てけよ」
中途半端な格好を見られるのが恥ずかしくて、殊更にそっけない口調で言い、ジーンズを慌てて引き上げる。
「これから佐伯に会うんだろ?」
「だったら、どうなんだよ」
凄みのある目で俺を睨んだまま二郎が距離を詰めてくる。
「………会えなくしてやろうか」
「……え…………」
言われた事の意味が分からないまま、鋭い目に笑みを浮かべた二郎の表情が恐ろしく見えてきて後ずさる。
ジリジリと近付いてこられた分だけ後退するにも限界があって俺はベッドの縁に追い詰められていた。
つづく