ショコラ    profile    友達のペット A&B&M  menu


  sentence  
(2002)

9月16日

ショコラが、じっとしている。

少しも動かないで、じっとしている。

ほんの3日前まで、元気に「何かちょうだい。」とおねだりばかりしていたのに。

信じられない。

猫はぎりぎりまで我慢する、と聞くが

突然の悪くなりように、心は真っ暗だ。

点滴、注射、点滴、注射。

また、当分ショコラは痛くつらい思いをするのだろう。

でも、きっとショコラは生きたいに違いないのだから

できることはしてあげたい。

悲しいそぶりはなるべくしないで、と先生は仰るが

今日は無理。

獣医さんから帰って来たとき、ヨークも心配そうにずっとショコラの側にいた。

ショコラ、元気になってね。お願い。

8月24日

今、朝日新聞の夕刊に「美の魔宮」、という消えた名画の行方についての連載が載っている。

バブルの絶頂期、日本人は、企業があるいは個人が、西洋東洋を問わず

名画を買いあさった。

投機目的や節税対策、純粋に欲しくて買った人もいるだろう。

しかし、バブルがはじけて、名画もちりじりに散っていってしまった。

画家が魂を込めて描いた絵が、人の手から手へ、人間の欲望によって流転する。

でも、薄汚い欲望にまみれても絵は決して汚れたりはしない。

かえって、輝きを増していくのではないかとさえ思える。

行方のわからない名画たち。

そのミステリアスな魅力に、人々の欲望はいっそう募るのではないだろうか。

人を狂わすような絵、そんな絵を描くことができた画家たちは、

あの世で、この有様をどんな思いで見つめているのだろうか。



ゴッホの「医師ガシェの肖像」

8月14日

じつは、家には体重計がありません。

子供達には、ずっとブーブー言われてきたのに、私は、断固として体重計を買わなかった。

なぜ?いや、そんなに大した理由ではないです。

胃下垂気味の私は、太りたくない人と同じように痩せたくないのです。

痩せると落ち込むのです。だから、体重を量りたくない、、それだけのことです。

しかし、ヨークが今一体何キロなのか?知りたい!

ここのところずんと重たくなったヨークを抱っこするたびに、そう思うのです。

ついに、次男に体重計を買って来てもらうことにしました。

私の「お金がない」というつぶやきを、1番聞く機会が多かった次男は、安物買いの銭失いタイプです。

買ってきた体重計の値段は、なんと700円也!

もちろんデジタルではありません。

ショコラを乗せてみると、3,2キロあるはずなのに2キロのところで針がぶれぶれ。

さて、ヨークは、4キロ?いや、見方によっては5キロ。

次男が量っても、60キロになったり、63キロになったり。

うーむ、これは、はたして量りといえるのか?

ヨークの体重は、相変わらず闇の中。

そして、また一つ物が増えた、それも使い道のない物が。

子供の前で、あまりお金の事を言うべきではない、私は一つ教訓を得ました。



PCをする次男、次男を愛するショコラ

8月10日

ショコラとヨークと暮らすようになって
ペットに関する本をよく読むようになった。

本屋さんに行くと、まず、動物に関するいい本が出てないかなあ?とチェックする。

最近は犬やネコの月刊誌なども、たくさん出版されている。

その中でのお気に入りは、『猫びより』と言う季刊誌。

写真がすごくきれいでながめているだけでいい気持ち。

夏号では、「可愛い子には旅させよう」と言う特集が組んであった。

写真家の武田花さんは、旅に出る時、必ずくもちゃんという雄猫を連れて行くらしい。

荒木健次さんなる方は、猫を肩に乗せて登山をされるとか。

猫との散歩を夢見る私には、羨ましい話だ。

自然の中では、猫がどんなに野性的であるか、そんなことも書いてある。

いつも家の中でかわいそうだなぁ、私の心の中には、常にそんな思いがある。

しかし、やっぱり、病気が怖い。

憧れつつも、猫を散歩に連れて行く勇気はない。

東京の目黒区には、猫を連れて行ってもいいカフェがあるらしい。

いいなあ、そんなところが近くにあったらなあ、、、、、

ショコラもヨークもゆったりと昼寝する午後、『猫びより』を読みながら、あれこれ夢想する。

お値段は、880円と少々高めかも知れないが、けっこう楽しめる雑誌です。


8月2日

自分が10代、20代の頃に比べたら

今は、本当に手紙を書かなくなった。

電話、PCのメールで、ほとんどのことを済ませてしまう時代になってしまった。

しかし、ほんのたまにどうしても、手紙でなければばならない場合もある。

そんな時は、大抵、かしこまった文章を書くということになる。

まずは、時候の挨拶。

さっそくこれで、つまずく。

[毎日暑い日が続いております。]

なんとなく平凡で気に入らない。あれこれ思い悩む。

やっと、何とかクリアして

[皆様お元気でお過ごしのことと存じます。]

そして本文に入るが、敬語 謙譲語が本当にこれで正しいのか?

またもや思い悩む。

たった1枚の手紙に1時間くらいかかってしまう。

それで、やっと書き上がる寸前で文字を間違ったとしても、削除はできないのである。

まあ、削除の問題は、おいて置くとして

先日、手に取った雑誌のクロワッサンは、『ちゃんとした手紙と葉書が書ける。』

と言う特集をしていた。

これは、買っておくと便利じゃない!と言うことで購入。

読んでみると、手紙を書くということは大変、と言うことが良くわかる。

まず、頭語 [お手紙差し上げます。]

そして、時候の挨拶 [ひまわりが夏の日差しに咲き誇っています。]

相手の安否を気遣う言葉、日ごろの厚情へのお礼、本文、相手の健康を願う言葉

結びの言葉、結語、と、メールでは考えられないくらいの丁寧さなのだ。

すっかり頭の中がメール化している私には、このような本でもなければ

手紙さえかけないのではないだろうか?

そういえば、母の年代の方の手紙はやはり素晴らしい。

またまた、昔はよかった病にかかりそうな私なのだった。



最近元気なショコラ