2001.06.28up

時間のタリナイ恋なんて・・・11

上郷  伊織

◇◇◇◇◇

 時を少し遡って。

 小沢事務機6階、パーテーションで区切られた奥のスペースでは、真夜中23時から幹部会議が行われていた。
「この期に及んで、変更は無いでしょう。もう、既に納品まで1週間。カウントダウンの状態なんです。犬飼課長も良くお解りかと思いますが・・・・。ところで課長がどうしてそんな情報を?」
 憤怒の表情に苦渋を浮かべて岸上は詰め寄った。
 現場の総責任者である犬飼正一は、仕事の無理が祟って2週間前から胃潰瘍で入院していた筈だった。その代わりにプロジェクトの総指揮を任されたのが岸上遼一なのだ。
 全治5週間と聞いている。
「私だって、もう少しっていう時にこんな事は言いたくないよ。身体の状態が落ち着いたし、せめて本番検証だけでも見届けたいと思ってだね・・・・小沢の会長とも随分お会いしていなかったし、まずは挨拶に行ったわけだよ・・・・・・」
 つまりは仕事が気になって仕方のない犬飼は完治もしていないのに無理矢理入院先の病院を抜けてきたと言う訳か・・・・。
「まさか、脱走じゃないでしょうね」
「そんな、人聞きの悪い。ちょっと、散歩に出たまま遠出しただけだよ」
 窘める響きのある岸上からの非難に犬飼はのんびりと世間話をするように応じた。
「ソレを世間では脱走と言うんです」
「まあまあ、やっちゃったモノは仕方ないさ」
 まるで人事のような犬飼の物言いに岸上は頭を抱えた。
 岸上も仕事人間であるから、犬飼の気持ちはよく分かる。
 だが、ここまでいけば、既に中毒の粋に達しているような気がする。
「私の事はいいとして、小沢会長からの変更内容なんだが・・・・一応、内容くらいは確認しておいて欲しいんだよ」
 穏やかな口調で犬飼は客先の依頼を引き受ける意志を覗かせた。
 岸上の取引先はあくまでもアルファーシステムである。犬飼に依頼されれば、無理な事でもウンと言うしかない。仕方なく、犬飼から差し出された資料を手に取り、目を通す。
 元々は大手PCメーカーのF社が請け負ったのが、この小沢事務機のプロジェクトである。
 3ヶ月のシステム作成期間を儲け、昨年末に納品が行われた。だが、F社はこのシステムに対して、子会社であるソフトハウスに丸投げのような依頼をした。つまり、F社は契約金を頂くだけ頂いて、仕事の一切は子会社に割安の金額でさせたらしい。
 その子会社の人間がいい加減な対応で詳細仕様も作らず、小沢事務機とはおざなりな打ち合わせをしただけで、画面上の動作のみが完成したソフトを納品してしまったという事だ。画面上だけというのはメニューボタンを押せば、画面は展開して動作するし、入力も各項目毎にカーソル移動はするが、更新したはずのデータは次に呼び出そうと思っても出てこない。中身の動きはまるで白紙に近いものまで有ったという。
 勿論、小沢事務機はF社に対してクレームを入れた。慌てたF社は無料で修正を行うという条件を小沢事務機に提示し、アルファー・システムに高額を出して後始末の依頼をした。
 これまでの経緯としては岸上の聞き及ぶ範囲ではそれだけの筈だった。
「私もね、1つのシステムで、仕様レベルの変更を3回も言い渡されるのは初めてだよ。確かに最初の納品には問題があったようだが・・・。実のところ、二度目の納品からの担当なものでね、その時の事情が掴めないというのも事実なんだ。・・・・・はぁ。完成していた筈のソフトが殆ど使いモノにならなかったって言う後ろ暗さもあるわけだしね。もちろん、私が担当してからは、きっちりと仕事をさせて頂いているよ。だがね、肝心の客が満足しないんじゃしょうがない」
 独り言のようにブツブツと愚痴を言いながらも、その内容は犬飼の人の良さが言葉の隅々に現れていた。
「これは、画面の動作に関する事ばかりじゃないですか。好みの問題とも言えますが、画面仕様も小沢事務機さんには提出していた筈でしょう? 殆ど満足頂いていると見ていいでしょうね」
 資料をチェックした後、岸上は自分の考えを言った。
 2度目の納品と3度目の納品に対する検収通知書にチェックの入っていないのは画面周りだけだった。この検収通知書では1つ1つのプログラムに対して5〜10程のチェック項目があり、小沢事務機側で満足している部分に対してのみチェックマークとして担当者の印鑑を頂いている。
 ケチを付けようにも、データ周りがしっかりしているのでケチの付けようがなく、画面周りに細かい注文を付けているようにしか、岸上には思えなかった。
 それに年間集計台帳など、最初には無かったプログラムまで、難易度の高いモノが5本以上サービスとして新規作成されている。最初の契約には無かったものだ。
 そういう無理を聞いてやり過ぎると、いつまで経っても仕事の終わりは来ない。
 どこかで一区切りが必要なのだ。
 通常ならば、基本システムとして、一旦、プロジェクトを完了し、要望があれば、追加注文として請け負うのが筋である。
 この状態は既に言いがかりを付けられているのに等しい。
「第一、もう限界ですよ。犬飼課長を筆頭に一柳、田辺、牧原、この4名は3ヶ月以上悲惨な状態で働いている。特に一柳さんはこの現場に半年いると言うじゃないですか。いい加減終わりにしてやらないと、また病人が出ますよ」
 白髪頭を深く垂れた犬飼は苦渋の表情を浮かべて、机の一点を見つめる。
 持病の胃潰瘍が病院から支給された薬を服用し続けたにも関わらず、この現場で悪化。痛みに耐えきれず倒れたのは、たった2週間前の話である。
 病気の事を言われると、犬飼は何も言えなくなってしまう。
「・・・・終わりにはしたいよ。だがね・・・・」
 何かが狂っている。
 もう、後はテスト検証と本番検証だけなのだ。
 ソフトはほぼ完璧な状態なのに、なぜ、その完璧なソフトに変更を加えなければならない。
 これから先、また1月も2月も手直しを加えろというのか?
 期間契約の出向社員で、現場に残れる人間は2割が良いところだろう。皆、次の予定が入っている筈なのだ。人捜しから始まって、仕様作成、プログラム変更、詳細仕様変更、テスト検証、本番検証、全ての行程を一通りやり直せというのか・・・・・。
 皆の体力だって無限じゃない。
 それに、こんな事は続けられる訳がないのだ。
 企業は利潤を追求する。
 一つの契約に多大な時間と労力を注ぐ訳にはいかない。
 人件費だって、予定の2倍は支払っている筈だ。
 犬飼の成績に響かない訳がない。
 犬飼自身解っている筈だ。
 岸上は犬飼の瞳を見つめた。
 愛嬌のある細い一重の目は、今ではすっかり据わっている。
「小沢事務機と心中なさるおつもりですか」
 岸上はアルファーシステム内での犬飼の噂を耳にしていた。
 別名、「ファイアーマン」。聞こえは良いが、意味は極めてシビアな「火消し人」。
 犬飼は今年52歳を迎える。SEとしてはあまりにも高齢だ。こんな現場ばかりを転々として、出世コースからはとっくの昔に外れてしまった人間なのだ。
 トラブルが起こり、他の人間が対応したとしても解決する可能性が極めて少ない現場にばかり回される。つまりは会社からの肩叩き。1度でも失敗しようものなら、即リストラ対象者というシビアな現実に晒されている。
「心中するつもりはないよ。かろうじて首の皮一枚繋がっている状態だがね。私は喜ばれる仕事がしたいのさ。ソレまでは出来る限り課長権限を公使するつもりだよ」
 ははっ、と静かに犬飼は微笑んだ。
 3年前とは比べモノにならないほど、すっかり痩せて、肉の削ぎ落とされた頬に皺が少し広がる。
 岸上の知る笑顔はそこにはなかった。
 
 犬飼とは一度仕事を共にした事があった。期間も長く、駆け出しのSEだった岸上に犬飼は「人を使う」「人を育てる」という事を教えてくれた。
 通常ならば、自社の社員でもない者に教育を施そうなどと思う人間はいない。
 馬鹿な事をすると、その時、岸上は思った。だが、時間の経過と共に、その時の犬飼の気持ちが心に浸みる。
 「人は宝と言うのは本当だよ」と犬飼は言った。有名な経営の神様の言葉である。
 なぜ、自分に教育をしてくれるのか、と岸上は犬飼に聞いた事があった。
 「何年か後、大きな戦力となって会える日を楽しみにしているんだ」と犬飼は笑った。

 お人好しは社会では生き残れない。
 だが、こういう人間も世間には必要だと、岸上は思う。
 善良な人間がバカを見る世の中なんて糞食らえだ。
 沸々とやり場のない怒りがこみ上げる。
「打ち合わせは明日でしたよね。私も同行します」
「・・・・・ああ、助かるよ」
 儚く微笑んだ犬飼が岸上には悲しく映った。
 こんな笑顔が見たいんじゃない。
 以前の脳天気な程屈託のない笑顔が見たいのだ。

 岸上は犬飼の本心からの笑顔を取り戻したいと心から思った。

                         つづく

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コメント

犬飼さん・・・・・・・・・。
こんな暗いのBLでいいのかしら?
大人って、おとなって・・・・・。
解りにくかったようなので、加筆してみました。6/28