時間のタリナイ恋なんて・・・3
上郷 伊織
◇◇◇◇◇
───── そういう事かよ・・・・・・・・・
小さなビルの最上階、フロア内のパーテーションで仕切られた応接室に待ちかまえていた人物を睨み据え、聖は眉根を跳ね上げた。
嫌な予感どころの騒ぎではない。
聖をここへ引き寄せた元凶が、精悍な容貌に怜悧なまでの落ち着き方で目の前に立っていた。
そう、聖の恋人、岸上遼一である。
確かに山梨にいるという事は知っていた。
だが、同じ現場だなんて聖は一言も聞かされていない。
そして、今回の仕事は断れ、と告げてきたという事は、つまりは共に仕事がしたくなかったんだな、と聖は解釈した。
険しい聖の表情を視界に入れても、岸上は眉一つ動かす事もなく涼しげな表情を崩さない。
それぞれに自己紹介を済ませ、全員が椅子に腰を下ろすと、今回出向の3人には新たな資料が配布される。
何事もなかったかのように岸上のスマートな説明は続く。
「先程配られた進捗予定表等の書類をご覧下さい。
最初のページに記載のあるプログラム一覧のプログラムコード横に氏名が記載されています。各自でこちらの指示書に従って、順次単体テストまで、進めて置いて下さい。質問は常時受け付けますが、出来るだけ朝のミーティング時に纏めて頂けると助かります。また、この機種に慣れていない方数名は、氏名の横、サブ担当の者に細かい指示を仰いでください。では、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
───── ちっ、手慣れてやがる
岸上の説明がスマートであればあるほど聖のイライラは募っていった。
打ち合わせも終わり、指定されたデスクに着く。
新たに設置された端末として使用されるパソコンにはまだ電源が入っていなかった。
これから、開発環境に必要なアプリケーションも指定された環境に基づいてインストールや設定を指定せねばならない。
これほど、何もかも出向者個人に負担の掛かる仕事は聖にとって初めてである。
今までの設備の整った現場が夢の中の出来事であるかのように遠く感じられた。
チラリと岸上の方を伺うと、普段と変わりなく、書類を繰りながら端末入力を続けていた。このような慌ただしい、力仕事の現場では、自分は岸上に力不足だと思われたのだろうか?
不安が聖の脳裏を過ぎる。
以前に寄せられていると思っていた信頼が、幻のようなものだったのかもしれないとすら思えてくる。
ほんの5分だけでも理由を話してくれれば、安心して作業に専念出来るかもしれないのに・・・・・・。
脱力感に苛まれながら、聖は与えられた端末の電源をONにする。
続いて大貫、そして、岡田が電源ボタンを押した瞬間。
応接部分を除く全ての電気が消えた。
辺りを見回せば、ノートパソコンのディスプレイだけが煌々と光を放つ。
───
ゲゲッ・・・・・停電・・・・・・・・・・・・・。
「加納、大貫、岡田、電源をOFF状態にしろ!」
ざわつく空気をうち破り、岸上の怒声が飛ぶ。
程なくして、室内の電気は復旧した。
「・・・・・・・・・おれの・・・・・俺の12時間41分・・・・・・・・・・・」
呆然と呟きながらも一柳の指は高速でキーボード上を走る。
そこに現れたのは、半分から先が文字化けと空白の入り交じった無惨なソースの姿だった。
一柳は頭を抱え、音にならない悲鳴を上げる。
横目に見ていた聖は、あまりの痛々しさに声すら掛けられない。
「一柳さん、バックアップは・・・・」
「・・・・・・あったら・・・・・落ち込む訳ないでしょ」
岸上の質問に、一柳は力無く応えた。
周囲のプログラマー達も一様に肩を落とす。
その時、聖には何故周囲までもが、がっかりするのかが理解出来ないでいた。
元々、倉庫として使用されていたスペースを無理矢理開発室として開けて貰ったため、電圧が足りなくなっていたのが原因だった。
そこで、今日から出向になった3人の電源は別から取る事になり、その場は落ち着いた。
聖の担当は主にホームページ部分で在庫情報の集計と抽出も仕事に含まれていた。
環境を整えたところで、少し伸びをして肩を回していると、視界に一柳が入る。
周囲が無心に端末に向かう中で、一柳だけがぼんやりとディスプレイの1点を見つめている。余程、ショックだったのだろうか?
ほんの休憩のつもりで喫煙室に行くと、2人の出向者が煙草を吸いながら談笑していた。
聖よりも4〜5日前から現場に詰めている出向者ある。
二人ににこやかに話しかけ、先ほどの停電の話しを足がかりに、一柳の事を聞くと、二人はメインSEだと応えた。つまり、難易度の高いシステムの中心部分を主に作成するSEだ。一柳のプログラムが完成しない事には結合テストが出来ないのだ。
今回の停電で、肝心のプログラムが2日前の状態になってしまった為、全体の進捗が狂ってくる事になる。
他の人間がどうにか出来る問題でもないが、一柳は徹夜が続いていて、体力的にそろそろ休養を取る予定だったらしい。
開発室に戻り、もう一度、岸上の様子を伺う。
聖の存在など有っても無くても同じでは無いのかと思えるほど、岸上は仕事にのめり込んでいた。自分のデスクに戻り、聖は一つ溜息を吐いた。
何とか話しが出来ないものかと思うが、あまりにも人間が多すぎて、目立つ行動がとれなかった。
本当にこの仕事に自分は必要がないと思われたのだろうか?
─────
いいさ、行動で思い知らせてやる。
岸上との事を考えるのは諦め、聖は仕事を再開した。
つづく