2001.07.04up

時間のタリナイ恋なんて・・・14

上郷  伊織

◇◇◇◇◇

 朝方とは言え、室外は熱気を孕んだ生ぬるい外気が登り始めていた。
 都心部にいる事を思えば、過ごしやすい気候の風景を眺め、岸上遼一は紫煙と共に溜息を吐いた。
 頭の中は15時からの商談に挑む為、シュミレーションが繰り広げられていた。
 徹夜で作成した各種の資料がどれほどの効力を奏するのかが決め手になってくる。
 残るは商談相手のタイプによって、どう対応するか、不測の事態の予測のみ。
 なんとしても終わらせなければならない。
 犬飼が相手の意見に流されそうになっても岸上がくい止めねばならない。
 理詰めが通用する相手ならば、どうとでもしてやれる。だが、感情に走るタイプならば、その時々で勘をを働かせ、回転の良い受け答えをしなければならない。
 6Fの開発室を出て、岸上は非常口から外付けになっている階段の踊り場に佇んでいた。
 ゆったりとした街の佇まいが気持ちを和らげてくれる。
 事前に持ち込んだ空き缶に吸い殻を落とすと火の消える音がした。
 
 久しく風景など眺めていない事を思い出し、岸上は手すりに身を乗り出した。
 澄み渡った清涼な風が頬を擽って行く。
 ホンの僅かの休息を岸上自身は噛み締めていた。

◇ ◇ ◇

 焦る気持ちのままに聖は走っていた。
 急がなくても、10分あれば目的地に到着するのだが、どうしてものんびりと歩く気分ではない。
 ホテルのレストランフロアを出たのは7時半を回っていた。それから、急いで自室に戻り内線電話を岸上の部屋に掛けたが、何度コールしても不在。仕事の支度を整え、荷物を手にフロントに問い合わせると、岸上は昨夜は戻っていなかった。
 仕事場に泊まり込んだのかもしれない。そう思い、今、こうして聖は走っている。
 朝の風景は呑気に流れていく。
 商店の前を掃除する中年の女性や積み込みをする男性。
 出勤の為に駅に向かう人々に逆らって聖は足を進めていた。
 岡田から耳にした情報が役に立つかどうかは解らない。
 それでも、少しでも多くの情報を岸上に知らせたかった。
 なんとしても、小沢事務機の会長を止めて欲しかったのだ。

 6Fの開発室を覗いても、徹夜組の数名が黙々と仕事を続けているだけで岸上の姿はない。
 喫煙所に行くと、大貫がちょうど休憩中で非常口を出ていく岸上の姿を見かけたと教えてくれた。
  
 非常口の扉を開け放ち、広い背中に声を掛けようとして、聖は一瞬躊躇した。
 そこにいた岸上はただぼんやりと空を見つめているようにしか見えないのに、どこか近付きがたい雰囲気があった。
 ドアの締まる音にも気付く気配はない。
 聖は静かに岸上の傍らに立ち、岸上の眺める方角を見つめた。
 閑静な落ち着いた佇まいがそこにはあった。
 建物がギッシリと詰まったオモチャ箱のような都会の風景しか知らない聖には、それが溜まらなく新鮮に映る。
 
────これが観光ならなぁ

 仕事でなければ、このまま二人で風景を眺めるのも悪くない、などと思いながら聖は息を吸い込んだ。

「どうしようもない、頑固ジジイがいるぜ」
 聖の声に静かに岸上は振り返った。
「そのようだな・・・・・・。どうした?えらく早いな」
「ちょっと、顔が見たくなったって言ったら?」
「お前がか・・・?・・・」
 話をはぐらかす聖に岸上の口元が綻んだ。
「ちょっと、妙な話を小耳に挟んだんでね」
 そして、先刻、岡田から聞いた内容を聖は話した。

 踊り場の手摺りから離れ、岸上は煙草に火をつける。
 立ち上り四散していく紫煙を目の端に捉えながら、聖は岸上に向き合った。
 静かに見つめ合い、岸上が口元に寄せた煙草を取り上げる。
 自分の口元に運ぼうとした手を押さえられ、不意に抱きしめられた。
「心配だったのか・・・・・」
 岸上の胸に顔を埋められ、声は触れ合った身体を直接通して響いてくる。
 心配なんかしちゃいない。
 岸上は今まで上手くやってきた。
 岸上が失敗するわけなんかない。
 ただ、無茶をしてるんじゃないか、と思っただけだ。
 聖は心の中で言い訳を探した。
 その気持ちを世間一般には心配というのだが、否定する言葉が見つからず聖は黙り込んでいた。
「だから、来るなと言っただろう」
 感情的に動く自分を岸上は聖にだけは見せたくなかった。
 つまらない見栄だというのは解っていても、恋人の前では理性的でいたい岸上だった。

「自分は来たくせに・・・・・・」
 拗ねた口調で返しながら、聖は指に挟んだ煙草を手放した。
 足下に小さく火の粉が散って行く。
 たまにはこうしているのも悪くない。悪くないが、場所が悪い。
「・・・・暑苦しいだろ、離せよ」
 いつ誰があのドアを開けるかもしれない。
 聖は焦りながら悪態を吐いた。
「・・・・もう少し、我慢しろ」
 包み込む腕に力が入った。
「商談に勝つなら、我慢してやる」
「勝ち負けの問題じゃないぞ・・・・・ばか・・・」
 自分の腕の中にすっぽり抱え込める存在が愛おしい。
 それが、何故かなんて理由はどうでも良い事のように岸上は感じる。
「相手の言いなりになるのだけはイヤだ」
「好きにさせるわけがないだろう」
 応えに満足したのか、聖は小さく吐息をたてて岸上に寄りかかった。 
 
 再びドアを開けるまで、二人だけの僅かな時間は通り過ぎようとしていた。

                         つづく

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コメント

終わりが近い・・・。