時間のタリナイ恋なんて・・・4
上郷 伊織
◇◇◇◇◇
小さなガラス窓を覗けば、駅の明かりがぼんやりと光彩を放つ。
ビジネスホテルの一室で聖は溜息を吐いた。
進捗予定の1日半分の仕事を終えると、7時を回っていた。
大型サーバのデータベースに進捗結果を書き込み、周囲が退室しそうも無い雰囲気の中、聖は次の仕事に掛かろうとしていたが、岸上の指示で、その日の予定をこなしている者には退室命令が下った。
帰宅組と共に適当な居酒屋で夕飯を終え、ホテルへと戻ったのは9時半。
改めて一人になると、岸上の事が頭に浮かび上がる。
前の仕事の時は岸上の所属する会社だった。
その時、岸上は自分の事を聖と呼んでいた。
だが、今は「加納」。
ただ、それだけの事で突き放されたような気分になる。
理屈ではエンドユーザーの社屋で、しかも別会社の人間としているのだから、当たり前と言えば当たり前の事。
ギクシャクとした雰囲気のせい。
被害妄想のようなものだと割り切ろうと思う度に、岸上のちょっとした態度や言動に傷付いている自分がいた。
機械的に身体を動かし、シャワーを浴びて、裸のままベッドに寝転がる。糊の利いたシーツを寒々しく感じながら聖は目を閉じた。
こんな調子がいつまで続くのだろう。
心に残るモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、2週間を過ごすのだろうか?
背中が冷たい。
濡れた髪から浸み入る水分に空調の風邪が冷たさを増す。
髪を乾かさなければ・・・・・・。
────あー、もー、面倒くせぇ〜
仕方なく起き上がり、ドライヤーをかけ始め、ふと、思い付いたように、聖は鞄の中を探った。
取り出したモバイルパソコンを覗くと、岸上のカレンダーが映し出された。今日の退室時刻は22時。
時計を見れば、22時28分。
聖は慌てて鞄を開け、身支度を始めた。
◇◇◇◇◇
403のプレートが貼られたドアを開け、聖を迎え入れた薄情な恋人は腰にバスタオルを巻いただけの姿で立っていた。
均整の取れた筋肉質の痩身。
見上げる背丈。
無造作に撫でつけられた濡れた髪は額にこぼれ落ち、常にない色香を放つ。
その姿を目にした途端、聖は目的を忘れそうになる。
「どうした? 入らないのか?」
ドアの前で立ちつくす聖に、岸上はからかうように問いかけた。 聖が来る事を最初から予測していたように、内線電話を掛けた時も岸上は驚いた素振りも見せない。
ホテルに戻ってすぐに聖はフロントで岸上の部屋番号を確認していた。
それすらも計算済みだったとでも言うのだろうか?
この男は・・・・・・・・・・。
「なんで、断れなんて言ったんだ・・・・・・・・」
自信に満ちた岸上の態度を見る度、自分が未熟な人間なのか?と疑いを持ちたくなる。自然と語尾は小さく縮んでいく。
「お前には判っているだろう?」
そう言った岸上の口元には笑みさえ浮かんでいた。
「来た以上は全力で働け」
部屋の奥へと歩きながら岸上は呟く。
聖には岸上の言わんとするところが掴めない。
突き放すような岸上の態度が判らない。
「判らないか?」
聖は無言のまま頷いた。
「じゃ、聞くが、この仕事のどこにお前のメリットがある?」
メリットなど無い。
今までに経験の有る言語。
少ないギャラ。
火の付いた現場。
時間も十分に与えられてはいない。
「・・・・・・・それが理由なら、なんであの時言わなかったんだ」
最初の電話の時に言ってくれれば、ココにはいない。
聖は射るように岸上を睨み付ける。
「それ位の計算は得意だろう? 違うのか」
鼻で笑われた瞬間、屈辱に血は逆流する。
実際、計算出来ていたのだ。
意地だけでわざわざ甲府くんだりまで来たなどと言おうものなら、どれほど馬鹿にされるか分かったモノではない。
反論のしようなど無かった。
ビジネスのみで考えるならば、ココに聖がいる事イコール聖に正常な判断能力がないと見られたようなものなのだ。
だが、感情は収まり切らなかった。
「・・・・あんな電話がなきゃ、断ってたさ!」
理由が分かった以上、こんな所に長居をする気はない。
──── もういい
伝わらない気持ちを持て余しながら、聖は岸上に背を向け、部屋を後にしようとしていた。
だが、それは叶わなかった。
不意に背中から腕をまわされ、抱き留められた。
心臓が止まるかと思う程、突然、温もりに包まれる。
「こんな仕事はお前には似合わない」
耳元に優しい声が響いた。
コイツは自分を心配していたのか?
──── やっぱり、コイツはズルイ
そんな風に言われたら、怒るに怒れないではないか・・・・。
「仕事選びまで、指図すんなよ・・・・・」
いつまでも離れない岸上の身体に、次第に頬は上気する。
それを見られるのが嫌で、振り向かないようにしているのに、顎を掬われ、無理矢理振り向かされた。
そっと合わさった唇を拒む理由は何処にもない。
聖は静かに目を閉じ、岸上にその身を預けた。
つづく