2000.10.15up

何にもシラナイ恋なんて・・・2

上郷  伊織

◇◇◇◇◇

 客達を送り出し着替えを終えると、時計の針は午前1時を回っていた。先に着替えを済ませた従業員達はそれぞれに帰宅。店に残っているのは冴子と聖のみだった。
「聖ぃ〜、どうする? 帰る? それとも来る?」
 後方からの呼びかけに振り返りながら、聖は迷っていた。
 帰りの終電が無くなると、冴子は必ずタクシーを呼んでくれる。そして、二人で乗り合わせて帰宅するのだ。
 今まではそれが冴子のマンションでも、聖のマンションでもさしたる変わりはなかった。
 悩みの原因はそもそも自分にあるのだが・・・。
 冴子のマンションへ行くというのは、つまりは性交渉を持つというか・・・、そういう事の可能性が非常に高い。
 付き合うとか、そういうステディーな関係ではないが、いたした事は何度もある。実のところ、童貞を捧げた相手でもある。不本意なことに、半強制的ではあったが・・・・・。面白がられていたというのが一番正しい。
 この飯田冴子という女性、見た目には迫力と色気に溢れた美人である。男なら一度はお願いしたいタイプだろう。あまりにもゴージャス過ぎる容姿は昼日中に見たって水商売の女かやくざの情婦にしか見えない。しかし、中身はかなりさっぱりとした性格だった。
 聖としては非常に付き合い易い相手ではある。
 何故か彼女は性交渉そのものをスキンシップ位にしか考えていない。昔に何かあったのかどうなのか・・・・・、本人のみしか知る由もない。
「ちょっとぉ〜、どーするのよぉ」
 店の中からは、焦れたような艶やかな声。
 明日もどうせ夜の仕事である。
 音信不通の岸上に操立てしてやる義理はない。
「ん・・行く」
 そう返事をし、立ち上がった拍子に携帯電話がゴトリと音を立てて落ちた。拾い上げて液晶画面を見れば、着信履歴が視界に入る。過去の履歴を辿って行くと、9時から1時間毎に3回の電話。内1件は見知らぬ携帯番号。後の2件は・・・・・。

─────何を今更・・・・・・。
─────1日くらい待ちやがれ

 迷いを振り切るように聖は従業員控え室を出た。 

◇◇◇◇◇

 部屋の中には妖しい女の香りが漂っていた。
 整然と片付いた空間は、流線型を描く木製の調度品で埋められている。
 勝手知ったる何とやら、クローゼットの中、上から2番目の引き出しを開ければ、中は相変わらずシルクの素材で埋め尽くされている。その中からパジャマを選び出し、1番下の引き出しから男モノの下着を出した。そして聖はバスルームへと入っていった。
 久しぶりの慣れない立ち仕事に足は悲鳴を上げていた。
 熱い目の湯に浸かっていると、ハイヒールで固まった足の芯から疲れが取れていくような気がする。
 突っ張っていた脹ら脛を軽く揉みながら、携帯の事を思い出す。
 最後の2件は岸上の自宅。
 やっとのご帰還である。
 だが、素直に折り返しの電話をかけてやるつもりはなかった。
 今、行けば眠っていようがいまいが岸上に会える。
 聖から訪ねて行けば・・・・・。
 それではまるで待ち続けていたようではないか。
 気持ちを読まれるのは、あまりにも悔しい。
 足先をさすりながら聖は唇を噛んだ。
「まだ飲めるでしょ。ビールにする?」
 声と共に脱衣所から冴子が顔を出した。
 迷いもなく浴室のドアを開け、艶めかしい肌を見せつけるかのように柔らかなラインを形どる下着姿の女が目の前に現れた。
 以前の自分ならば震い付いていることだろう。
 不思議な感覚だった。
「なに、ボーっとしてんのよぉ」
 黒いレースから覗く白い肌も、胸の膨らみも十分に魅力的な熟れきった肢体が目の前にある。
 襟足から顎のラインに沿って艶やかな黒髪は揃えられ、抜けるように白い肌を引き立てる。不敵に微笑む切れ長の目は印象的に光を放ち、赤く染め上げられた唇は劣情を誘う。
 美しい女だと思う。
 聖の目を覗き込むように見つめる瞳。
「このシュチュエーションってさ、やっぱ、すんのかな?」
 我ながら間抜けな台詞だと思いながらも聞いてみる。
「あぁ? どういう意味よ」
 冴子の台詞は当然だろう。
 今までは当たり前にしてきた行為だ。
「あのさ、俺、たぶんダメだわ」
「なに言ってんの?」
 言うか言わないかで聖の顔に飛沫がかかった。
 岸上なんて放っておいて、一晩楽しめば良いのだ。
 そう、思うのに口から出る言葉はそれを否定する。
「今さ、付き合ってる奴がいる。だから、冴子とはしない」
 冴子はキョトンとして、次の瞬間には笑い出した。
「落ち込んでるから慰めたげようと思ったのに、そう言うわけ。はっ。神妙な顔しちゃって・・・・。本気なんだ」
 殴られる位は覚悟して言った台詞は笑い飛ばされた。
「悪ィ・・・・・わっ、ぷっ・・・・・」
 次の瞬間にはシャワーのお湯に口を塞がれた。
「あんたが柄にもない事言うから・・・・。いいわよ別に・・・」
 拗ねたような口調で立ち上がると、シャワーコックを湯船に投げだし、冴子は浴室を出ていった。
 連絡もろくに寄越さない奴なんか・・・・本気になるなんて馬鹿な事はない。冴子との今までのつきあいも終わりかもしれない。そう思った。
 これは一種の裏切りだろう。
 肩の力を抜いて、本音で付き合える。そんな女はもう現れないだろう。そう思っても、岸上がいる以上は無理な事なのだ。
 脱衣所に戻ると、用意した筈の着替えも着てきた服も消えている。洗濯機の回る音だけが響いていた。冴子が良くやるいたずらだ。
 仕方なく体をざっと拭き、バスタオルを腰に巻き付けて脱衣所を出た。

 リビングに人の気配はない。
 ヒンヤリとした風がベットルームから流れていた。
「こっちへいらっしゃいよ」
 冴子はベットに腰掛け腕組みをしていた。
 知り合ってから4年、今の冴子の態度を見ていると怒っているようには見受けられない。何故、怒らないのだろう。
「そこ座って」
 言われるままに、冴子の指さす鏡台の前に座る。
「あっち向きなさいよ」
 鏡に向かうと、冴子は聖の後ろに立った。
 聖が用意したシルクのパジャマの襟口からは白い肌が覗いていた。こんな時、何を話せばいいのか・・・・。
「・・・さえ・・こ」
「黙って」
 自然と出た言葉は遮られた。
 冴子はブラシを手に取り、聖の髪を梳かし始めた。柔らかな細い指先が慈しむように時折頭をなでる。
「あんたの事、私は結構気に入ってんのよ」
 鏡に映る冴子の顔は笑っている。
「生意気な大人ぶったガキが、大きくなったもんよね」
「・・・ガキってなんだ・・てっ・・・・」
 口答えした途端、後頭部をはたかれる。
「黙って聞きなさいよ!」
 一通り髪を梳かすと、冴子はドライヤーのスイッチを入れた。
「あんたみたいなの連れてるママなんて、そうそういないんだからね。年々磨きのかかる綺麗なつばめ・・・、みんなそう言ってる。でもさ、私は弟みたいに思ってる。普通、弟とは寝ないけどね」
 雑音に混じって、しみじみと掠れた女の声が聞こえた。
 4年前、ここに初めて来た時は、甘える相手が欲しかった。
 冴子は口は悪いが、聖を存分に甘やかしてくれた。それこそ、歳の離れた姉のように思っていた。小学校の終わり頃、異性を意識し始めた時、冴子に淡い恋心を抱いていたのは確かだ。
 ドライヤーの音が止む。
 次の瞬間には後ろから抱きすくめられていた。
「聖、あんたに恋人が出来たらこんな関係は解消しようと思ってた。でも、覚えてなさいよ。あんたがいい男になるのを昔っから一番楽しみにしてるのは私だって事。それと、ときどき顔を見せに来なさい。そしたら、許してあげる」
 彼女の声には怒りも悲しみも含まれていなかった。
「来ていいのか?」
 振り返らず聖は問いかけた。
「SEX抜きで男と女は会っちゃいけないのかな?」
「・・・・・・いや、そんな事・・・」
「最初の頃みたいな関係って無理かな?」
「俺も、それがいい」
「ホントはね、あんたを喰っちゃう気はなかったのよ。でもさ、あんたがあんまり可愛いから・・・・。やりたい盛りの青少年はこれくらいの見返りがないと遊びにも来ないかな?・・・なんてね。私らしくもないでしょ」
 自らを卑下するような冴子の言い草が胸に突き刺さる。
 独立心旺盛な美貌の女主人。冴子にはそれが一番良く似合う。
「何言って・・・・。冴子はいい女だよ」
「本気で言ってる?」
 自分の瞳を覗き込む甘ったるい表情に聖はドギマギする。
 不意に、腰の辺りの柔らかな感触にビクリとした。
「・・わっ、・・・・よせっ・・」
 咄嗟に抵抗したが、バスタオルははぎ取られていた。
「ふふっ、ちょっと自信持っていいかも・・・」
「このっ!」
 振り向きざまに冴子に飛びつくと、二人一緒に倒れ込んだ。
 暴れる冴子を押さえ込み、毛足の長い絨毯の上でじゃれあっていると、不意に携帯電話が鳴った。動きを止めて視線を巡らせる。
「・・・・行くんでしょ」
 落ち着いた声で冴子が言った。
「・・・・・・悪ぃ・・・」
「あやまんじゃないの!・・・・」
 ばつの悪さに誤った途端、頬を軽くはたかれる。
 冴子の上から聖が立ち上がる。
 冴子はベットを指さした。
「着替え、そこ」
 聖の服はやはり洗濯中らしい。
 子供じみた悪戯に聖は苦笑を隠せなかった。

「サイズは合うけどさー、コレしか無いのかよぉ」
 鏡を見つめながら、聖は呟いた。
 伸縮性のデニムパンツにキャミソール風のシャツ、シースルーのジャケット。どこからどう見ても、女の服装である。
「似合うんだからいいじゃない。こだわってる暇があったらさっさと行きなさいよ」
「ん、分かった」
 皮の小さなリュックをベット脇から拾い上げ、聖はベットルームを出ようとしていた。
「でも、サイズが合うっていうのは悔しいわよね女の立場としては・・・・」
「俺の売りはスレンダーだからさ」
 絨毯の上にあぐらをかいて、冴子がしみじみ呟くのに余裕で応戦し、聖はベットルームを出た。
「聖、明日からバイトはいいわよ」
 玄関にさしかかった時、冴子が大声をで言った。
「なんで?忙しいって・・・・」
 意外な申し出に聖は目を丸くする。

「あんたの顔が見たかっただけだから」

「サンキュ」

 廊下から顔だけだして、照れくさそうに話す冴子に、一つウィンクを残し、聖は夜の街へ飛び出した。

                         つづく

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コメント

こんなのを、このジャンルで書いて良かったのだろうか?
岸上が出てくるとこまで、おっつかない。
なんで、このシーンがこんなに長くなっちゃうのだろう?
ばかばかばかばか、岸上のばかぁ〜。
自分の事をキャラクターのせいにする。(涙)