時間のタリナイ恋なんて・・・20
上郷 伊織
◇◇◇◇◇
──────う・・そっ・・・・・・
まずい場面での、まずい人物の登場に聖は驚愕を隠せなかった。
それは一柳にしても同じはずなのに、一柳は殊更ゆっくりと後ろを振り返ろうとしていた。
「・・・岸上さんか」
声に振り返った瞬間、一柳の頬に拳がめり込んだ。いきなりの不意打ちに避ける猶予すら与えられない。一柳の身体はバランスを崩し、聖の真横によろめき、壁にぶつかった。
──────うわっ!
聖は一瞬何が起こったのかを把握出来なかった。
それほどに岸上の行動は速かったのだ。
殴られた頬を押さえつつ、一柳は大きく首を振る。そして、道路に唾を吐きかけた。吐き出された中には血となにやら白い小さな粒が混じっている。
「何しやがる! あー、あー。奥歯が折れちまったじゃねえかよ」
──────・・・・・・・・げっ
一柳の言葉に聖は青ざめた。一撃で奥歯を折るとは・・・・・・・・。岸上が暴力に訴えるというのも、未だに信じられない。
「さぞかし痛かっただろうな」
聖の気持ちにはおかまいなく、岸上は一柳を挑発するような言動を吐き、一柳の胸ぐらを掴んだ。
「で、お前は聖に何をした」
「あんたには関係の無いことだろう。それとも、プライベートまで俺らを管理するとでも言うのか?」
一柳は聖と岸上の関係を知らない。売られた喧嘩を買ってでもいるつもりなのだろうか? だが、それは極めて逆効果とも言えた。
間髪を入れずに、岸上の拳が一柳に向かう。寸での所で一柳はその拳を掴んだ。対峙した二人の身長はほぼ同じだった。ウェイトの点では一柳の方が有利に見える。
それを確信してか、一柳が笑みを浮かべたと同時に、岸上の膝蹴りが一柳の鳩尾を捕らえ、抉り混むように蹴り上げる。たまらず、一柳の動きは一瞬息と共に動きが止まったかに見えたが、やがて、はせき込み、壁を背にズルズルと崩れ落ちた。
座り込む一柳を唖然として見る事しか聖には出来なかった。
「何をした」
息も乱さず詰問を続ける岸上に一柳の返答は無い。
やはり、先程の打撃が効いているのだろうか。
岸上の攻撃は容赦がない。一歩、また一歩と一柳に近付いていく。
その時、聖は一柳の表情に異変を見つけた。苦痛に歪んでいた口元が僅かに変化したように見えたのだ。
────なんで、笑ってやがる・・・・?
次の瞬間、聖は一柳に飛びついた。
一柳の足が地面を蹴り上げる。岸上の急所を狙った足は聖の腹に食い込み、聖の身体は吹っ飛んだ。
「・・・・うっ、グッ・・・・・・・」
「わっ! この馬鹿っ!」
あまりの衝撃に聖はうめき声を上げた。
一柳の叫び声が夜のビル街に響き渡る。
投げ出された聖の身体は予期していた次の衝撃を受けずに硬い腕に抱き留められた。
「貴様ぁ・・・・・」
痛みに咳き込みながら、見上げた岸上は怒りの咆吼を上げていた。地を這うような低い声音に聖は恐怖さえも感じた。
コイツを本気で怒らせるのだけは止めよう、などと、この瞬間にふさわしくない事ばかりが頭を巡る。
岸上は聖を地面に横たえ、一柳に向かおうとした。だが、聖は岸上の腕を取ったまま、離れようとはしない。
手の甲が赤くなっていた。
聖の大好きな手が傷ついていた。
この手はキーボードを叩く手で、人を殴る手ではない。
こんな事で、この手がキーボードを叩けなくなるなんて事があったら、絶対に許さない。
岸上の右手を見つめながら、聖はまるで関係のない事を考えていた。
「あんたに関係ない」
掠れた声で聖は訴えた。
あくまでもコレは聖と一柳の間で発生した事だと、聖は言いたかった。
もめ事を起こした自分が怪我するならいい。
「俺が始末をつける事なんだ・・・・・・」
蹴られたせいで、腹に力が入らず、小さな声で必死に訴える。
「お前に手を出されて、黙っていられるか・・・・・ばか・・・」
頬に岸上の手がそっと触れた。
「あんたの方がよっぽど馬鹿だ」
聖は膝立ちになりながら、岸上にしがみつく腕に力を込めた。
明日の仕事も考えず、技術者を傷つけ、自分も傷つくような事をしようなんて、岸上らしくない。それこそ馬鹿な行為だ。
心のどこかで岸上の馬鹿な行動を喜んでいる自分を見つける。
だが、自分の始末は自分で着ける。
ケツを拭いて貰うなんてまっぴらだ。
「明日で終わらせるんだろ? 本番検証をさ」
岸上は一瞬眉根を上げ、すぐにいつもの無表情な顔に戻った。
「ああ」
岸上の返事にホッとしたと同時に聖は腕の力を抜いた。
頭がフラフラする。
脇腹が熱い。
「そういう事かよ・・・・・・・」
聖は遠のく意識の片隅で、一柳の声を聞いたような気がした。
つづく