死を身近に感じさせる鎌倉の海と街の美しさ

                          ――― 映画「海街diary」を見る(2015.7.26)


少女マンガの一つの到達点ともいえる吉田秋生の「海街 diary」を
役者に自然な演技をさせることにこだわる監督・是枝裕和が映画化した。
先に原作を読んでいる映画は久しぶりで、原作ファンとして映画化は素直に嬉しかったが、
まだ連載中の物語を、どう再構成し、どう2時間の映画にまとめるのか気になるところだった。

映画は、「すずが香田家にやってくる」という事件を出発点に、
香田家の三姉妹と音信不通だった父が遺した妹・すずが、海街・鎌倉で暮らす一年間を描く。
現在6巻まで出ている原作では2年以上の時間が経過しているが、
映画では、「四姉妹」とその家族の人間関係を軸にして、 登場人物を整理した上で、
既刊のエピソードを取捨選択しながら丁寧に編みなおしている。

吉田秋生からの唯一の注文が「季節の移ろいを大事にしてください」であったこともあってか、
自転車の荷台から見上げた一面の桜、雨に煙る紫陽花の寺といった鎌倉の自然はもとより、
梅の実を採ってを梅酒に漬けたり、浴衣を着て庭で花火をしたり、
生しらすのトーストを食べたり、何気ない暮らしの中からも季節感が見て取れる。

格調高い菅野よう子の音楽が、そんな美しく静かな画面に豊かな深みを添える。
極私的なことだが、冒頭、山形の温泉地から列車が出発したシーンは、
是枝監督も敬愛する佐々木昭一郎の伝説のドラマ「四季ユートピアノ」におけるマーラーの交響曲第4番を思い起こさせた。 (1)

両親が家を出ることで、しっかり者であることを強いられる長女・幸に綾瀬はるか。
大河で八重を演じたのが良かったのか、凛とした立ち姿が板についている。
姉がいることで、安心して酒と男に奔放になれる次女・佳乃に長澤まさみ。
最前列にはいるけれど決めてくれる人が別にいる、という二番手の役柄を楽しんでいる。

マイペースなようで、姉二人のことをよく観察して実は一番大事なことを言う三女・千佳に夏帆。
絶妙の立ち位置とタイミングで話すことで、スナフキン的な役回りに立つことに成功している。
そして、両親が亡くなり、三姉妹の下で暮らすことを決意する四女・すずに広瀬すず。
子どもでもない大人でもない微妙な年ごろの瑞々しさを、気負いなく表現してくれた。

本来は軽い役だが、法事で顔を合わせた三姉妹の母に大竹しのぶ、大叔母に樹木希林。
綾瀬はるかを交えたちゃぶ台での丁々発止の口げんかには、
日本映画史に輝く名女優三人が並ぶという、歴史的瞬間に立ち会ったかのような緊張感が漂う。

ただ、こうした重厚な配役からも見て取れるように、映画は家族を軸にしており、
映画の側で「四姉妹が本当の家族になる」という枠組みを作ったことで、
かえって、すでに解決している問題を掘り起こしているような感もあった。

もう一人、スポットが当てられていたのは、みんなが集まる海猫食堂の二ノ宮さんだ。
風吹ジュンがせつない笑顔で登場した時、このエピソードを使うのかという驚きと、
「あ、この人、死ぬんだ」という悲しみが同時に押し寄せてきて、困った。

こうして見てくると、ずいぶん死を身近に描いている映画である。 葬儀や法事のシーンが多いから言うのではない。
緩和ケア病棟に勤める長女・幸にとって、死は日常的なものだし、
信用金庫の融資係である次女・佳乃も、零細事業者の生殺与奪の権を握っている。
三女・千佳の勤め先のスポーツ店の店主は、ヒマラヤで死と隣り合わせとなったようだ。
そして、四女・すずは、ほぼ一人で父の最期を看取っていたらしい。

もとより、人が死と隣り合わせにあるのは、気づかないふりをしているだけでごく普通のことだ。
「私がいなくなっても街と時間は続いていくという事実を、切ないこととしてではなく、
大きなものの一部を形成する、私もその一粒なのだと豊かに実感すること」
是枝監督自身も、「海街diary」をこう解読している。 (2)

そして、そのことを体感させるものとして、波を寄せては返し続ける鎌倉の海がある。




 (1)  TAMA CINEMA FORUM「RESPECT佐々木昭一郎」(2001年11月25日)において、「四季・ユートピアノ」等が上映された 後、
   監督の佐々木昭一郎、主演の中尾幸世を交えたトークの聞き手として、佐々木ドラマや「四季ユートピアノ」について熱く語っていたのが
   是枝裕和だった。
 (2) 「海街diary」パンフレット

      ひつじ亭・マンガ評「海街diary」

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