2001.08.13up

時間のタリナイ恋なんて・・・22

上郷  伊織

◇◇◇◇◇

 16時を回り本番検証は概ね成功していた。
 そこにいる技術者の誰もが、その日の内に検証完了することを望み、小沢事務機の社員を交えてのチェックに余念がない。
 ある者は電卓を尋常ならざる速度で叩き、あるものは伝票を素早く繰りつづけ、ある者は集計帳票の一行一行を嘗めるように確認していく。
 小沢事務機の会長は犬飼と打ち合わせをしながら、辺りに目を配っている。
 左頬に青あざを作りながらも、普段には無い緊張した面もちで、一柳は担当事務員にオペレーションをしながら、日次処理を進めていた。
 そんな張り詰めた空気の中で、事務員の一人にソフトの説明をしながら、聖は頭を捻っていた。
 目覚めてみれば、すっかり夜中だった。
 岸上のベットに浴衣を着て並んで寝転がっていた。
 一柳の蹴りに飛び込んでからの記憶がない。と言うことは眠ってしまったのだろうか?

─────────  気絶?

 あまりのみっともなさに、岸上の部屋をさっさと後にして自室に戻るつもりで起き上がろうと、腹筋に力を込めた途端、生まれて初めての腸を引っ張られるような鈍い痛みに起きあがれなかった。
 仕方なく、足から落ちるようにしてベッドを這い出し、壁に貼られた姿見に自分の姿を映し出す。すると、腹には白い大きな湿布薬が貼り付いていた。恐る恐る湿布を剥がし、鏡に目をやれば、どす黒い大きな痣・・・・・・・・・・。誰かに「それはお前の腹じゃない」と言って欲しい気分だった。
 反射的に飛び出した結果がコレである。
 岸上が買っておいてくれたものか、テーブル上におにぎりが幾らかと、カップラーメンが置いてあった。胃は空腹を訴えていたので有り難く頂く事にして、早速ラーメンにお湯を注ぎ3分待ってイソイソと口を付けた。途端に胃がせり上がって、口元を覆いながらトイレに駆け込む羽目になった。
 聖は知らなかったのだ。腹を強打されれば、後々おかゆすらも食べられない事を・・・・・。
 恨めしい思いで、湯気の立ち上る派手なラベルの付いたカップを眺めて溜息しか出なかった。
「受け身も取れない癖に無茶をするからだ。馬鹿者」
 起き出した岸上は、そんな聖の姿を見て宣った。
 それを聞いた途端、聖の心は大きな後悔で満たされた。

───────あんな事しなきゃよかった・・・・・・・・

 空っぽの胃を抱えて、聖は早く仕事が終わる事を切に願う。
 終わりさえすれば、もしかして、夕飯は受け付けるかもしれない。
 早く安静になりたかった。
 腹に力を入れずに歩くのも、もう飽きた。

──────  ひもじいって、こういう事言うんだよなぁ・・・・・・・

 普段、あまり食べない聖はクルクルと小さく音を発てる胃を抱え、頭を抱えた。


「あら、便利ですね」
 慌ただしく十数名の人間がひしめき合う一角に天知順子の朗らかな声が響く。
 30を勇に超えた独身女性事務員である天知は小沢事務機の中では一番のベテランで、今回の本番検証に駆り出された事務員3人の中でもキーパーソンの役割を果たしている。そんな彼女の座る端末の後ろでは岸上自らが注文ソフトの説明を続けている。彼女が見せられていたのは、検索システムの部分だった。
「いいわ、前のだと絞り込みが大変だったのよ。コレなら探すのも簡単」
「お喜び頂けてなによりです」
 出向に来た初日に、岸上自身が手直しした部分である。
「天知さん、日次処理のチェック完了しました」
「月次処理。OKです」
 他の事務員達から、完了報告がなされていく。
「チェックシートは後ろの机に纏めておいてね」
 リーダー格の天知は指示を飛ばし、また、岸上に向き直った。
「私をご指名なさったんですって?」
「ベテランの方に満足頂ければ安心ですからね」
 挑戦的に、天知は微笑み掛ける。そこには、ある程度年齢を重ねた女性だけが見せる余裕が窺われた。
「今の所、何の問題も無く機能しているようだし・・・・・・。安心材料としてだけなら、笹岡さんだっていますよ?」
 天知は鎌を掛けるように、目を細めた。
「天知さんで無ければダメですね。会長に一番信頼されているのは貴女でしょう」
 周囲に悟られぬよう、そっと耳打ちをした。どうやら、一筋縄では行きそうもない。煽てて動いてくれそうもない雰囲気を悟り、直球勝負を掛けてみる。
「つまり・・・、会長に口添えして欲しいとでも?」
 天知も岸上の意図を悟ったように、声を潜める。
「ええ、良いソフトだと思って頂けたなら、そのままの気持ちを会長に」
 マウスに手を伸ばす素振りで岸上が耳打ちを繰り返す。
「ふふっ、策士なのね。ワクワクするわ。その代わり、岡田君の評価を良くしてね」
「・・・・・・・・は?」
「最初からそのつもりだったの。何の問題も無ければね」
 天知の言葉に岸上は目を丸くした。
「岡田君の困る姿は見たくないもの。コレも気に入ったし」
 女の考えている事は分からない。
「岡田ですか・・・・・」
「だって、可愛いじゃない? スキルが無いから定時帰りで、他の方に申し訳ないって、いつも言ってるのよ。いじらしいわ」
 理由はどうあれ、風は岸上達に向いているようである。
「では、よろしくお願いします」
「ええ、会長も私が後押ししたほうが何かと都合がいいでしょうし・・・・・ふふっ」
 自分が始めた嫌がらせに引っ込みが付かない会長の事を示唆しているようである。
 呆れ顔で目の前の顔を凝視していると、彼女は実に愉快そうに声を潜めて笑った。

 緊張の張り詰めた空間にそれぞれの思惑が渦巻いていた。



 18時を回ると全ての作業は完了していた。
 完了報告書、検証通知書と全ての書類への記入も終わり、犬飼と岸上、そして、小沢事務機の会長が、パーティションで区切られた空間に頭を並べていた。
「検証の結果、変更点に全く問題はありませんでした。付きましては、こちらの確認証に記名捺印をお願いしたいのですが・・・・」
 遠慮がちに犬飼は書類を何枚か差し出した。
「・・・・・・・・ふむ」
 小沢会長は難しい顔をして考え込んでいる。
「何か、不都合でも?」
「いや、これから・・・もし、不都合が起きたら、どうなるのかね」
 間髪を入れずに岸上が畳みかけると、小沢会長は、うっすらと額に汗を掻きながら口ごもりながら疑問を呟いた。どうやら、今までの経緯を気にしているらしい。
「小沢事務機さんではソフトに関する保守契約は結んでおられませんでしたね。どうですか、コレを機に保守契約を結ばれては?」
 柔らかく微笑みながら犬飼は勧めた。
「保守を結んでも、どんな担当が来るか分からないだろう?」
「それは、大丈夫です。保守担当を私にしておきますので、責任を持って作業させて頂きます」
「・・・・・・・君かね」
「私ではご不満でしょうか」
「・・・・・いや、君自身に不満はない」
「では」
 気の進まない素振りで小沢会長は署名した。
 犬飼の顔から緊張が消えていく。
 横目で、犬飼の表情を覗きながら、岸上も肩の重石を下ろす気分だった。
 
「・・・・・・すまなかったね」
 印鑑をケースにしまいながら、小沢会長はボソリと呟く。
「・・・・はい?」
 犬飼は小首を傾げた。会長が詫びるなどという事が信じられなかったらしい。
「・・・・F電気のやり方に腹を立てていた。犬飼さん、貴方達は本当に誠意を持ってやってくれたよ。それを分かっていながら、気持ちを切り替えられなかったのは、私の狭量さにある」
「そんな、勿体ないです。誠意があったと言って頂けただけで、私は満足です」
 鼻がしらをほんのり赤く染めた犬飼の目尻には光るモノが滲んでいた。 

                         つづく

INDEX BACK NEXT

コメント

仕事シーンが落ち着いた。(ほっ)
もう一息!!(大汗)