2001.11.30up

生きてりゃこんな夜もある 9

上郷  伊織

◇◇◇◇◇

「俺って馬鹿みたい・・・・・・」
 詐欺騒ぎで、葵の気持ちは張り詰めていた。
 親には友人の家に遊びに行くと偽って夜の街に出かけ、なんとか自分一人の力で十万という学生にとっては大金を手に入れようと気負っていた。
 薫には店を紹介されたのに、面接の際にノウハウだけを聞いて、相場よりも割安の値段をつけ、単独で客を拾う事にした。それならば、多少慣れてなくても大目に見て貰えるような気がしたからだ。
 結果的に客は一柳以外知らないけれど、結局は詐欺で支払う必要のない金だけが残った。
 必死になって、一大決心をして売春なんてやったのに。
 実際は売春にはならなかったみたいだけど・・・・。
「一柳さん、これ・・・・」
 カバンから二日間で貰った5万円を取り出し、一柳に差し出す。
 一柳は葵にロクに何もしていないのだから、返すべきだと思った。
「お前の正当な賃金だ」
 一柳は差し出した葵の手を押しやった。
「でも、あんた俺とやってないじゃん」
 葵は引き下がる気が無かった。
 見ず知らずの葵に親身になってくれた一柳から騙すようにして金をせしめるなんてしたくなかった。
「味見はさせて貰ったぜ。少なくとも2日間は俺の気まぐれにつき合わせたしな」
「そんなの違う」
「日給だと思えばいい。拘束はされてた訳だしな」
 顎をポリポリ掻きながら、薄笑いを浮かべて一柳は呟く。
片端を上げた口元が葵の目にはニヒルに見えた。
女を買いに行くような男が、自分にはロクに手出しもしなかった事が、どこか葵を苛立たしくさせる。
それとも、自分にはそれだけの価値も魅力もないのだろうか?
「さてと、お前は帰りな」
 夕日が一柳の彫の深い顔を逆光で黒く染める。
 表情が読めない。
「こっちは禁欲生活が長すぎてな・・・・。もう、もたねぇや」
 葵に背を向け、振り返りもせずに、一柳は手を振った。
 
 全てのケリは着いた。
 身体を売る必要など無い。
 ならば、一柳とも関係が無い。
 確かにそうだ。
 だが、理屈では割り切れない感情が葵の中を渦巻いていた。
 
 腹が立った。
 買うと言っておきながら、葵には手出ししない癖に、他の誰かなら抱くのか・・・・・。
 そこに特別な感情はなくても抱かれる誰かがいるのか・・・・・・。
(なんでだよ)
 葵の見知らぬ誰かに、あの夜のように一柳が触れる。
 どこか温かみを感じたあの指が、同じように自分とは違う誰かを触る。
 そう思うだけで虫唾が走る。
(・・・・・・・・・・嫌だ)
 どうして嫌なのか、そんなことはどうでもいい。
 嫌なものは嫌なのだ。
 
 気が付くと、駆け寄って一柳の背を殴っていた。
「・・・・・でだよ」
(なんで、俺じゃないの)
(俺じゃダメなの)
「おい・・・・、こら」
 不条理な事をしているのは十分承知している。
 それでも、一柳を止めたかった。
「俺じゃダメなの・・・・・・・」
 スーツの上着を引っ張りながら縋りつくように、呟いた。
 一柳は頭を掻きながら戸惑っている風に見えた。
「ちーっとばかし関わり過ぎちまったようだな・・・・・・」
 困惑しながらも、振り返った一柳は葵を抱きとめた。
「・・・・・・・他の人、買うなんてヤダ」
 心のままを葵は口にする。
「お前に言われる筋合いはない」
 一柳の口調は意外に冷たい。
「・・・・・・・・だって、・・・・だって俺、あんたが・・・・」
 いつの間にか葵は一柳を好きになっていた。
 口が悪くて、即物的で、でも、どこか人間臭い温かさを持った男に惹かれていた。
「勘違いすんなよ。たまたま、関わっちまったから俺は最後まで面倒見ただけだ。お前のその感情はな、雛の刷り込みと同じだ。何にも知らねぇうちから俺みたいな奴に引っかかってんじゃねぇ」
 どこか怒りを含んだ一柳の表情を見た途端、葵の身体は竦む。
「お前みたいなガキはな、学生同士でママゴトみたいな恋でもしてな。俺は面倒なのはご免だ」
 身体を引き剥がされて、触れあっていた温もりが冷めていく。
 面倒とまで言われてしまうと、返す言葉がない。
 けれど、今、葵の心が求めているのは目の前の一柳だけで・・・・、一柳が何をしている人間かなんて知らない。一柳の年齢も、何処に住んでいるのかも、何も知らない。
 それでも好きだと思うのが、一柳にとっては迷惑な事なんだろうか。
「分かったら、帰れ」
 突き放すような言い方で離れて行こうとする一柳の上着の裾を葵は掴んで放さなかった。
 放したら、これっきり一柳と会えないような気がした。
「・・・俺の・・・・事、嫌い・・・・」
 喉から搾り出すように、呟いた。
 嫌われるような事をしているのは判っている。
 これ以上、嫌われるような事をしてどうするんだ、とも思う。でも、自分が自分で止められない。
「ねぇ、嫌い?」
 一柳は珍しいものを見るような目つきで葵の顔を見つめていた。
(やっぱり、嫌いなの・・・・・・・・・)
(いっぱい迷惑かけたから・・・・)
(俺が図々しいから・・・・・・・)
 そんな事を思っていると、また、涙が滲み出す。
(嫌われるような事ばっかやってるもんね)
(売りなんかしようとするような奴、本気で相手するわけないよね・・・・・)
 はっきりと一柳の口から引導が渡されるのを葵は待っていた。
「・・・・・・嫌いなら、嫌いって言ってよ」
 返事がないのが、余計に葵を追い詰める。
 一柳の眉間に縦皺が寄る。
(やっぱり、俺の事、嫌いなんだ)
(同情で親切にしてくれただけなんだ)
「・・・・助けてくれたのは・・・同情・・・・・?・・・・」
「・・・・・・・それもあるかもな」
 どこかで自分に都合の良い返事を葵は期待していた。
 『好き』とまでは言って貰えなくても、『同情じゃない』くらいは言って貰えるかもしれないと。
 握り込んでいた手を放すと、固い上着の感触が消えた。
 俯いていると、視界から黒い皮靴の踵が遠くなっていく。
 諦めた方が良いのかもしれない。
 そう思うのに、葵は一柳の後をトボトボと追いかけていた。

                         

つづく

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コメント

終わらないぃ〜!