如月・節分と黒豆



地方によって、行事や習慣には様々な違いがある。
 例えば雑煮の中味は家ごとに異なるレシピがあるし、七夕を八月に行う場所もある。今でも
土葬が常識の地域だってある。
 それらには、『そう』するだけの理由がある。慣習と化して由縁のわからぬ行為もあるが、大抵
は『そう』すべき事情があるのだ。
時に迷信を交えつつも、成り立ちを確認すれば、納得する慣習は多い。
 さて。野々内淳也は父の転勤に連れられて、高校に入るまで日本各地を転々として来た。
あちらでは当然の事柄がこっちでは非常識だという図式を、否応無しに実感してきた経歴の
持ち主である。
 そんな彼にしてみても、その買い物には不自然さを感じずにいられなかった。

 

*          *          *


二月に入ると、コンビニからデパートまで、食料品を扱うあらゆる店にはチョコレートやそれに
類する品が並ぶ。近頃はチョコ入りの饅頭やらチョコ風味の紅茶が作られ、挙句の果てには
ハート型のカマボコが売られるといった調子で、どんな店も商品開発に余念が無い。
 対すると地味な印象を拭えぬながらも、隠然たる勢力を保つのが節分関連の商品群である。
こちらは和菓子屋を中心に、豆もあればそれに似せた菓子もある。老舗の立派な木製の桝に
入った品から、コンビニの紙桝入の豆まで選り取りみどりだ。一月の下旬まで売り場に現れな
いのは、和菓子がチョコほど日持ちしない為だろうか。
 淳也の眼から見れば、約十日後のイベントの方が華やかなイメージがある。カラフルな色が
乱舞する光景は、購買者のほぼ全員が女性であるのも手伝って、尻込みして遠回りするしか
ない。迂闊に混じると変態扱いされそうだ。
 何処へだか出かけていたバイト先の店主が、久々に京都に帰って来たのは、二月二日の
深夜だったらしい。節分に間に合うように戻ったと言うが、その感覚からして淳也にはよくわか
らない。豆まきをすれば一年間病気に罹らないというが、忘れたからその年に大病をするとも
思えない。そもそもこの男が、そこいらのウイルス如きに負けるとは考えにくかったが。
 それでも、しばらく締め切っていた店を片付けながら、肝心の豆がまだだからとお使いを頼ま
れれば否応もない。
 それくらいはお安い御用と、ついでの品も書かれたメモを片手に近所のスーパーを訪れ、小
さな紙切れを開いた瞬間、淳也は動きを止めて考え込んだ。
 玉子2パックに牛乳1本とあるのは、いい。割れ物だろうと重くとも、構わない。
 しかし、節分用にと『黒』豆を三袋とあるのは、いかがなものだろう。
 十数年の人生の中で、節分の為に売っている豆の中に、黒豆を見た記憶は無い。理由も知
らず、そんなものだと流してきた。
 一般にいう節分の豆は、淳也が探すまでもなく、スーパーのレジの前に置かれていた。
買い物客が必ず列を作る場所には、見ればつい欲しくなる、時節商品やちょっとした小品が置
かれている。そんな正しい経営戦略を前に、少年は眉間に皺を寄せてしばし悩む。そこにもや
はり、黒い豆はない。
 安っぽい年輪柄の紙桝に詰め込まれた豆は、どれもが白っぽいものばかりだ。ほとんどが
大豆で、僅かに落花生が置かれている。殻つきの豆なら、拾って食べても汚くないという配慮
だろう。
 豆の種類はせいぜい小豆や大豆くらいしか判別できない淳也でも、おせち料理に入っている
黒豆くらいは区別がつく。何よりも、あれだけ黒ければ見間違えたりしない。
 今まで意識していなかったが、どの地方に行っても、黒豆を使って豆まきをする話など聞いた
ことがなかった。
 主に関西でよく聞く、恵方巻きとかいう巻き寿司を食べる習慣も馴染みが薄く、こちらに越し
てきてから知った。同じように、京都ならではの様式なのだろうか。
「…………考えた事なかったけど、豆まきってどうしてするんだっけ」
 淳也にとって、豆まきといえば、小さい頃は楽しい遊びの延長だった。
 日頃は玩具にすると、いけませんと叱られる食べ物を、玄関や窓からばらばらと放り投げる。
お馴染みの「鬼は外、福は内」の掛け声も、教わるままに繰り返し、その由来など気にしたこと
もない。
 歳の数だけ豆を食べると、その年は病気をしないと言うが、いつだって風邪くらいは引く。そん
なもんだと不思議にも思わない。大きくなってからは、面倒になって行事を忘れたり省略した
年だってある。
 なにか釈然としないものを感じて、当然のように置かれている桝に入った豆を横目で眺めつ
つ、淳也はお使いメモの通りに黒豆を三袋ばかり買い込んだ。

                     
*          *          *


「黒豆で豆まきってのは始めてなんだけど、この辺ではそうするもんなのか?」
「……そうだな。この辺りでは、そうするな」
 微妙な沈黙の後で、雇い主たる男はにっこり笑いながら答えた。
 そこにどこか曲者な気配を感じて、少年は警戒する。
 表面上の言葉を鵜呑みするには、淳也はややひねくれていたし、男の『嘘』は吐かないあく
どい言動の被害に遭った経験は、数え切れぬほどあった。
「ひょっとして、この辺りだけそう、とか?」
「――そうとも言う」
 ここでいう『この辺り』とは、山海堂がある一帯を指す。何故だか、表通りからは見つけにくい
この路地は、類友としか呼び様のない店が軒を連ねている。その全てに入ったことはないが、
知る限りはどの店にいるのも一筋縄でいかない相手ばかりだ。露骨に言うなら、ただの『人間』
とは思えぬ住人ばかりだった。
 スーパーで買い物を終えた後、遠回りして裏手の咲宮神社を通って戻る頃には、時刻は六時
を回っていた。店のすぐ奥にある台所に入ると、既に男は夕食の準備を始めていた。
 密かに問答無用で二人分の食器が用意されているのを確認しつつ、とりあえずは日本古来の
伝統行事についての知識を深めることにする。
「ひょっとして、豆が白いのには理由があるのか?」
 問いかけに手を止めた男は、和服に黒いエプロンという、見慣れてしまったが違和感あふれる
格好である。それでも生活感が滲み出ない、悠然とした態度は異様だ。とっくに突っ込む気にも
なれなかったが。
「……二月の節分が、立春の前日を指すのは知っているか?」
「え、そういうもんなのか」
「まあ、普通はな」
 何処から説明すべきか、迷っているのか。歯切れ悪く考え考え、ゆっくりと言の葉が紡がれる。
それでも手は動き続け、着々と食卓の用意は整えられていた。
 節分とは本来、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指す。特に立春が年の初めと考えられていた
為に、春の節分が最も重視され、一般に普及している。つまり立春から新しい年ならば、節分は
大晦日に当たる訳で。前年の邪気を祓う為に行われる追儺の儀式こそが、豆まきなのだ。元は
宮中の行事が市井に普及したとされ、年男や一家の主人が煎った大豆をまき、自分の年の数だ
け豆を食べると、一年間病にかからないといわれている。
 一般にまくのは大豆である。何故ならば、この豆が硬いからだ。
 『木火土金水』の陰陽五行の法則において、硬いものは『金行』に属し、また『金』は『白』で
あらわされる。
 古来は疫病や災厄も『金』に属すると考えられており、『豆』という『金』の象徴を煎ることによっ
て『火剋金』の法則で剋し、制することが可能だと考えられた。同時に煎っていない生豆を使っ
て、拾い忘れたものから芽が出ると、良くない事があるとも言われる。
「……待った。白い豆を――大豆を使う理由は納得した。けど、それでなんでこの辺は黒
豆なんだ?」
「鬼とは陰(おん)から転じた言葉だ。つまり豆まきとは、陰の気を持つものを、悪しきと断じて祓う
訳だな。我々が自身を追っても意味がないだろう」
「………………は?」
「つまりだな、我々は陰のイキモノだから、白い豆は――」
「わかった、わかったから、もういい!!」
 非常に嫌な理由説明が続く予感に、淳也は絶叫する。
 くすくす笑いながら、男は口を噤んで調理に戻った。


*          *          *


「そういえば、歳の数だけ豆を食べておくんだったな?」
 黒豆を嫌そうに見ていたからか。料理の出来ない少年が、店の戸締りを終えて戻ってくると、
男は淳也の反応を確かめながら尋ねてくる。
「黒豆をこのまま齧れってか? 遠慮しとく。あんただけ食べろよ」
 黒豆を生で食べる気はしないし、成り立ちを考えれば白い豆でないと意味が無い。憮然とした
答に、男も苦笑した。
「いや、私も遠慮しておく」
「じゃ、何のために買ってきたんだ。まさかそんな大量に撒くつもりなのか?」
 せっかく買ってきた物を、粗末に扱われるのも腹が立つ。撒くのは遊びではないから、粗末と
いうのも間違っているが。
「仕方ないだろう。歳の数など数えていては、時間も豆も幾らあっても足りない。せっかく買って
きてくれたのに、無くなりかねん」
「…………あ、そう」
 幾つ食べる必要があるのか。
 半ば口を出た問いかけは、危ないところで飲み込んでしまう。
 この、見かけはせいぜい三十前後の男が時折語る昔話は、まるで実際に見てきたように
リアルで、絶対に歳を誤魔化さないと見物できない時代にまで話題が及ぶ。そこに触れるのは、
淳也にとっての禁忌だ。世の中、知らない方が幸せでいられるネタもある。決して踏み入っては
いけない危険域もあるのだ。ちょっと今更とは思うが。
「これは撒くだけでなく、料理するために買ったんだ。おまえも食べていけ」
「う……俺は、黒豆は甘過ぎて苦手なんだけど……」
 黒豆を使った料理といえば、おせち料理に入っているとびきり甘い物体しか思いつかない。
 豆入りのおかきは好物だが、あれは料理とは言わないだろうし。
「そうではなく、この前テレビで紹介していた料理が美味しそうだったから、作ってみようかと」
「……あんた、料理番組なんて見てるのか!?」
 失礼ながらテレビがあるとさえ信じ難い、古い日本家屋に棲む男の発言は、結構な衝撃だっ
た。問題は家というより、彼がメモを片手に、テレビで放映するレシピを書き留めている姿が想像
出来ない――したくないところにある。
「朝のホットモー〇ングで紹介してたんだが」
「N〇Kなんて見るなよっ」
「なんだと。日本国民なら誰しもN〇Kを観る権利があるんだぞ。何しろ、テレビが無い家にも集金
に来るくらいなんだから」
「何だか危険発言が混じってるな……けど、幾ら集金のオヤジでも、ここまで辿り着けるのか?」
「…………――おまえの方がよっぽど危険発言だと思うが」
 非常識を容認する台詞は、頑なにイロイロなものを見まいと足掻く少年らしくない。
 怪訝そうな顔でのごもっともなご意見には、黙り込んでしまう。眉間には凝り解したいほど深く皺
が刻まれ、彼の悩みの深さを表している。結局お金を払ってるかどうか、確認し損ねたのにも気付
かないほどだ。
「ああ、心配しなくても、具の豆も歳の数しか入れないなんて意地悪は言わないから、大丈夫だ
ぞ?」
「んな嫌がらせを心配してるんじゃな〜いっ!」
 悪戯っぽい発言は、真面目に苦悩する淳也の、忍耐の限界を突破した。
 理性の限界を越えた時、ストレス発散を図る方法は、人それぞれだ。とりあえず、絶叫して荒い
息を吐いている少年をしみじみと眺め、男は小首を傾げる。天然なのか確信犯なのか判断しにく
い口調で、心配そうに尋ねてくる。
「……黒豆の煮汁は高血圧に効くそうだが……一杯やるか?」
「誰のせいで血圧高くしてると思ってるんだっっ!!?」
「…………私のせいでは、無いと思うんだが」
 自分で勝手に頭に血を昇らせているのでは?
 ほんの少しの間だけ、自らの行いを振り返ったものの、男は悪びれずに平然と応じる。
 一瞬の停滞の後に返された言葉に、残念ながら少年は反論の術を持たなかった。
「なんていうか……例えば、吸血鬼がいるとしたら、それらしく黒マントでも着て、薔薇を愛でて欲
しいんだよ。勝手は承知だけど、それが闇の貴族に生まれた責任というもんだろう」
「つまり、吸血鬼がニンニク料理が大好物なのは、許し難いということか」
「……それは、それ以前の問題」
 死ぬだろ、それ。ってか、死ななきゃ嫌だ。
「そうは言ってもな。吸血鬼にもタンポポを愛する権利はあるし、狼男が銀のアクセサリーを好んで
も仕方ないだろう。それは個人の趣味主張というものだ」
「そんな種族アイデンティティーに関わる趣味はいやだあああっ」
 切実にして、言っている本人は、夢と希望に満ちた願望だった。
 しかし男はそうは思わなかったらしい。淳也の苦悩が移ったかのように、眉根を顰めて新たな提
案を述べる。
「贅沢だな……ならば、塗り壁が己の美しさを保つ為にワックスがけをしているのは可なのか?」
「ううう……なんでそんな、微妙なたとえばっかり出して来るんだ」
「単にこれらが私の見知った事実だか……」
「うわああああああっ。聞こえない、聞いてない〜っ!!」
 悪意が無くても、危険な発言はある。
 真実が、常に美しいとは限らない。
 放っておくと、非常に嫌な発言が聞こえる気がして、少年は自らの絶叫で男の言葉を遮った。


*          *          *


 ぶつぶつと、互いの価値観の相違について話し合いながら制作された本日の夕食は、鶏もも肉
の煮込み・黒豆ソースがけと黒豆コロッケに、切り分けていない巻き寿司だった。
 いわゆる恵方巻きと言われる巻き寿司は、恵方を向いて無言で太巻きを食べると、一年間良い
事があるという節分の食べ物だ。関西でマスコミに紹介されて広まったそうで、全国区の行事とし
ては未だ新しい類だという。
 「福を巻き込む」寿司を、「縁が切れぬよう」に「包丁を入れずに」まるごと食べるそうで、恵方とは
その年の年徳神がおわす方向を指す。
 今年は申の方角と言われつつ示されたのは、咲宮神社のある方角で、なんとなく納得しつつ、
黙って寿司をつかみ上げる。あちこちの家で、同じ向きで寿司を無言で頬張る者がいるかと考える
と、ちょっと楽しくも、怖い。
 テレビで紹介されていたという料理も、思ったよりいける味だった。こちらもはぐはぐと、脇目も振
らずに食べ進めるのを嬉しそうに確認しながら、男はひとりでちびちびと徳利を傾ける。花色の上品
な徳利は、素人が見ても素朴な味わいが美しい。
 おちょこ一口だけお相伴し、あまりの強さに残りを返した少年には、茉莉花を中心として調合した
特製茶が出されていた。この手の自家製茶や薬の調合も、男の趣味であり、特技でもあるらしい。
醒花の名に恥じぬ、かもしれない。
 冬の京都は陽が沈むのも早く、寒さも厳しい。
 暦の上ではもう立春だが、着実に長くなるはずの昼は、まだ実感を伴わない。
 熱いお茶で、身体の内側から暖まっていた少年は、男が不意に視線を上げたのに気付いて、首を
傾げた。
「――見てみろ」
 立ち上がった男が、のれんをかき分け店へと戻ると、ついて来た淳也に正面の路地を指差す。
 半ば開かれた引き戸の隙間からは、暗闇に閉ざされた道が見えている。軒を連ねる店の前に吊る
された提灯達が、ぼうと闇を照らしていた。
 いつもと変わらない、微かな畏れと共に有る静かな夜の光景。何があるのかと、男の顔を見上げて
みれば、ふと路地に歓声が響いた。同時にぱらぱらと、小さな音が響く。
 すわ何事かと視線を動かした先には、ゆっくりと進み来る行列と、それを路傍で見つめる幾つもの
人影がある。時折、列に向かって投げかけられているのは、黒い豆らしい。
 それぞれに面らしきものを被っている彼らが、和装の上から巻きつけているのは、虎皮だろうか。
外国の映画で、暖炉の前に置かれている、頭までついた毛皮に似ている。
「……あれって……ナマハゲの行列みたいだな…………」
「鬼だ、鬼。陰の夜行だ。よく見て御覧」
 ズレた発言に呆れた顔で突っ込みつつ、伸びた腕が、淳也の顔から眼鏡を奪う。
 世界との間にある、硝子の壁を取り除かれた少年の前に顕れたのは、それまでと一変した異形の
列だった。
 猫も杓子も踊るような足取りで、『彼等』は浮き浮きと歩いてくる。
 誰もが鬼の面を被っているが、中にはしっかりと自前のご面相で充分勝負可能なイキモノも混じっ
ていた。
「投げてみるか?」
「……いいよ。俺がやるのは、洒落にならないし」
 碗に盛られた黒豆を差し出されるが、慎んで遠慮しておく。『彼ら』が『彼ら』に撒く為の作法だという
なら、自分が介入するのは分不相応な気がした。たとえ効果のない黒い豆だとしても。
 百鬼夜行という言葉が、不意に脳裏を過ぎる。
 禍々しい呼び名とは裏腹に、恐ろしいというよりも滑稽で楽しげだったが。いやそれこそが、彼等の
本質なのだろうか。人が伝える恐るべき夜行は、歪められた伝聞の結果なのだろうか?
 本当に強く恐ろしいのは妖ではない。闇を駆逐し、世界の覇権を握りながら、なおも貪欲にそれ以上
を求めようとする激しさは、妖にはない。
 だから妖達は今夜を祝う。
 今宵は人間が闇に思いを馳せる日だから。
 災禍をもたらす恐ろしいモノが闇の奥に潜んでいると、心のどこかで畏れを思い出す日だから。


 ――妖達のうかれた宴は、空が白む頃まで続いていた。
 惚けたようにそれを見る淳也を、男が止めることはなく。
 少年は翌日の学校で、幾度も欠伸をかみ殺すはめになったのである。




《終》

2004/2/3脱稿
2004/2/13ちょっぴり改稿
2005/3/14頂き絵をリンク。挿絵