ほこら
    城当時からの祠、 今も残る習俗と神域を示す鳥居



                                富松城跡を活かすまちづくり委員会

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 国 (財務省) へ所有権を移転する準備に入る2001年10月まで、土塁が一段高くなっているところに、小さな祠がありました。

 右の写真上の向かって左 (南側)の祠は、立花志稿 (1940年発行) によると「城阯の西南隅に八幡の小祠があり、在城当時祭祀せられたるものと伝えられて居り、今尚中村家に於いてその祭祀を続けられて居るのである」とあります。
           しろやま
 また、この城山 (富松城跡)は、勝運の神として武士に信仰が多かった、八幡大神を祭神とする城山神社でした。1908年12月19日にそのご神体を富松神社に移され合祀されたと神社明細帳に記されています。

 祠の前 (東側) には、かつてこの地が神域であったことを示す鳥居の両柱と笠木の一部が写真からハッキリと伺えます。
2001年10月まであった祠と鳥居の両柱   2001年10月まであった祠と鳥居の柱




移転された跡の祠と鳥居
  城跡の東側に移転し、元の地主が、今も
   祀っている祠と新しい鳥居
          かんせんぎょう           
  今も残る寒施行
 
 葉蘭で包んだ小豆ご飯のにぎりと
 油揚げ

 
 寒中に城山 (富松城跡) の狐が人に悪いことをしないよう、小豆ご飯のにぎりと油揚げを葉蘭(はらん)に包みワラで縛り、投げ入れる習俗が今も地域住民の生活の中にしっかりと残っています。

 このような風習は、中国地方から近畿の一部にもおよんでいて、食べ残り具合で「占う」という意味があり、単に動物への憐れみの善行ではなかったようです。 


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