文月・祭り日


「――こんばんは」
 もう夕方近いが夏の陽は長く、外は明るい。しかし他に相応しい挨拶を思いつかない。
 淳也は涼しい店内に入ると、ハンカチを取り出して汗を拭った。冷房は無いのに、山海堂はひんやりと適温を保っている。理由を知りたくはあったが、嫌な方法を答えられそうなので我慢する。どうせ真似できない手段に決まっている。
 京都の夏はひたすら暑い。制服の黒いズボンは、夏服だろうと熱をよく吸収する。
 学校帰りに制服のままで山海堂にやって来た淳也は、珍しく眼鏡をかけていなかった。
 彼のレンズに度は入っていないから、かけなくても普段の生活に不自由はない。鼻や耳元に汗がたまる不快感と、『在り得ないモノ』を見る不快感とを量りにかけた時、本日の温度は危険生物を直視する側に傾いたのだ。
 少し前なら考えられなかったこと。着々と染まっている自分に気付いて、不安に駆られる。このままうっかり進む道は、奈落へ続いていないだろうか。
「おや、おかえり」
 にっこり笑った男に慣らされてしまったのが、敗因だと思う。
 ここに来てからまだ一年、もう一年。すっかり馴染んでしまって、奥に醒花の知人を見つけても「いらっしゃい」という言葉が自然に洩れる。以前はむしろ逆の立場だったのに。
「珍しいな、今日は封印は無しかね?」
「夏は眼鏡を外したくなるから……」
「どうして?」
 面白そうに尋ねて来る穐月は、山海堂で会う率が非常に高い一人だ。
 醒花の友人であり、比較的まともな人格者だという印象がある。
「逆パンダ焼けが嫌だから」
 きっぱりと言い切った言葉に、離れた場所にいた醒花が失笑する。風呂敷を畳んでいるのは、どうやら外出するのか、戻って来たところなのか。
「それで去年も外していたのか?」
「ああ、毎年この時期は眼鏡は……」
 ふと醒花の言葉の意味に気付いて、淳也は嫌そうに溜め息をついた。『あの時』も眼鏡を外していたから『見えて』しまったのだ。
「我慢して逆パンダになってれば、ここにいなかったのにな……」
 ふう、と。わざとらしい溜め息。
 今が不満な訳ではないのだが。素直に楽しいとも認め難い。
 それは淳也が高校に入ったばかりの夏。関西で過ごす初めての夏の出来事。もはや遥かに昔のようで、まだ一年しか経っていない。丁度、一年前のこと。
 
 ――一年前のあの祭こそが、自分の長くもない人生の転機なのは間違いない。


*           *          *


 京都の伏見稲荷神社は、全国にあるお稲荷さんの総本山だ。毎年七月の初午の日には本宮の大祭が行われ、前夜には宵宮が行われる。
 父の転勤に連れられ日本各地を放浪している淳也は、地方ごとの名所を巡るのが習慣になっていた。貧乏性というか、せっかく傍に住んでいるなら一度は訪ねておきたくなる。 高校進学にあわせて移って来た関西は、名所旧跡の宝庫だ。ぶらぶらと一人小旅行を繰り返すのは、趣味のようなもの。しかし京都の七月といえば夏も本番。気楽な観光気分で宵宮に訪れた淳也は、そのツケをきっちり払わされていた。
「暑い…………」
 眼鏡のつるに汗がたまってくる。仕方なく眼鏡を外した少年は、袖口で顔を拭った。  陽射しの絶えた宵宮ともなれば少しは涼しいかと思いきや、熱帯夜の京都は酷く蒸し暑い。人出も多いし、伴って不快度指数も天井知らずに上がっていることだろう。
 境内を初めとした一帯には、無数の提灯や灯篭が灯されている。それが余計に暑さを増していた。
 伏見稲荷は、山全体が稲荷社であるともいえる。境内を抜けた先には有名な千本鳥居があり――実際には何万という数の鳥居があるらしい――それを抜けて山頂に至るまで、各所に神域がある。散在する石灯篭や献納提灯に灯を点ずる万灯神事は厳かであり、賑やかな庶民の祭であるとも感じさせる。そこには、妖しい気配は微塵も無い。
 自分以外には見えない、異形の存在。其れが在ると確信できぬ恐怖。自身の正気を疑うほど不快な瞬間はない。世界の常識は、狂人のレッテルと共に少年を追い詰める。けれど『彼ら』ほどに淳也を驚かせるモノはない。生じた欺瞞と矛盾は、少年の内でそっと蓋をされている。
 こういう由緒在る場所で、裸眼を晒すのは不安だ。
 それでも淳也は、胸元のポケットに眼鏡を収納する。背に腹は変えられない。
 伏見稲荷神社の祭礼といえば、一見の価値があるだろうと思ってきたのだが、暑いし混んでるしヘンな奴は多いし……失敗した気がする。
 神社は恐ろしく広い。さすがは日本の第一の稲荷だ。迷子が量産されそうな広さと人の多さには気圧されてしまう。それにも増して、少年に『イヤな感じ』を与えたのは、既に三人は見かけた怪しい格好の男達だった。
 着物でいるのは仕方ない……というより当然というか、全く構わないが、稲荷の祭礼とはいえ、いい年して狐の耳をつけた男がうろうろしてるのはどうしたものか。いや、女の子ならいいとかいう問題でもないのだが。不安になって周囲を見回すと、要所要所に同じ系統の姿が見える。
 おそらく稲荷の祭礼なだけに、狐の似姿なのだろう。ほとんどは神社の関係者らしい服装をして、建物の奥で動く神職の同類らしいが、物悲しいほどに馬鹿馬鹿しい格好である。
 精神的なダメージを負い、酸素不足な鯉の気分で、淳也はなんとか人込みから抜け出す。独りで来たのは正解だった。溺れた挙句にはぐれるのは遠慮したい。
 本殿をすり抜けるようにして、僅かな人の切れ目を狙った少年は、そのはずれで立つ男に気付いて不審さに足を止めた。
 柵にもたれ、口元に柔らかな笑みを浮かべて人波を見つめている男性。まるでそこに愛しいものがいるかのように。
 問題はその男も、非常にあやしい格好をしている点だ。
 ぴんと天を指した耳と、ふさふさと暑さ倍増しそうな尻尾。しかしその男は、他の怪しいコスプレ男達とは一線を画していた。
 染めたともウィッグとも思えぬほどの、滑らかに艶やかに輝く長い銀色の髪。まとう古風な白い衣が、この上なく似合っている。頭頂部から大きく突き出た白銀の獣の耳も、きらびやかな装飾の如くに男の面差しに映えていた。
 ついまじまじと眺めてしまう、繊細な人形のような顔立ち。しかし銀細工のような男が自分の方を向いた瞬間――彼が生きて熱を放つ存在だと、どうしようもなく確信した。
 その瞳に宿る力。生きて考える存在でなければ、どうしてあんなに楽しげに生き生きとしているものか。
「何してるんだ、あんた達は……そんな所で」
 よっぽど、そんな格好でと問いたかったのだが、ぐっと堪えて言葉を飲み込む。瞳には理知的な光が宿っていたが、昨今はすぐにキレるヤバい人間も多い。迂闊に正直な感想を述べては危険だ。
 関わらないのが一番だろうに、それでも問いかけてしまう程度には、悪戯っぽい表情は人懐こく、好奇心に負けるほどには奇妙な扮装だった……似合ってはいたが。
 その容貌は日本人とは思えぬ無国籍風で、髪も瞳の色も日本人とは異なる。カラーコンタクトなどで出せる色ではない。金色に輝く虹彩と、猫の目のように光を享けて細まる瞳孔。とても自然な――自然ではありえぬ色彩。
 その足元の影は、いつのまにか歪んでいる。
 眼に映る姿はあくまで人間ながら、地に顕れる異相。人型ではないカタチ。そんな影は、つい先程まで無かったはずなのに。
 茫然と地面を凝視する少年が我に返ると、男の眼差しはまっすぐに淳也を見据えていた。
「――もしかして、迷子かい?」
 言葉通り、途方に暮れる子供に対する態度。淳也の青い顔が目に入らぬはずもないのに。彼が己の足元から眼を離せずにいるとわかっているだろうに。
「今は一応仕事中なのでね。終われば送っていってもいいが……」
「この歳で、迷子も何もあるかよ」
 境内は人で溢れ、隣に立つ者とでもはぐれてしまいそうだが。今、問題なのはそういうコトじゃない。
「……まるで、道を見失って泣き出しそうに見えた」
 幼い子を愛しむ親のような、慈しみの表情。安心して、すがってしまいたくなる。
 しかし感慨に浸れる時間は長くなかった。
 男はその表情のままで、ゆっくりとした動作で弧をえがくように腕を動かす。右手からツブテが放たれ、大きく弧をえがいた。淳也が目で追った先で、小石が若い金髪の男の手の甲に当たって地に落ちる。
「…………通りすがりの参拝客に石をぶつけるのが、稲荷の狐の仕事なのか?」
「私は稲荷の狐ではないよ……今はね」
 くすりと笑った男は、自分の方を向き直った少年の背後を指差す。もう一度、石の行方を確かめるようにと。
「よく見て御覧」
「―――あいつ、まさか!」
 ぎょっとした若者が手から落としたのは、ピンク色の革の財布。いかにも男性には相応しくない代物。
 物が落ちた音に、その前を歩いていた娘が振り返り……驚いたように屈みこむ。若者は、彼女の視線が周囲に向く前に、さっと人ごみに紛れ込んだ。
「スリにかっぱらい、痴漢というのもあるな……神域で不謹慎なことだ」
 石をぶつけられた若者は、きょろきょろと視線を彷徨わせる。見当をつけた方向はあっていたが、当然のようにその目は白い男を素通りする。まるで、誰もいないかのように。うっかり目が合いそうになって、淳也は怪しまれぬよう、そっと視線を逸らした。
「少しは懲りるといいが――」
 若者は首を傾げている。自分の行為を見ていた者がいて、それが誰だかわからないというのは、非常に嫌な気分だろう。落ち着かなくさまよう視線は不安そうで、少なくとも今夜は、再び手癖の悪さを披露しそうにはない。
「あんた……何者だ」
「そういう己は、何者なのかな?」
 返された言葉は答に困る。妙に哲学的・抽象的な質問だ。それとも単純に、他人に名前を聞くならまず自分からと言っているのか。定番の切り返しに乗って、見知らぬ相手に名乗るのは抵抗あるが、名前だけなら大したことにもなるまい。
「俺は、野々内淳也だ」
「迂闊に真名を渡すものではない。それは服従のしるしになる」
「――なんだよ、それは」
 たしなめる響き。あやされる覚えはないから、むっとしてしまう。それこそ青い証拠だと、笑われるかもしれないけれど。
「良い眼を持っているな――哀れなほどに。見なくて良いものまで見通す瞳だ」
「…………余計なお世話だ!」
 哀れむような、包みこむような。優しい眼差しを睨みつける。ソレに飲まれては取り返しがつかない。そんな気がした。
 どれほど言い募っても、彼の笑みを消すのは難しいだろう。腹は立つが、勝てる気がしない。戦う前から、悟ってしまえる。
「……スリを阻止するのは良いことだろうけど……捕まえなくていいのか?」
「そこまで介入する気はないな」
 淳也が話を逸らしたのに気付いているだろうに、話に乗ってきた男は、あえて何も言わない。都合がいいけど、癪にも障る。八つ当たりだと、甘えている自分を自覚して混乱する。どうもペースの乱れる相手だ。
「人の罪を顕すことは出来ても、人の罪を裁くことは出来ない」
「人を裁けるのは人だけってか?」
「いいや――罪を裁くのは、己自身だ」
 静かで深い眼差し。説教臭い言葉を吐き出しながら、浮かぶのは諦観だ。どれほど願おうとも、古来より人の愚行が失われたためしはない。厳粛なる其の事実を受け入れてしまっている。
「さて、坊や。もう少し待ってくれれば、家まで送っていくが?」
「だから、迷子じゃないといってるだろう!」
 もしかして異形の存在から見れば、自分など幼児にしか見えないのかもしれない。それでも語気を強く訴えれば、男は小さな目礼で詫びに変える。そこに誠意を感じ取り、淳也は頷きをもって謝罪を受け入れた。
 けれどこの場に留まるのは嫌だった。怖かったと言ってもいい。この男は酷く淳也を安心させて、同じくらい緊張させる。落ち着かない気分になる原因はわからない。さっさと見る物を観て、帰ってしまおう。せっかく来た以上、噂の鳥居くらいは見ておきたい。
 そう思うくらいには余裕あった少年は、諸々の追及その他は諦めて、奥へと続く道に視線を向ける。男はその行動に、妙に戸惑う様子をみせた。
「この先へ行くのか?」
「――もうちょっと静かなところへ行きたいんだ……って、俺の勝手だろう」
 何かまずいことでもあるのか。
 むすりとしながら、それでも一応聞いておく。この手のイキモノの言葉を無視した時、しばしばとんでもない危険に見舞われるのは、哀しいくらいに経験済みだった。見ない振りを貫いても、警告する声が聞こえれば従ってしまう。眼鏡をかけていようと、そんな言葉だけは何故か必ず届いてきた。
「いや。この先は人が少なくなって痴漢が出ると聞くが――」
「……スリには気をつけるよ」
 高校男児としての平均的あれこれはクリアしている身で、痴漢の心配はしないでおく。腕に覚えはないので、スリや通り魔には注意が必要だが、幸い日本はそこまで深刻に治安が悪くない。
「では、おまえに祝福を。今日のこの時、私と出会ったその偶然に敬意をはらって――」
 呟きながら伸ばされた腕の動きはゆっくりとしていて、拒む意識は浮かばなかった。左手首をつかまれてもなお、何をするのかおとなしく出方を窺う。
 さほど力を込めたとは思えない。なのに突然、火傷したような熱さと痛みが走った。とっさに振り払おうとしても、大きく力強い手は絡んだまま。抗議しようと顔を見れば、男は真面目な顔をして、じっと手首を見つめている。結局彼が解放するまで、枷のような束縛からは逃れられなかった。
「――なにをしたんだ、あんた!」
「失礼、少し痛かったかな」
「何のつもりだ……?」
 睨みつけても変わらぬ柔らかな微笑が、胡散臭さを倍増している。他人に痛みを与えても平然としていられる神経は、彼の本性が穏やかで人畜無害なだけではないと、明らかにしていた。
 放された手首を見て、少年は眉を顰める。そこにはくっきりと、赤い痕が残されていた。
 もう痛みはまるで無く、痣というほどでもない。五本の指の形にも似て、まるで異なるしるし。羽根を広げた鳥にも、花弁を開いた花にも見える不可思議な。
 庇うように手首を抱え込むと、淳也は素早く身を翻す。やっぱり声をかけた自分が馬鹿だった。
「――――ノノウチジュンヤ」
 男の声が、謡うように少年を呼ぶ。まるで呪文を謡うかのごとく。
「……また、会おう」
 足を止めたが振り返らぬ少年の背中へと、言霊がぶつけられる。それは縁を結ぶための呪い。約束のための言葉。誰にでも出来る簡単な、最も基本となるまじない。
 振り切るように走り出し、追ってくるかと背後を窺い見るが、男が動く気配はなかった。
 歩調を緩め、時折振り返りつつ。ここまで来たからにはと、淳也は千本鳥居を目指す。幾度目にか省みた背後で、人込みに隠れて見えなくなる時まで、男はずっと淳也の方を見つめていた。何をか酷く案じる眼差しで。
 その理由に思い至ったのは、奥へと踏み入って暫く経ってからのことだ。
 鳥居をくぐりぬけ、山頂まで登るのは無理でも、もう少しは進んでみようと。そう思って歩いても歩いても、先にあるはずの奥社奉拝所が見えてこない。いつしか喧騒は止み、山の中は厳かな神気に満ちていた。
 所々の燈篭だけを灯火に、虫の声さえ響かぬ闇の中。
 ――唐突に悟る。ここは人の領域ではない。人間が入り込んでいい場所ではない。
「いつのまに……こんな」
 妙な場所に迷い込んだらしい。思わず眼鏡に手が伸びるが、こうなっては却って『見えない』方が危険だ。
 どうしようか迷ったのは、ただ元の場所を目指しても戻れる保証がないからだ。この近さで下からの賑わいが聞こえぬなら、完璧にどうしようもない場所まで来た可能性がある。まさしく男の言う通り、迷子になったのかもしれない。
 果たして、いつから迷っていたのだろう。やけに幾度も『送ろう』と申し出た男を思い出すと、あの瞬間に自分がいた位置すら信じられなくなってくる。
 先へ進み、山中へ至るべきか。境内へ戻ってみるべきか。
 随分長い間立ち止まっていた少年を促したのは、下から現れたふたつの人影だった。
 ほっとして、道を聞こうと声を上げようとした刹那、腕の痕が鈍い痛みを発する。赤味を増したそれが伝えるのが、警告だと感じたのは勘でしかないが。
 奇妙な直感の命じるままに、淳也はこっそりと道の脇に身を潜めた。
 ほどなく横を通っていったのは、双子のように似通った顔立ちの、緋色の衣の男達。正しくは『人』では無い影を見て、本気で途方に暮れる。これまでも妙なモノを見たことはあるが、迷子になった経験はない。
 あんなモノが来た方角にも去った方角にも行きたくない。
 かといって、永遠に立ち止まっていても意味がない。
 困惑し、動揺していた少年を導いたのも、手首から伝わる痛みだった。
 勝手に仕込まれた得体の知れぬモノは、今度は何を言いたいのか。ひょっとして、とんでもないモノをつけられたのかもしれない。焦燥感に駆られながら、少年が憑き物を見ると、痕がふわりと剥がれ落ちて浮き上がる。
 鳥か蝶か、はたまた風に舞う花を模しているのか。
 音もなく浮遊し、誘うように導くように先に立って仄かな光を放つモノ。
 他にあてのない淳也は、覚悟を決めてその後を追った。来た方に向けてひらひらと流れ行く鳥はどこか滑稽で、ついていっても良い気がしたのだ。
 影が去った先に何があるのかと、その疑問が頭をもたげたのも事実だ。しかし確かめるために命を賭けようとは思わなかった。
 人が善き日を選んで神事を行うのなら、妖にとっても其れは善き日であるのだろう。いや、この山に在るというならただの妖ではなく稲荷の眷属なのだろうか。ならばまさしく神事を行うのも納得がいく。
 自分はスリを恐れ、咎める立場の『人間』だ。天罰を下すモノと同じ側には立てない。好奇心が疼かぬ訳ではないが、分不相応なモノと関わりたくはない。
 山には神が在り、平野には人が在る。
 高き地には神が棲み、下界には人が暮らす。
 その狭間に位置して、どちらに向かうか迷う自分は――この位置こそが己の在る場所を表しているようで、どこか切ない。自分では人間に混ざっているつもりなのに、いつのまにかはみ出している。意識もせずに逸れてしまう。かといって、上に混じることも出来ないのに。
 ――ふと気付くと、淳也は人で溢れえる宵宮の最中に立っていた。
 つい先程の静寂は失われ、熱気に満ちた喧騒が煩わしくまとわりついてくる。
 神域の厳かさとは遠くとも、庶民に愛され親しまれてきた『お稲荷さん』に相応しい活気だ。振り返り、来たはずの道を探しても見つからない。どこも人で溢れかえり、白い影は何処にもない。そこには祭を楽しむ群衆があるばかり。
 アレは幻だったのか。気のせいだと言い聞かせても……己を誤魔化せはしない。アレが真実だと、他ならぬ自分自身が一番わかっている。
 左手には、赤い痣が微かに残っている。この鳥が消える日は来ないだろうと、訳もなくそう思った。


《終》