2007.02.09up

純愛なんて知らない (4)

上郷  伊織



  ◇◇◇

 個人に何が起ころうとも、朝は平和にやってきて太陽が目も眩むばかりの光を放っていた。冬の肌寒い空気の中でも学生達は健やかな笑顔を見せて通学路を歩いていく。
 どんより暗い気分を引き摺っているのは自分だけかもしれないと、妙に自嘲気味になる。
 校門を潜って下駄箱で靴を履き替えていたら不意に肩を叩かれた。
「顔色悪いけど、昨日サボリじゃなかったのかよ」
 クラスメイトの田村がどうやら心配してくれていたらしい。
「悪い。俺、誰かと話したい気分じゃないから……」
 チラっと一瞥しただけでそう言うと、時折俺を振り返りながら田村は廊下に消えていった。
 かなりの覚悟をして教室に入ったけど、二郎の姿が無い事にホッと胸を撫で下ろす。
 冷静に考えてみると、不条理だ。
 人の濡れ場を覗き見したのは二郎なのに、なぜ覗かれた俺がこんなにビクビクする必要があるのだろう。責められるべきは二郎ではないのか。
 俺様は俺様らしく居直ればいい。
 昨夜から何度も己を勇気付けた無理矢理な論理を頭の中で展開させて、さして興味の無い小説本に気持ちを集中させる。
 全然集中出来ないんだけどね。
 そうしている内に二郎の姿が視界の隅に入ってきた。
 何か言われるのではないかと身構えたけれど、二郎はこちらをチラと見ただけで自分の席にさっさと座った。
 その一瞬の視線が酷く鋭かったような気がして背筋がゾクリと震えた。暗く鋭い眼光は俺が初めて目にする表情だった。

 二時間目を終えるまで何事も起こらなかったから、俺はすっかり油断してた。机に影が差して、目の前を見上げるとそこに二郎がいた。真っ直ぐに俺を見つめる黒瞳は暗い光が宿っている。ビクリと肩が震えた。
「…な、…何?………」
 俺を睨んだまま二郎の口は何か言いかけて、引き結ばれた。
 そしてコピーの束を乱暴に俺の机に投げて寄越す。
睫を伏せた無表情な二郎の顔は端整だった。短く刈り込んだ黒髪。通った鼻梁に鋭い目つき、やや薄い唇、シャープな顎のライン、程よく出た喉仏。すべてのパーツが程よいバランスで配置されて、以前よりも男臭く成長してしまった二郎に目を奪われる。
「昨日のノート……」
 圧倒される高さから、くぐもった声でそれだけ言って去っていった。
 俺はその場で固まっていた。
 高校に入って初めて休んだけど、でも、まさか以前と同じように二郎に親切にされるなんて思っていなかったから。
 かなり怒っているような表情だった……。
 俺に対して怒っているのなら、はっきり理由を言えばいい。仲良くしていた頃はハッキリと問いただして来たではないか。それなのに何故律儀に腹を立てている相手にノートのコピーまで取ってくれるんだよ。
「あきらー、こえーよ。二郎の奴、昨日からあんなだけど、輝にまで怖ぇーと思わなかったよ」
 真横の席の田村まで怯えている。
「俺も怖ぇーよ……」
 同意してやると、田村は俺の机に肩肘をついて身を乗り出してくる。
「な? なんかあった? 輝知らねぇ?」
「……なんで俺にわかるんだよ」
「だってさ、中坊の頃からお前らつるんでたもん。ちょっと話聞いてやってくれよ輝」
 暗に、あの状態の二郎を俺に何とかするようにとの事らしいが……。
 田村はいつも周囲に気を配る事の出来るいい奴だ。少しばかりお調子ノリではあるのだが、何があっても俺に対して態度を変えないコイツを俺は結構気に入っているし、クラスにいる時なんかは頼りにしてる。
「……パス。俺、調子悪い」
 ……出来れば接触したくない。今、距離を詰めたら一発触発って感じがするんだもん。
 佐伯の事で反撃に出られたら、俺はきっと何も言えなくなる。二郎の目の前から今でも遁走してしまいたい気分なんだから。
「えーー。輝なんかいいよ。昼過ぎまでだからさ。俺なんか部活もだぜ。すっげー荒れててパス通されたくないもん。力の加減が滅茶苦茶だから突き指した奴も出たんだぜ」
「あ? 部活でもかよ」
 二郎は何かあってもそれを部活に引き摺るようなマネはしない奴だった。
「もう、マネージャーと別れてからこっち、なんか変だったけど、今がピークって感じ?顧問も練習休ませるか悩んでるし。部員はみんなビクビクもんよ。言っている事とかやってる事が正しいだけに何とも言えないけどさ、他人に対して容赦が無くなってるんだよね」
「二郎が?」
「そう、あのジロちゃんが」
 余程マネージャーに未練でもあったんだろうか?
 もともと原因は俺だと聞いているし、って事は嫌いで別れた訳でもない。
「………」
「あーあ、お前がいた頃は良かったよなー。あいつ堅物だったけど、なんか余裕があって人に優しかったもんなぁ」
「……戻りようがないし」
「あ……。ゴメン。そんなつもりじゃなかったんだ」
「いいよ。分かってるって」
 高校に入学して間もない夏休み前、俺は練習中に膝を痛めた。日常生活には支障は無いけど、膝を取り巻く筋力を鍛えなければいけないのと、激しい運動を続ければ俺の膝は曲がらなくなるかもしれないと、医師に通告された。  顧問からはマネージャーとして残ればいいと言われたが、他の部員に同情されるのも、他の奴らが楽しそうにプレーする姿を指を銜えて見るのも御免だった。それに、元々、どうしてもバスケがやりたかった訳じゃなく、俺の動機は全くもって不純そのもの。一番背が伸びる確立が高そうなスポーツだと思っていたからやりたかっただけだった。その程度の気持ちしかないのに、自分の体を張ってまでバスケを続けようとは思えなかった。
 リハビリを兼ねて今は週2回スポーツジムに一般客として通っている。愛は無いけど金のある家庭の息子だし、その権利は有効に使わせてもらう。
 もう、近くで二郎が決める3Pシュートを見られないのが一番残念だった。空に向かって体を真っ直ぐ綺麗に伸ばした姿勢から、弧を描いて放たれるボールを二郎が放つ瞬間の緊張と興奮を今の俺は感じられない。
 俺が通したパスを受け取った時の頼もしい笑みを見られない事に未練を感じていた。
 足の話は俺の周囲では既にタブーになりつつある。
 そんなに気を遣わなくても、俺自身は気にしちゃいない。
 冷え込みの厳しい日、体育の授業でマラソンをさせられた日、軋む様に膝が疼く時くらいしか忘れている事だから。
「そういえば、お前が膝やっちゃった時もさ、一時期あんな感じになった事あったよーな……。そうだよ。お前辞めちゃった頃も荒れてたんだよ」
「………え?」
 あの日の事に記憶を廻らせても、二郎が駆け寄ってきて、他の部員や顧問に囲まれて、無理をすれば片足で立てたから顧問の車で病院に運ばれたし、その後、すぐに検査入院になって慌しさの中で他の事など気にする余裕は無かった。
 入院中も二郎は毎日見舞いに来てくれていたし、時々、痛ましそうな顔を覗かせるだけで、俺の前では変わった態度は取らなかった。
 二郎は俺に部活を続けて欲しかったんだろうか?
「あん時みたいに二郎が普通になるのを待つしかないのかね…」
 田村は諦めたように呟く。
 合わせて俺もため息を吐いた。
 俺には解らないよ。
 二郎が今、どんな気持ちでいるのかなんて。出来ることなら二郎の頭を真っ二つに割って中身を見てみたいくらいだ。
「あーあ、そんなため息なんか吐いちゃって、物憂げにしている輝ってのも綺麗だよね」
 不意に呟いた田村の掌が俺の胸に当てられる。
「触るなよ」
「いや、つい。輝が女だったらな、って思うと確認したくなるんだよ。この顔に女の体がついていれば完璧なんだけどなぁ。やっぱり見事に真っ平ら」
 中学の頃からコイツはたまに俺を触る。
 俺がいつか女の子に変身するかもしれないと、希望しているとかなんとか……。
 人間の進化にそんなものが加えられるはずがなかろうに。本当に田村っておバカさん。
「俺、一応170cm超えてるし。どう考えたら女だったらなんて言えるんだよ」
 現在、173cmの身長を強調してやると、上目遣いになりながらも、まだ、俺の上着の中に手を差し込もうと狙っている指が辺りを這い回る。正直、やばい。俺はもう「清らかさん」な頃はとっくに過ぎて、その辺のポイントを突かれちゃったら、かなりやばい。
「俺、180cm超えてるから気にならねー。スレンダー美女って好きだし。モロ好みなのに男なんだよなぁ。確認するたびに打ちのめされちゃうよ俺は」
「一緒にトイレ行く? 二度と立ち直れないようにコッチも見せてやるよ?」
 田村の手を引き剥がして己の股間へと運んでやる。本気を証明するように田村の瞳から視線を逸らさず口端をあげてニヤリと微笑んでやると、田村の手はビクリと震えた。
「触りたい?」
 手を俺の股間すれすれまで引っ張ってやると、制服の生地に接触する寸前で田村は力いっぱい手を引っ込めた。
「いやだー。絶対触りたくねー」
   おぞましい物のような反応に満足する。そうそう、普通の男子はこうあるべきなのさ。
「輝、意地悪ぅ」
 無礼者には鉄槌を。俺の信条である。
   いじけたように自分の席に戻る田村を尻目に、何日かぶりに俺は声をあげて笑った。

 なんだかなぁ。結局このバカにある意味救われてる気がする。
 


つづく

INDEX BACK NEXT