神無月・南瓜尽くし



 明々と照明が灯る室内では、着々と夕飯の支度が整えられている。
 和室の卓上に並べられていく数々の料理を眺めながら、淳也は深々と溜め息を吐いた。
 憂鬱を隠す気力もない彼の膝では、黒猫がだらりんと身体を弛緩させている。こちらも疲れきった風情で、いつもは角突きあわせる少年と一緒になって、物哀しげに愛しい女(ともう一人)が作った惣菜を見つめている。唯一正面に座る穐月だけが、うきうきと嬉しげな様子である。
 彼等の視線を釘付けにして、両極端な反応を引き出しているのは『カボチャ』だった。
 これだけは妥当に白いご飯に始まり、カボチャの煮物、カボチャのサラダ、カボチャのミニグラタンに、カボチャをひき肉のあんかけにしてみたり、天ぷらにしてみたり。ふと見れば味噌汁にもカボチャが浮かんでいる。
 冬至にはまだ間があるが、誰が見ても明らかに、本日の山海堂の食卓はカボチャ尽くしだった。これ以外にも台所では椿と佐保の女性二人が、パンプキンパイやカボチャ団子といったデザートを作っているはずだ。どうあってもカボチャからは逃れられそうもない。
 淳也はカボチャが別段嫌いではないし、連日ならともかく一食カボチャ攻めに遭うくらいは大した感慨もない。食べたい人がいると言われれば、そうかと頷いて済ませるだろう――いつもなら。ここまで徹底するのは凄いと思うが、それだけだ――普通なら。
 そしてつまり、少年と黒猫を鬱に陥れる『カボチャ』は並みのシロモノではないのだった。




「冷めないうちに、どうぞ」
 更にカボチャのコロッケを持ってきた女が、穏やかな微笑みで「さあ、食べろ」と強要する。いや、彼女にそんな意図はなく、純粋に好意なのだろうが、淳也の心中は複雑だった。
 正面を窺えば、嬉しそうに料理を眺めるのが当然の、この現状の提案者。膝には毛を逆立てるが拒否の言葉はない黒猫。他はまだ台所の椿と、給仕をしてくれている佐保。常識をぶっちぎっていそうで、本気で泣かせはしない醒花は留守だ。つまり、逃げ場はなし。
「――本当に食べないと駄目ですか」
「走り回ったのだから、おなかが空いているのでは?」
「それはそうなんですが……」
 まずい食事が出て来た時に「こんな飯が食えるか」と、ちゃぶ台を返す者の心が、今ならわかる気がする。昔は本当にそんなことをする人間がいるのかとか、不味くても心がこもってればとか、勿体無いなあとか思ったものだ。
 しかし、今ならば。
 同じ行動に出たくなる今ならば、気持ちがわかる。目の前に続々と並べられる料理は、不味くはないとしても、拙い。ヤバい。危険だ、多分。薦めてくる以上、食べても死なないだろうが……一生忘れられない思い出、というか心の傷になってしまいそうだった。
 今日ばかりは共に苦労を味わい、共感ひとしきりの黒猫――もとい、青年。いつの間にか安楽の地から降り立った彼は、自らの意見を主張する覚悟を決めたらしい。愛があっても許せないことはあると、そんなフレーズを思い出す。篠青なら椿の調理した一品を、泣きそうになりながらも全部食べるのではないかと――もしかしたら喜んで食すんじゃないかと予想していたが、よっぽど嫌なのか。単に前にいるのが椿ではないからか。
「佐保……これを、本気で食べろってか」
「そんなに、見るからにまずそうだろうか?」
「いや、そーいうことでなくな」
「失礼だな、篠青。佐保の料理は美味いぞ」
「いや、そーいうことでもなく。佐保の料理自体は上手くても、原料が問題だろうが」
「おまえな、自分で持ってきておいて何をいう。そんなに腐ったカボチャをとってきたのか?」
「――いいや、新鮮だったよ。嫌になるほど新鮮だったさ、ああ。もう大暴れで死ぬかってくらいにな!」
「仮にも風神の端くれともあろう者が、たかがカボチャ相手にやられてどうする」
「やられてねえって! ヤられてたらここにいねえよ!!」
 不毛な会話に再び嘆息した少年へと、視線が集まる。身を引く気力すら失って、どろんとした眼差しで見返してみれば、穐月はにっこりと微笑んでみせた。
「――どうだった、淳也。いい経験になっただろう」
「経験……まあ、得難い体験というか、一生得なくてもいい経験値を貯めてしまったような……」
「やはりカボチャ狩りは、この時期が一番だからな」
 のほほんとした男の言葉を聞いた淳也と篠青は、今度はそろって溜め息をついた。
「じゃあ、自分で行けよ……」
「カボチャを食べるのは、冬至じゃなかったですか……?」
 どうして『今』なんだろう。『今』のカボチャじゃなきゃ駄目なんだろう。
 切実な疑問は、簡単にいなされてしまう。
「む、食べたい時に食べたいものを食せるのは、幸せだと思わないか?」
「それは思いますけど……何でこんなモノが食べたいんですか」
 少年と猫が向ける視線は、親の仇もかくやという具合。対して穐月は、孫を見るような優しげな眼差しである。
「味は、つかさ様の保証つきですけれども」
「いや、そういう問題じゃなく……」
「食う以前の問題だろ……佐保、おまえもしょせん、つかさに思考が汚染されてるよな……」
 コレの原形が何であったか知っているはずの女性が、平然と台所に立っていたこと自体が、彼らにとっては大いなる驚きであり、脅威でもあった。
「――カボチャ狩りはそんなに大変でしたか?」
「カボチャ狩り……ただそう聞くと、ぶどう狩りなんかと同列に聞こえるんだけどな……」
「アレが、んな可愛らしいモノかよ」
 日頃は仲が良いとはいえぬ二人は、今日ばかりは同じ苦労を共にした者として団結する。
 淳也と篠青は遠い目をしながら、先程までの『狩り』を思い出していた。


*     *     *


 京都の祭といわれて浮かぶのは、祇園祭や葵祭。いにしえより続く、日本文化の粋たるもの。淳也がとっさに浮かべるのは、それら国産和風の祭事だ。
 十月に入ると、洋菓子屋はオレンジ色に染まる。しかし京都では、カボチャのランタンで馴染んだハロウィンは範疇外。英語圏のお祭なんて、古都ではまるで関知しない印象がある。だがそれは、京都をある意味で神聖視した考え方らしい。
 現に京都でも、十月の後半にはカボチャランタン作りの集会や、仮装行列といったお祭騒ぎが例年行われ、多くの人々を集めている。晩秋の気配漂う中で、本年もパレードは楽しげに進められ――怪しげな列を見ながら、淳也と篠青は妙に浮かない顔つきだった。
 列に混ざってこそいないものの、淳也も充分ハロウィンを想起させる格好である。気分が出る、という訳のわからない理由で、無理矢理貸し付けられた薄手の黒い外套は、むしろ防寒に役立っている。
 ここしばらくで急激に寒くなったし、今日という日も一役買って、怪しまれるほどの格好ではない。その肩には、ちゃっかりと黒猫がへばりついていて、これもこのイベントに相応しい。
 肩乗り猫が目を引くのか、周囲がチラチラ視線を向けては囁く言葉は、概ね好意的だ。眼鏡を外して、印象的な大きな瞳がくっきりとした少年は、猫とセットで凛々しくも可愛らしく見えるらしい。
 目立つのは本意ではないから嬉しくないし、そもそも『よく見え過ぎる眼』をさらして歩く状況に追い込まれたのも、まったくもって心楽しくなかった。更にはこの外套の『真の効力』とやらに考えが至ると、耳元をくすぐる猫の尻尾を引っつかんで、振り回したくなる誘惑にかられる。それではまるっきり八つ当たりだが。
「……どうだ、わかるか?」
「――やたらと霊魂が飛び交ってる気がする」
 元々この古都では多いんだけど、それにしても多すぎる。
 少年のぼやきに、黒猫が小さく笑う。震えるヒゲが頬に触れて、反射的にびくりと身体が震える。
「そりゃ、ハロウィンていや英国の盆みたいなもんだし、悪霊も集まってくるだろうよ」
「お盆って……大分乱暴な邦訳だな」
「本来はケルト人が秋の収穫を祝い、亡くなった人を尊び偲ぶ行事だ。子供が菓子を貰うってのが、最近の流行らしいけどな」
「……ちなみに、最近って?」
「あ〜? 五十年と経ってないだろ」
 気軽に語られた最近の単位には不満があったが、それを言っても始まらない。
「んでも何で西洋の盆で、俺がこんなに苦労することになるんだ」
「あんたが穐月さんより弱いからだろ」
 あまり他人をどうこう言えた状況でも、ないのだが。
「……黙って見つけろ。行くって言い出したのはおまえだろうが」
「別に修行してる訳じゃないんだけどな……」
 今日一日で何度吐いたかわからぬ溜め息と共に、眼をこらす。その瞳で世界の真実を暴き出すために。
「――何体か、それらしいのはわかった。で、どうするんだ?」
 少年が『ソレ』を確認したところで、こっちはとっくに『ソレ』を察知していた黒猫――を模したイキモノは、ちっと舌打ちを洩らした。
「ったく、面倒くせえな。trick or treat! と叫びたいのはこっちだぜ」
「あれに何か寄越せって叫んでもなあ……くれると言われても断りたい……」
「うるさい、だまれ、諦めろ」
「……最後の一言には納得した」
「おう、当然だ」
「諦めたところで、どうやって捕獲する?」
「さっき陣図を描いただろうが。あそこに追い込みゃ出られねえよ」
 この通りに『出る』前の、位相異なる空間で、道路一杯に描かれた落書きを思い出す。
 ごちゃごちゃと書き込まれた、普段生活しているだけなら見慣れない無数の漢字。定規もコンパスも使わずに、美しく均等に敷かれた細い線。
 公道にそれを設置した時点では、篠青は人型だった。字を書くという性質上、必要だったのだろうが、わざわざその後で化けなおしたのは……ひょっとしたら楽をするためだろうかと、穿って考える。大きさの割に重くはないのだが、肩乗り猫はただ、ぶつぶつと指示を出すばかりだから。
 淳也はこのイキモノの実力は知らない。けど多分、自分がいない方が早く済むとは思う。
「……それってつまり、生け捕りにするってことか?」
「おうよ。あんなもん、いちいち叩き潰してられっか」
 けっと吐き捨てるような台詞。それはやる気の無さであり、そして。
「いいか、ジャック・オー・ランタンってのはな。諸説はあるが『呪われ彷徨える亡霊』が宿ったせいで、灯火のように見えてるシロモノだ。依り代を力づくで叩き壊したら動かなくなるが、零体が消滅する訳じゃないし、第一今日はバラバラにしたら困るだろうが」
「なあ…………アレって、何のために捕獲するんだっけ?」
 その解説を聞いて、思わず淳也が示す先には、大量に並ぶカボチャのランタン……何故か、勝手に動いている、その中の幾つか。
「ば、馬鹿野郎っ。視線を合わすんじゃねえよっ」
「え――うわっ!」
 指差し確認した先にいた『カボチャ』が。
 西洋カボチャといえども頭に当たったら死にそうな硬さとサイズのそれらが、宙を舞う。
 いつの間にか、周囲からは物音が消え、人影が失せている。
「位相をズラしてさっさと走れ!」
「……そんな簡単に言うな〜っっ!」 
 悲鳴の如く叫んで、淳也は身を翻す。律儀にも黒猫が落ちないように支えながら。
「トリック・オア・トリート、つったらどうするだろうな」
「それはこっちの台詞なのか? 向こうの言うべき決り文句じゃないのかよっ!?」
「何を言ってる。アレが菓子で治まると思うかっ?」
「それをいうなら、アレが菓子を持ってるようにも思えないけど――っ」
 思考が停滞して、会話が無茶苦茶になっていく。
 荷物を抱えては走りにくかろうと、少年の腕から飛び降りた黒猫は、身軽く先に立つ。黒猫が導くままに、少年は必死に走り続けた。そのすぐ背後からは、ケタケタともゲヘゲヘとも表音しにくい笑い声(だと思う、多分)を上げながら『カボチャ』が迫って来る。
「あとどれくらいだっ!?」
「もーちょっとだ、死ぬ気で走れ!」
「むしろ、走るの止めたら死にそうだよ!」
 くだらないコトを言えるのは余裕がある証拠、ではなく。
 単に感覚がマヒしてきているだけだ。はっきり言って淳也は、あんなモノに追いつかれては為す術がない。
「俺って、なんか穐月さんの恨みを買ったっけ――っ!?」
「外套を借りただろうが、一撃で死にゃしねえよ。ちょっと大怪我するだけだって!!」
「大怪我ってなんだよ!!?」
 あまり体力に自信がない淳也が力尽きる前に、幸いにも見覚えのある場所に出る。
「そこの角を曲がったところに陣がある!」
「わかってる!」
 脳にあたると思われる部分を掻き出されたランタンは、やっぱり馬鹿なのだろうか。宿っている亡霊とやらも、頭まで腐っているのだろうか。
 侵入した魔性の脱出を阻む陣は正常に作動し、その上を走り抜けた淳也の背後を、正確に追尾してきた三体の『カボチャ』は、無事に陣図に封じられた。




「……コレ、どうやって持ち帰るんだ」
「このまま簡易封印を架して連れてきゃいいだろ。着いてから解放して、適当にぶちのめしゃいい」
「いいのか、そんな大雑把なことで」
「仕方ないだろーが。完全に潰すか腐り果てるまで動いてるようなイキモノだぜ」
「……生きてるのか、亡霊って」
「そういや、生きてねーわ。じゃなくてだな、新鮮なのを捕って来いってなら、生け捕りが一番だろうが。あいつだって文句がつけられねえさ」
「ひょっとして……穐月さんへの嫌がらせか?」
 単にやる気が無いだけで無く、わざと意地悪をしているとしか思えない。
 捕まったとわかっているのか不思議になる陽気さで、カボチャは踊り狂っている。彫られた顔が笑っているだけだが、愛嬌があるのも間違いない。なんだか一方的に叩き潰すには、忍びないが。
「ちょーっとくらい意趣返ししたって許されるだろう」
「で、料理する女性陣にシメさせて手間を増やすと。……椿さん達なら気にしないかもしれないけどな。穐月さんの発言にも平然としてたし」
「う…………」
 どうしても黒猫が駄々をこねるなら自分が行って来ようかと。
 当然のように言い出しかねない女性陣は、非常に穐月に好意的――というか従順である。唯々諾々と従ってはいないが、あえて突飛な発言でも否定はしない。淳也はふと、黒猫が同じコトを強請ったらどうなるかと考え、なんだか哀れな結論に達する前に意識を切り替える。
「それよりもコレ………………本当に、食えるのか?」
「そこは今は追及するな」
「今じゃないなら、何時事実関係を正すんだよ。持って返ったら、絶対一緒にどうだと誘われるに決まってるのに」
「何度言わす気だよ――あきらめろ」
 力強い黒猫の一言に、少年は深く深く沈黙した。
 そしてやはり、彼女達は取れたてピチピチのイキのいいカボチャ数個を届けられても、顔色を変えたりはしなかったのである。


*     *     *


「カボチャが食べたい」
 突然の穐月の言葉に篠青が顔色を変えた理由が、正直言って淳也にはわからなかった。その瞬間は本当に、穐月が意図する意味がわからなかったのである。
 確かに今年は野菜が高いが、『どうしても』食べたい時に我慢するほどではない。山海堂のエンゲル係数を気にする立場でもないだろうに。ここの家計がどのようにして支えられているのかは、淳也も疑問の残るところだったが。
「しの。せっかくなんだ、かって来てくれ」
「――イヤだ」
「篠青。老い先短い年寄りの最後の頼みだ。新鮮なカボチャを食べねば、死んでも死にきれん。亡霊になったら、祟るぞ?」
「……おまえがソレを言うか!?」
 反射的に叫び返した青年は、ふふんとばかりに腕を組む。
「出来るもんならやってみろよ。そう簡単にやられるつもりはないぞ」
「そうか。では、毎晩おまえと椿の枕元に立って、救われぬ理由をのべてやろう」
「…………脅迫かよ、そりゃ!」
「もちろんだ、気付いてなかったのか?」
「なんで俺が、カボチャを狩って来ないと駄目なんだ――っ!!?」
 非常にくだらないネタで対立する姿は、見学者にとって見苦しいというより、空しい。
 この時点での淳也は、まさか『かってくる』というのが『狩ってくる』だとは思っていなかった。せいぜいが、何処かのスーパーででも『買ってくる』のだとばかり考えていたのである。
「あのさ……カボチャくらいなら、俺が買ってこようか?」
「馬鹿なことを簡単に言うんじゃねえよ」
 噛み付くように淳也に怒鳴る青年は、後になって考えてみれば、少年を心配してくれたのだ。
 だって「なら二人で行って来てくれ」と言いつけられた後でも、面倒だからと淳也一人を放り出しはしなかったのだから。




「おまえは穐月を誤解してる! こいつがそんな普通の頼みをするかよ」
「あー……そうかもな……」
「誤解しとるのはおまえの方だ。普通に買って来るでも仕方ないと思っとったのに、狩りと誤解したから、イキがいいのが食べたくなったんだろう」
「……嘘だ、それは絶対嘘だ」
 ジトと睨む黒猫は、尻尾をぱんぱんに膨らませている。
 結局、夕飯は全員がそろって済ませてしまった。成り行きのままに遅くなった淳也は、今日は山海堂に泊まることにする。なんだか体内に毒素が溜まった気がしてならないし、最低でも食中毒をおこしそうで怖い。
 もしも保健所に、バイト先でカボチャのランタンを食べたと申告したら、「腐ってたんじゃないか」で済まされそうだ。済まなくても説明に困るが。おまけに料理が美味しかったのも、何だか淋しい要因だった。美味しいに越したことはないが、普通のカボチャで作ってもらったら、もっと心置きなく美味しかっただろうに。
「ひとつは玄関に飾ってきたぞ」
 呪陣に残って踊っていたカボチャを、ていやっと素手で捕獲した穐月は、椿と連れ立って表へと出ていた。その訳を知って、ちょっと目眩がしてくる。
「……暴れませんでしたか」
「現在進行形で元気よく活動していたので、縛り付けてきた」
 抵抗された割には二人とも全く怪我は無い。よかったのだが、妙に複雑な気分だ。あんなモノを飾った店など、通いたくもない、玄関を通るのすら嫌だ。
「椿、おまえもそれは、天然なんだかヤケなんだか……」
「ヤケになっているのはおまえの方だろう。確かに、アレで悪霊を払えるのかは疑問だが」
「アレ、が悪霊なんじゃ?」
 本来はハロウィンで現世に帰って来る悪霊を追い払うために、ランタンに火を灯し、怪しげな仮装で脅かしたという。もはや欧米人も、悪霊を驚かせるのか、悪霊に化けているのか意義を見失っているようだが。
「悪霊であろうと、食べ物を粗末にするのは感心できない。せっかくのナマモノなんだから、新鮮な内に頂くべきだろうし、しばらくあのまま生かしておけば日持ちするだろう」
「……だから、生きてないんでは?」
「まあそうだが……動かしておいた方が、腐敗が遅い気がする。明日にでも処理するつもりだが…………」
 突っ込まずにいられぬ淳也に、あっさり頷きが返され、ついでに不穏な言葉も返される。
「まさか明日、アレを食べるつもりか!?」
「……足りないのなら、今日食べても構わないが」
 料理くらいはしてやるぞ、と首を傾げる娘には、悪意は少しも見受けられない。
 意外と性根が強かな女性ではあるが、篠青には率直さを隠さぬ椿は、本当に本気なのだろう。恐ろしいことに。
「……え〜と、せっかく悪霊避けですから、十一月まで玄関に飾っておいてはどうでしょうか」
「だが、それではさすがに腐敗が心配だ」
「今日のメニューで充分満足しましたし、食べるのは諦めてもいいんじゃないかと」
 珍しいほどにこにこと笑う淳也の顔は、密かに引きつっていた。再びは勘弁して欲しいという内心が、表に現れまくっている。いつもなら篠青から余計な突っ込みが入りかねない瞬間、彼も沈黙を守って後押しに努める。良くも悪くも彼の言葉に、椿は過剰に反応する。ムキになられるより、いっそ黙った方が良い場合もあるのだ。


*     *     *


 ふわり、ふわりと青白い炎が夜道を照らす。
 その火もまた、英語ではJack-o-lanternと呼ばれている。
 狐火や鬼火。不可思議な力で生まれた炎。正体の知れぬ其れらを恐れ、この世ならぬものだと本能で察知した人々がつけた名前。
 そんな明かりで足元を照らし出し、夜道を急いでいたのは山海堂の主人である。
 彼がここへと戻って来たのは、実にほぼ一ヶ月ぶり。霜月が始まろうという夜のことだった。
 神無月に行われる、とある会合もようやく終わり。留守は頼んで来たし、毎年恒例の不在とはいえ、だからこそ心配でもある。
 早々に帰宅した彼は、玄関での出迎えに――さすがの醒花も軒先にぶらさがるモノを見て、しばし足を止めた。
 彼の前で玄関を照らし出していたのは、内部に火の玉を浮かべながら、自らダンシングカボチャと化している物体だった。
 ケタケタ笑いながら光を振り撒く物体は、悪霊払いの灯火というよりコレ自体が悪霊のようである。コレがあるだけで、外観は普通の日本家屋に過ぎない山海堂は、異様な怪しさを醸し出している。
 少なくとも出掛けた時には、こんなモノは無かったのだが。
 賑やかな笑い声が聞こえる家の中からは、馴染んだ気配が幾つも感じられる。その内二名が行わされた『狩り』のことは知らず、しかしこんな楽しいコトを夢想し、更には実行に移しそうな顔はひとつしか浮かばずに。
 男は苦笑混じりの溜め息と共に、様変わりしてみえる我が家へと足を踏み入れた。



《終》