2001.08.05up

時間のタリナイ恋なんて・・・21

上郷  伊織

◇◇◇◇◇


 外気の暑さのせいか、水道から流れる水はなま暖かかった。ビジネスホテルで備え付けのタオルを絞りながら、視界に入った自分の顔は不機嫌に眉間の皺を深く刻んでいた。
 苦虫を噛みつぶしたような気分で部屋に戻り、ベッドの脇に座り込む。
 汗と埃にまみれたYシャツとスラックスを脱がせ、横たえた恋人の肋が浮き出た脇腹には青黒い痣がクッキリと浮かび上がっている。
 チッ、と一つ舌を鳴らしながら、岸上はその痣に一つ口付けを落とした。
 シミ一つ無かった恋人の肌に汚点のように広がる大きな痣を付けた奴の顔を思い浮かべると、腸が今でも煮えくり返る。逆に、自分を庇っての事だと思うと、愛しさが込み上げる。
 臍から右脇に広がった痣の部分にそっと触れると、そこは熱を持っていた。
 この分では1週間位は消えないかもしれない。
 骨に異常が無さそうなのが、せめてもの救いと言えた。
 気絶するように眠ってしまった恋人を起こさぬよう、患部に触れぬよう慎重に濡れタオルで身体の汗をサッパリと拭い落とす。本来ならば、風呂に入れて洗ってやりたかったが、ふらついていた聖の様子を思い出し、少しでも多くの睡眠を摂らせるべきだと判断した。
 静かな空間にセロハンの発てるピリリという音が響く。
 コンビニで購入した湿布薬を患部に貼り付け、岸上は溜息を吐いた。
 湿布薬が冷たかったのか聖の眉はピクリと動き、一瞬呼吸が乱れる。そして、再び穏やかな吐息を発てて眠り続けていた。
「・・・・・・馬鹿な事を」
 聖の身体が吹っ飛ばされた瞬間、身が縮む思いがした。
 もう、二度とこんな思いはごめんだ。
 この華奢な身体で大男の蹴りを喰らうなんて、無茶もいいところである。
 あどけない寝顔を見ていると、歯痒い気持ちが湧き起こる。
「一人で何でもしようとするんだな、お前は」
 聖の額に掛かる前髪を弄りながら、岸上は独り事のように呟きを漏らす。
 もう少し頼って欲しいと思うのは自分のエゴだろうか?
 岸上は頭を振ると、衣類を脱ぎ捨てバスルームへ向かった。

 温めのシャワーを浴びていると、右手にチリッとした痛みが走る。よくよく見てみると、中指の付け根辺りがパックリと割れて、青あざがその周辺に広がっていた。一柳を殴った時に出来た傷らしい。
 喧嘩など大学以来だと思えば、苦笑が漏れた。
 自分を押さえるのが習慣になっていた。
 いつでも理性的に、何事に於いても対処出来る自信があった。
 その自分をこれほどまでに激昂させる人間がいるという事が、何故か新鮮で、自分を出す事がこれほどまでに気分がスッキリとするなんて、ココ数年すっかり忘れ去っていた。



「まるで気取らせないんだな、あんたらは」
 聖が気絶した後、聖を抱えた岸上に一柳が声を掛けた。
 言われた意味が分からず、黙っていると一柳は言葉を続けた。
「側に居たってぇのに、分からなかったぜ。あんただけならまだ分かる。そのボウヤですら付き合ってる素振りも見えないんだもんなぁ・・・・・」
「聞かれもせん事をわざわざ吹聴し回る奴はいない」
 侮蔑の色も露わに対応し、聖を抱き上げその場を立ち去ろうとした。
「ボウヤがあんた位頑丈なら遠慮はしなかったんだが・・・・・・・・」
 ズボンに付着した砂埃を払い除けながら、一柳は立ち上がった。
「どういう意味だ」
 怪訝に眉を寄せながら、問い正したが、一柳は他の話を続けた。
「手を出したって言っても、味見程度って事よ。知りたがっていただろう? これでも他人のモノに手を出す趣味は持ち合わせちゃいねぇよ」
 岸上と聖の間に割って入るつもりは無かったらしい。
「言いたい事はそれだけか」
「ああ」
 一柳の態度から悪気が無かった事が伺えた。
「明日は仕事になりそうか」
「これっくらいで、ほっぽり出しゃしねぇよ・・・・・・」
 岸上と聖が付き合っている事自体、一柳が知り得なかったのならば、この一件に関しては水に流す他はないのだろうと、岸上が締めくくろうとした時、近付いてきた一柳が聖の腹に手を伸ばした。
「気安く触るな」
 岸上は咄嗟に身を退き一柳を睨み据えた。
「モロに入ったから気になっただけだろうが・・・。ケチくさい男だな・・・・」
「ケチで結構」
 言い訳をする一柳に岸上は吐き捨てるように言い放った。
「ははっ。まあ、いいけどな。気を付けてやれ。その分だと、明日は朝飯も食えねぇぞ」
 内蔵を何度も殴られたに等しい程の打撃を聖が受けたとでも言いたいらしい。
「あんた相手だと思ってたもんでさ、手加減無しだったからな。ボウヤに悪かったって言っといてくれ」
 そう、捨て台詞を残して一柳は暗い夜道に消えていった。

 腕に抱いた聖の額からは僅かに汗が滲んでいた。

                         つづく

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コメント

要らないシーンのような気もする。
でも、脳味噌に浮かんだからUPしちゃうもんね(大汗)