篠青と伏見は、いつでも仲が悪い。
 二人の間で少年は、不思議そうに訳を問う。困ったように懇願する。
 しかし、いくら彼が願っても。
 二人はいつまでも仲が悪い。



『獅子身中の』



 千年の昔、彼らが出会ったばかりの頃。
 篠青が、今とは違う名前で呼ばれていた頃。
 醒花は敵として死んだ陰陽師が創り出した、伏見という式神を己の使役とした。
 式神と呼ばれる存在にも様々な出生がある中で、『彼』は自我を持ちながらも、行動の規範を主の意志に束縛されるツクリモノだった。つまりは過日の敵対行動は主人に従ったに過ぎぬとはいえ、危険な存在である。
 彼の『笑顔』ほど空々しいものは、滅多と見た覚えがない。
 それなりに長い人生で、それなりに性格の悪い連中と付き合って来た。けれどその中でもとびっきりに性根が捻くれて性質の悪さが顔に滲み出た笑顔。微笑みという言葉から受ける印象と、完璧に反対の位置にある心情を表しているモノ。
 そんなモノが浮かべられるのが常である相手は、主人を違えようとも性根自体まで変わるはずもなく、味方と呼ぶようになっても油断できぬ存在だった。敵方から解放された後、行き場が無くなったアレを己が使役として引き取ると醒花が宣言したとき、何て物好きなのかと呆れ果てた。後日になって、最初に言い出したのは篠青の友人にして醒花の弟子たる少年だと聞いた。余裕がある時だったら、間違いなく止めておけと突っ込んだろう。いつか寝首をかかれても不思議は無いと。もしくは暴走して予定外の大惨事を引き起こすぞ、と。
 諸々の事情が重なり、落ち着いた時には伏見はすっかり一族に許容されていて。
 つまりは伏見が醒花の近くに侍るようになっても、篠青にとって『彼』という存在は、出会った頃から変わらぬ仮想敵だった。
 幾度も煮え湯を飲まされ、配下や醒花自身も直接に刃を交わし、死の淵を覗かされた存在。
 頼まれたとはいえ、なぜ醒花が伏見を引き取ったのかわからない。
 更にはどうしてあんな危険な存在を力弱き少年のもとへ遣わしたのか、今でも理解不能だ。

*   *   *   *   *

「……何をやってるんだ、おまえ」
 山海堂の台所から出てきた男を見て、篠青は思わず及び腰になった。それだけ見たモノが信じられず、不気味だったのだ。 
「皿を運んでいるんですが。見て判りませんか」
「いや、わかるけど…………」
 千年も前から見知った顔が、千年の中で一度も覚えのない真似をしている。
 一汁三菜を載せた膳を両手に持っているのは、まぎれもなく『伏見』だ。
 人を物を、殺す為・壊す為に創られた、残虐な殺戮人形。 
「どいて下さい。邪魔です」
 底冷えのする相手の声に恐れをなし、思わず一歩二歩と後ろに下がる。伏見の背後から、ひょいと少年が顔を出したのは直後のことだった。
「あれ、篠青さん。あんたも夕飯いるのか?」
 何の他意もない様子で笑っているのは野々内淳也だ。ちょっぴり世を拗ねたようで、ひねくれ年季の入り具合が段違いな周囲に囲まれて、所詮は素直な性格が露呈している青少年である。篠青がこの子供と初めて出会ったとき、既に伏見は彼の守護に就いていた。そう命じたという醒花の正気を、久々に疑ったものだ。
「今なら一膳くらいは増やせるけど?」
「い、いやいいわ。遠慮しとく」
 ぶんぶんと首を振ったところ、幸いにも相手はあっさりと諦めてくれた。
 最初から邪魔そうな態度を崩さなかった伏見は素っ気なく横を通り過ぎていく。それを平然と見送った少年が台所に戻って行くのを、篠青はこっそり追いかける。いっそ聞かない方が心安らかとは思うものの、つい問わずにはいられない。
「おまえ……伏見に食事作るの手伝わせてるのか?」
「あ、あの顔はやっぱり怒ってる? 今日は伏見の当番じゃないけど、山海堂の台所って使いにくくて俺だけじゃ時間かかるんだよ。システムキッチンとは言わないけど、せめて昭和初期くらいの台所にならないのかなあ」
「いや、そういうコトじゃなくな」
 想定したのと遥かにズレた答にも、何処から突っ込んでいいやら混乱する。つまり伏見は膳を運ぶだけではなく、調理も手伝ったりなんてしていたらしい。なんてオソロシイ話だ。
 だが眼前の少年は、きょとんとして篠青の恐怖が理解し難い様子だ。要するに、淳也の中では基準部分が異なるのだ。彼にとっては、伏見が包丁を握る姿に違和感などないらしい。
「――これから水周りを改修するなら、却って最新式にするしかないでしょう」
「あ〜……でも、実際問題ここってガスとか通ってるのか?」
 戻って来た伏見のツッコミに、笑いながら応じる。何にも不思議に思っていない自然体の恐ろしさ。地雷をそうと気付かず、お手玉している姿が連想される。
「醒花翁なら、どうとでもしてしまいそうですが」
「なんか、犯罪の相談みたいだな」
「そうかもしれませんね。電力やガスの泥棒を推奨しているような気がします」
「……電力会社が集金に来れそうにはないな」
 電力はともかく、ガス管無しでは泥棒も出来ないだろうと。
 物騒なネタを笑いながらぼやく。本気ではないのだろう。しかし篠青は、伏見の瞳がきらりと――いや、ギラリと光ったのを見逃せなかった。見なければ、知らなければ幸せでいられただろうと、心底目敏さを呪ったが。
 アレは主人に冗談交じりに無茶を告げられ、無理なら諦めて良いと言われた『飼い犬』が、任務遂行を決意する瞳だ。難事を解決し、主人に褒めてもらうのを至上の喜びとするイキモノが、目標を定めた時に見せる爛々とした輝きだ。
 数日後、山海堂の台所が最新型のシステムキッチンに変貌していたらどうしようと。
 篠青はそれこそどうしようもないことを考えていた。

*   *   *   *   *

 篠青にとって野々内淳也という少年は、なぜ醒花に気に入られたのかよくわからぬ子供だった。
 多少よく見える眼を持っているだけの、ただの人間。脆弱で使えないイキモノ。
 醒花も椿も人間を大切にするから、彼としても邪険には扱えない。しかし、醒花はともかく椿と親しく接しているのでは、気に入るはずもない。大人気ないと言われようとも、淳也と仲良くなりたいとは考えたこともなかった。どうして醒花は、役に立たない子供を従業員に――というより身内に迎えたのかと、不思議に思うことも幾度となくあった。付き合いが長くなるにつれ、情が移ってしまった後も、自らの好意から庇ってやりながらも疑問は変わらなかった。
 だけど伏見を懐かせることが出来るなら。
 あの野生のケダモノでさえ怯えて避けて通りそうな、本能が発達した生き物ほど恐怖を察知するような、奥底に狂気を秘めた使役を手懐けられるなら。それを自然と為せるというなら、それだけで少年は尊敬に値する。自分はおろか、醒花でさえ千年かけて叶わなかった偉業を成し遂げたのだから。
 いつか秘訣を聞き出したいが、無意識だからこそ効き目がある類の行為なのだと思う。
 だからこそ伏見に愛されたのだろうと微笑ましく思う反面、ひょっとするとその事実に気付いてしまった自分は、相変わらず彼にとって目障りなのではないかと――主人に懐いていると素直に表しそうにない性格に思い至った時、背筋が冷えたのも事実だった。からかって楽しむどころか、察したとバレたら殺されかねない。
 やはり彼は昔と変わらず、自分の潜在敵である。
 しかも自発的に護る対象が出来た分、今までよりも性質が悪い。
 純粋なる大義名分がある今、伏見との諍いは新たなる局面を迎えそうだった。


《終》