原作そのままと感じさせるために必要なとてつもない手間と時間
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映画「この世界の片隅に」を見る(2017.1.29)
映画「この世界の片隅に」が口コミで多くの観客を集めている
らしい。
それどころか、各種映画賞においても受賞が続いている。
こうの史代による原作の良さについては、十分に知って
いる。
肯定的であれ否定的であれ、ともすれば「政治」が語られてしまいがちな「戦時」を、
広島から呉に嫁いだすずを主人公に、庶民の日常に焦点を当てることで、
現代の読者にも手触りが感じられる具体的なエピソートで「時節」を表現していた。
むろん、その間、数度にわたる軍港・呉への空襲があ
り、広島には原爆が落とされる。
しかし、どんなに窮乏していても、どんなにつらい出来事が続いていても、
今日の一日を暮らしていかねばならないし、明日という日もやってくる。
少々のんびりしているが明るいすずの視点で当時の当たり前の生活が描かれることで、
結果的に、その理不尽さに気づかされ、腑に落ちるような物語となっていた。
そんな原作が映画化された。
監督の片淵須直は、「アリーテ姫」や「マイマイ新子と千年の魔法」で知られているが、
こうの史代関連では、こうのがキャラクターを描いているNHKの楽曲「花が咲く」のアニメーションを監督している。
映画化の構想から完成まで6年。
片淵は、まず原作に出てくる広島や呉の街をたんねんに取材し、
当時、暮らしていた人たちの記憶をたよりに、街並みを丁寧に復元したという。
それは、すでに原作の時点で、どの場所なのかがわかる
程度には、
広島出身のこうの史代による独自の取材によって描かれていたということでもあり、
そうした取材に裏打ちされた原作だからこそ、とてつもない手間と時間をかけねばならなかったということでもある。
そんなこともあって、原作を知るものとしては、エピ
ソードの取捨選択はあるものの、
原作の味わいを損なうことなく、きちんと作ってくれた映画であるように感じられた。
反面、映画が賞賛されればされるほど、それは原作の良さなのに、というイラダチもあった。
しかし、原作そのままと感じさせてくれるような映画に
仕上げることこそが、
監督・片淵須直が最も努力したであろうところであり、
それを違和感を感じさせることなくやり遂げたことが、監督の一番の功績なのだろう。
ちなみに、映画化に際し、パイロットフィルムの制作費
用がクラウドファンディングで募られ、
目標の2000万円を数日で突破すると、最終的に4000万円近くにまで達したという。
「この世界の片隅で」を映画化してくれるなら、片淵須直が監督するなら、
という人々の思いが短期間でのクラウドファンディングを成功させたに違いない。
映画のエンドクレジットでは、最後の最後のところで、
3000人を超えたというクラウドファンディングによる出資者の名前が並んだ。
その圧倒的な量に、この映画がたくさんの人に支えられていたことを実感させられた。
だから、もし、まだこの映画を観ておられ方がいるなら
ば、ぜひ見てほしい。
そんな発信をすることが、 出資しなかった自分が貢献できそうな数少ないことであると思うので。
映画「この世界の片隅に」公式サイト
Wikipedia「この世界の片隅に」ページ
ひつじ亭・書評「ユリイカ 特集こうの史代」「この世界の片隅に 公式ファンブック」
原作の世界観を大切にしつつ、なめらかに再構成した良作
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TBSドラマ版「この世界の片隅に」を見る
1.TBSドラマ版「この世界の片隅に」第1回を見る(2008.7.22)
一昨年のアニメ化で話題になったマンガ連作のドラマ化です。
アニメ作品が、原作では「描かなかった/描く必要がなかった」背景の細部も含めて、
原作以上に忠実に再現したことで高く評価されただけに、
生身の役者を使うドラマがどんな画面を作ってくるか心配でもあり、興味もありました。
原作が、一話10数ページという短い紙数に扉やセリフを使って情報を凝縮させる一方で、
マンガ独特の笑いや誇張を含む表現(人さらいが怪物だったり)も含まれるので、
ドラマは、そのあたりの交通整理をしつつ、なめらかに流れる脚本になっていました。
さすが、「ひよっこ」「ど根性ガエル」などを手掛けた岡田恵和ならではの仕事です。
主役の浦野すずには、松本穂香。
「ひよっこ」では工場の同僚のメガネ少女でしたが、吹石一恵系のウサギ顔を活かして、
すずのおっとり、ぼんやりした感じをリアルに演じてくれました。
夫の北条周作には、松坂桃李。
若々しさや誠実さとともに、もはや風格さえ感じさせてくれるほどの申し分のなさです。
周作の姉・径子には、尾野真千子。
すずへのあいさつの場面だけで、面倒そうだが真直ぐな性格が如実に表れていました。
榮倉奈々らが空き家になった北条家を訪れる「現代パート」も、
「茶の間」にいる視聴者を切れ目なく戦前に誘導するのに必要だったのでしょう。
当時のまま残る広島や呉の景色を取り込むようなロケシーンが多いことを評価するなら、
足元にアスファルトやコンクリートが写りこむのは受忍すべきなのかもしれません。
宮沢賢治の「星めぐりの歌」を思い出させる印象的なわらべ歌もドラマオリジナルです。
そもそも、音楽に久石譲を起用した時点で、スタッフの本気度を感じさせるところです。
初回は、子ども時代の前段3話に、結婚話から初夜までの3話も含めて、 第1巻の80ページ分が描かれました。
この丁寧さなら、最後まできっと楽しめることでしょう。
2.TBSドラマ版「この世界の片隅に」第2回を見る(2008.7.24)
歴代の朝ドラとキャストが重なることから、すでに「夜の朝ド
ラ」との異名を得ているドラマ版「この世界の片隅に」です。
とはいえ、朝ドラ出演者が多いことはけっして奇妙なことではなく、
主演女優をオーディションで若い才能を発掘し、それを支える脇役には実績のある演技派を配するという
朝ドラのような作り方は、本来、すこぶるまっとうなものであると言えましょう。
さて、ドラマの第2回は、原作の第4回から第7回、昭和19年2月から4月の約30ページが描かれます。
やはり印象的だったのは、周作の幼なじみ・幸子でしょうか。
ドラマだけの登場人物なのですが、けっして原作の邪魔をしていません。
ひそかに、いやむしろ、あらわに周作に恋をしていたという設定ですが、
すずのおっとりぶりに、嫉妬することさえもアホらしくなってしまったようです。
今後も様々なご近所づきあいが続く中、やさしく見守る年長者以外の立場として貴重な存在になりそうです。
演ずるのは、「ひよっこ」でも一途な恋心で好演した「米子」役の伊藤沙莉です。
脚本が同じ岡田恵和ということもあって、
この配役に限っては「ひよっこ」でのガンバリのご褒美で起用されたとしても許せるところです。
後半は、尾野真千子演ずる義姉・径子とのバトルでしたが、
ここで注目すべきは、径子が家に戻る直前の場面で昔のアルバムを発掘していて、
径子のオシャレな洋装の写真を披露していたことです。
つぎはぎのモンペを着ていることですずのことをみっともないと責める径子ですが、
夫に先立たれ、嫁ぎ先からはつらくされるばかりか跡継ぎとなる息子とは切り離され、
和服を仕立て直したモンペ姿をしている径子にとっては、
夫はもとより、嫁ぎ先の家族からも優しくされ、 モンペの上には今も娘時代のようなブラウスを着ているすずは、
自分が失ってしまったものをすべて持っているような存在でした。
しかも、自身がそれほどに恵まれた存在であることをすずが全く自覚していないことが、ますます径子をいらだたせます。
こういう芝居をさせると、尾野真千子が実に上手い。
障子を勢いよく動かしすぎて、そんな自分にもいらだって閉めなおすあたりは、
ねらっていたのか、偶然かはわかりませんが、実に径子らしいところです。
たとえ配給が少なくなっていても、まだ周作が誇らしげに戦艦大和を指さす程度には、
希望が持つことができた昭和19年の春なのでした。
というわけで、今回の秀逸は、
原作どおりの和服をモンペに仕立て直したすずの裁縫力でも、
娼館で暮らす二階堂ふみ演ずるリンの哀しさも含んだ色っぽさでも、
おそらく布に住所・氏名を書いてくれた周作に対するリンの恋心でもなく、
伊藤蘭が演ずる義母・サンがこつこつ新聞紙を揉んで作っていたトイレットペーパー。
3.TBSドラマ版「この世界の片隅に」第3回を見る(2008.7.31)
第3話は、昭和19年6月とクレジットされます。
空襲警報、防空訓練、雑草と楠公飯の食事、建物疎開、防空壕造り、砂糖の配給停止と、
番組タイトルまでの10分ほどの間で、急速に戦時下の窮屈な生活に入っていきます。
その一方、周作の幻の結婚話に注目させた上、
水甕に砂糖事件から、闇市、迷子、リンさんとの出会いと矢継ぎ早の展開です。
かたや、周作は酒場で水兵となった哲と出会います。
戦況は、文官に当たり散らしたくなる水兵が出てしまうほどに、
もしくは、水兵たちが自らの死を覚悟しなければならないほどに悪いようです。
周作は、すずを街に連れ出し、密かにアイスクリームを食べさせます。
他にも客がいる食堂で、どこが内緒なのかとも思いましたが、
リンからすずに渡された「アイスクリーム」のバトンが、さらに周作に渡され、
その流れの中で、周作とリンとの再会も、さりげなく描かれます。
見事な流れです。
原作では、雑草と楠公飯は5月、建物疎開が6月、防空壕造りが7月でした。
中の巻に入って、砂糖の配給停止からリンとの出会いが8月、周作との逢引が9月です。
空襲警報は原作にありませんが、6月にはセリフどおりに八幡が空襲を受けています。
酒場での周作と哲との出会いや、周作とリンとの一瞬の目礼もテレビ版の脚色です。
このあたりのわかりやすい展開は評価の分かれるところかもしれませんが、
原作が短い紙数の中で、最小限のほのめかすような伏線をつないでいたことを思えば、
この程度の原作を損なわない程度の脚色は許容の範囲でしょう。
なにより、脚本家や製作スタッフから、原作に対する敬意が感じられます。
さすがに、砂糖統制下での「内緒のアイスクリーム」は 、やりすぎと感じましたが。
というわけで、今回の秀逸は、
ぼんやりしているようで、しっかり今回も登場したすずと周作のキスシーンでも、
イヤミな小姑から世話焼きの義姉に変化した径子がすずにほどこした化粧でもなく
けっして忘れていたわけではなかった、 すずさんによる天秤棒で2人を同時に倒してしまうという神業。
4.TBSドラマ版「この世界の片隅に」第4回を見る(2008.8.6)
今回は、中巻の88ページまでのうち、前回描かれた部分を除
く4話分が描かれました。
カレンダーは19年8月。
先週の最後、海を軍艦ごとスケッチしていたすずを憲兵が間諜行為ではないかと咎めるところから始まります。
原作では、19年7月のエピソードですが、前回、砂糖のエピソードを原作どおり8月としたため仕方ないところでしょう。
そこから、すずの体調不良、懐妊の可能性へとつなぎ、原作では19年9月のリンとの再会へと渡していきます。
リンと再会したすずは、異なる運命から生まれる異なる価値観に打ちのめされます。
アトトリを作るというヨメのギムを果たすべき、という当時の常識に対し、
リンは、母は出産で亡くなった、子どもは困れば売ればよい、とサラリと言います。
そして、リンの言葉を咀嚼できないすずに、リンは、この物語の根幹のような大切な言葉をふっと語ります。
「誰でも何かが足らんくらいで この世界に居場所は無うなりゃせんよ」
原作どおりの展開ですが、すっかり忘れてました。
そこから、男子を産むことで居場所ができた径子、懐妊せぬまま夫が出征した志野、
結婚していない幸子と居場所をめぐる井戸端トークをリレーした上で、
家父長制を背景にした径子と長男・久夫の別れで締めくくるのかと思いきや、
最後に、妹・晴美の「自分は兄のように奪い合いをしないのか」という衝撃が待ってました。
オリジナルストーリーですが、女の居場所をめぐる流れるような展開が見事です。 (毎回、言っている気がする。)
19年10月に代わって、物資疎開からリンドウをきっかけにする周作とリンの関係に気づく流れが、
原作どおりに、きれいに展開します。
竹の枝をナタで打ちながら、周作とリンをめぐる記憶を細かいカットでつなぐあたりは、
原作も、こんな感じで読んでほしかったことをドラマで再現したように見えました。
というわけで、今回の秀逸は、
憲兵を説得した、海の一枚以外は食べ物の絵ばかり描いていたすずの画帳でも、
意外と達者でさまになっている径子の水汲み姿でも、
妊娠してないとわかった途端にすずに水汲みをさせる径子でもなく、
朝・昼・夜、夏・秋・冬で微妙に変えているカメラの色調。
5.TBSドラマ版「この世界の片隅に」第5回を見る(2008.8.14)
さて、今週の「この世界の片隅に」は、
「二人きりの納屋」「鬼いちゃんの遺骨?」「リンドウの茶碗を託す」の3本でした。
原作でもドラマでも、19年12月と20年2月のエピソードです。
まずは、すずが(軍人なのに)平気で盆で殴ることができるほどに親しい哲の登場です。
原作にもある、生きて帰れない任務の哲と軍人になれなかった自分という負い目と、
けんかの仲裁というドラマオリジナルの「借りを返す」という思いもあって、周作は、すずを哲に「提供」します。
生身の人間が演じ、つながりがあるドラマならではで、このあたりの周作の複雑な心情が上手く描かれます。
すずさえも、当初はまんざらでもないという表情で、それに応えています。
この流れだけでも、ドラマは成功していると感じます。
続く、兄の葬儀の場面では、祖母の宮本信子の上手さが光ります。
あらゆる場面、あらゆるセリフが、すべて上手い。死を悲しむことさえ許されなかった時代を、きちんと伝えてくれます。
北条家の風邪は、尾野真千子の「ザボン演技」が秀逸でオリジナルかと思いましたが、
リンに茶碗を届けた後に一コマだけですが、しっかり登場していました。
ザボンを分け与えたり、リンがそっと眺めるのはオリジナルですが、
雪の場面が大変という大人の事情は抜きにしても、なかなかに優しい脚色です。
そして、現代パート。
香川京子が「北条」と名乗ったってことは、あの子かあ。
というわけで、今回の秀逸は、
すずに対するケジメを示すかのように、膝枕にならない角度で寝転んだ哲でも
目でイチャイチャしなくなったことで示唆される二人のすれ違いでも、
周作の勧める縁談に、「よろしくお願いします」と言った幸子の女の意地と、
途端に、そそくさと女の部屋に移動した幸子の女心。
6.TBSドラマ版「この世界の片隅に」第6回を見る(2008.8.25)
今回は、時間がどんどん加速して、
まだ少しだけ牧歌的だった時間をどんどん後ろに押し流していったように思います。
まずは、昭和20年3月。初めての呉空襲です。
夜勤明けの義父が熟睡していたのは原作どおりですが、まだ笑い話に出来ました。
今にして思えば、学校に上がることが不安な晴美も、この後に起こる悲劇の前触れであったのかもしれません。
そして、ドラマは4月の花見の場面を念入りに描きます。
裏に、幸子と成瀬の見合いという薄っすらと喜ばしいオリジナル設定をはさむことで、
ことさらリンドウの茶碗を託した遊女が亡くなっていたことの悲しみが強調されます。
もはや、誰もが「いつまで生きられるのか」について意識しなければならないような、そんな時代になっています。
5月になって空襲は日常のものとなり、原作でも紹介された軍艦マーチの替え歌「広工廠歌」を義父が歌った流れで、
義父が勤めている広工廠の空襲につなげる脚本は、原作どおりながら巧みです。
ラジオの公式発表は「被害はきわめて軽微」としか言いませんが、義父は戻りません。
義父が不在の夜の不安さをじっくりと描いたところで、たたみかけるように周作は軍人に編入されたことを告げます。
ただし、この場面のすずさんは、少々バタバタしすぎていたように思いました。
なにせ、この後の後に、終戦時の「あの場面」が待ってますから。
そして、6月。
運命の日がやってきます。ああ。
というわけで、今回の秀逸は、
婚約者との顔合わせに、期待通りにクネクネする幸子でも、
父の時計をめぐる径子の説明ゼリフを一蹴してしまう母・伊藤蘭のスゴ味でもなく、
現代パートに、原作発表当時なら生きていたかもしれないすずさんではなく、
「あの子」を登場させるしかないほどに経過してしまった戦中と現代との距離感。(1)
「夕凪の街 桜の国2018」の石川旭が、定年退職直後だった原作に対し、
過剰に「認知症の疑い」をかけねばならないよほどの年齢になったことも含めて。
(1)
「生きていたかもしれない」については、このドラマ内で裏切られることになる。
7.TBSドラマ版「この世界の片隅に」第7回を見る(2008.9.8)
原作を読んだとき、下巻の怒涛の展開のせいで、
何が起こったのかじっくりかみしめる暇もなく、 気がつくと終戦を迎えてしまったようなところがありました。
というのも、呉の空襲のことを知らなかった自分が悪いのですが、
妹のすみが何も知らずに「広島は空襲もないし」と言っていたように、
私も、すずは呉にいるから原爆被害にも合わず無傷でいると勝手に思い込んでいて、
時限焼夷弾からの展開を、なかなか整理できないでおりました。
今回、改めて「すずの右手」の問題に向き合えたように思います。
さて、径子の娘・晴美は、出会ってすぐからすずになついてくれていて、
北条家にあって、すずの心の大きな支えとなっていました。
また、すずの右手は、日常生活や家事がままならなくなることに加えて、
すずの唯一の取柄と言ってもいい「絵」を描いてきた右手を失うことでもあります。
原作では、これまでのページを反芻するかのように、
「六月には晴美さんとつないだ右手 五月には周作さんの寝顔を描いた右手…」
とすずの独白で描かれていた右手の思い出を、
ドラマでは、海の写生、海苔すき、楠公飯、縫物、洗濯、アイスクリームと、細かいカットでつないでいきます。
このカットにすずの独白をかぶせても良かったのでは、と私的には思いましたが、
「四季・ユートピアノ」みたいに、と言っても誰もわからないのでやめます。
晴美を「殺してしまった」という罪悪感、右手を失ったという絶望感が、すずの心を押しつぶしそうになります。
晴美を失った径子もまた、すずに言ってもどうにもならないことを分かっていても、すずに当たるしか心の置き所がないのです。
原作ではわざと淡々と描いているこのあたりの場面ですが、さすがに、生身の人が発すると言葉は重くなります。
むしろ、そのことがマンガをドラマにするということの意味であり、ドラマの持つ力であるといえましょう。
右手を失ったすずは追い詰められ、自ら「歪んでおります」と混乱する中で自分の気持ちを表に出し始めるようになり、
広島に帰ることとし(また思いとどまった)、その日が8月6日なのでした。
というわけで、今回の秀逸は、
左手で描くという原作の荒業には及びはつかないものの、
「すずの左手」を意識させた幸子に返した「ちっとも痛うない」すずのグーパンチでも、
本当に何も知らないまま過ごしている浦野家の夕刻の空虚なセピア色でもなく、
やっぱり、これでしょう。
抑えに抑えた心が、どうにも抑えきれなくなって噴出してしまった娘・晴美を失った径子の声にならない慟哭。
8.TBSドラマ版「この世界の片隅に」第8回を見る(2008.9.13)
原作を読んだときに、最初の内は意外であり読み進めるうちに
納得したのは、
「昭和20年8月20日」が単なる通過点であったことでした。
よく考えれば、庶民にとっては戦争の前からも戦争中も戦争が終わっても、日々の暮らしはずっと続いているのです。
右手を失ったすずは、その代償であるかのように爆撃機に毒つくほど強くなり、
玉音放送に対しても、「覚悟のうえじゃないんかね」「納得できん」と叫びます。
ふつうは、伊藤蘭のように、生き残ったことに安堵したのが正直なところでしょう。
(手塚治虫少年は、阪急百貨店のコンコースを歩きながら灯りのついた街に万歳したといいます。)
そんな状況で、「怒りに震えるすず」という描写を成立させるのは、相当な冒険です。
すずは、「最後の一人まで戦う」(のだから、戦死も空襲も受忍せよ)というタテマエを、
ある日、突然、平気で覆している人たちに心の底から怒っているのです。
この難しい場面を見事に演じきった松本穂香さん、本当によく頑張りました。
顔も分からなくなるほどになっても呉まで歩き続け、行倒れていた男性は、
木野花というか刈谷さんの長男で、幸子の兄でした。
そんな厳しい状況にあっても、幸子が祝言をあげられたのは、
ドラマだけの脚色とはいえ、少しほっとさせてくれるところです。
そして、行こうと思えば行くことができる呉だからこそ、見えてしまう広島の惨状。
しかし、呉にいるだけでは、けっして見ることのない広島の惨状。
広島に行った医師や竹内都子が、沈黙したり寝込んでしまうことで、広島の厳しさを私たちに想像させます。
もう、すずには妹からの読めないハガキだけが頼りです。(あ
の女性配達員は、刈谷家にも友人からのハガキを届けたのでしょう。)
というわけで、今回の秀逸は、
空襲にあって、看板(と割れたリンドウの茶碗)しか残っていない遊郭に自然に誘導した周作のいつでもさり気ないやさしさでも、
玉音放送を聞いた北条家に集まった人たちが繰り広げる小津安二郎的な妙に歯切れのよいやり取りでもなく、
その間、かみしめるように動かなかった塩見三省が見上げる静かで空襲のない青空。
9.TBSドラマ版「この世界の片隅に」最終回を見る(2008.9.13)
いよいよ最終回です。
原作では、幻の右手が描く回想と空想がないまぜになった物語が挿入されたり、
今は亡くなってしまった人や物の記憶が幻の右手によって描かれたりしていますが、
鬼イチャンが南方でワニと幸せに暮らしている(と、いいな)みたいな話は、さすがにドラマでは描くことはできません。
とはいえ、そんな挿話も含めて断片的な情報をつなぎ合わせていた原作に対し、
ドラマは、ジャズを堂々と演奏ができることで戦後の開放感を表してみたり、
衣類を物々交換に出すまでのくだりや、祖母からの手紙とその後のやりとりなど、
原作にない描写を補いつつ、丁寧につながりをもたせているところが伺われました。
行こうと思えば支援に行くこともできるほどに近い呉と広島ですが、
呉にいるだけでは広島の本当のところが全くわからないほどに呉と広島は遠い。
看護師だったハルさんの不調は二次被爆によるのでしょう。
とはいえ、最後に節子を連れ帰るすずと周作の行動に、ほとんど違和感がなかったこと、
あるいは、この二人なら節子を連れてかえっても不思議ではないと思わせたことが、
このドラマが成功している何よりの証拠であるように感じられました。
哲については、原作でも生きていて、一瞬、すずが哲の後ろを通り過ぎるのみですが、
ドラマでは、しっかりと「生きる」というセリフを与えられていました。
これは、戦後の復興に希望を持たせる意味でも正解でしょう。
現代パートについては最後までしっくりこなったのですが、原作を知らない人にとっては節子の謎解きに驚きがあったのでしょうか。
それと、すずさんがまだ生きていて球場に通ってるのも年齢的には苦しいでしょう。
最後の「負けんさんな広島」 で、すべてが許される感覚なのでしょうか。広島の人の率直な感想を聞きたいところです。(2)
というわけで、今回の秀逸は、
「ギブミー・チョコレート」と米兵に群がる子どもたちを見つめる径子の
優しさ、羨ましさ、せつなさ、諦めなどが入り混じった複雑な目線でもなく、
海水をありがたがるほどに乏しい食材で調理していても、
その無防備な和やかさに、ふと義父がつぶやいた「終ったんじゃのう、戦争」でもなく、
祖母がすずと再会したときに絞りだすように発した「よう、生きた」の言葉が示唆する
広島で「生きることができなかった」あまりにもたくさんの生命のことでもなく、
それを手放すと晴美がいたことさえ無かったことになりそうで、
もう着る人がいないとわかっていても物々交換に出せなかった晴美の服を、
ためらうことなく節子に差し出そうとした、本当はやさしい径子の親心。
(2) ドラマ内のすずさんは、今も球場でカープを応援していた。「負けんさん
な広島」の言葉は、2018年7月豪雨の被害にあった広島への
メッセージとして響いたとの声もあった。ただし、昭和と同い年のすずさんが90代であることを思うと、夢はあるけれどギリギリすぎる。
原作の発表時には、まだ80代前半だったのだが。
TBSサイト内「この世界の片隅に」ページ
ありがとう。最後の最後に「しあはせの手紙」を綴ってくれたすずの右手
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こうの史代「この世界の片隅に」を読む
1.こうの史代「この世界の片隅に」上巻を読む(2008.2.3)
「夕凪の街 桜の国」という奇跡のような作品が生みだされ、
いくつかの大きな賞までもらうまでになったとなれば、
関連した作品を描いてほしくなるというのが大人の事情である。
今度の舞台は、戦中の広島だ。
まだ子どもだったころの昭和9年・10年・13年の連作を前段に置いて、
昭和18年12月から1ヶ月ごとに時間が進んでいく連載が、上巻では19年7月まで続いている。
主人公は、いつものように「ぼーっとしている」のだが、望まれて呉に嫁入りする。
いろいろと小さな幸福や瑣末ないさかいがあるのは、いつの時代でも同じこと。
むしろ、登場人物たちは何も知らないが、私たちがみんな知っている「あの結末」を、
こうの史代がどう描くのかが気がかりでならない。
今度は、過去の話ではない。
まさに、あの瞬間を、描かねばならないのだ。
上巻ではあるが、まだ序章だ。
2.こうの史代「この世界の片隅に」中巻を読む(2008.7.13)
上巻の次は中巻だった。
物語の進行が実際のカレンダーとシンクロしているので、物語は20年4月までだ。(1)
こうのは、徐々に悪化する戦時下の暮らしを描きながら、
憲兵、闇市、遊郭といった今は見られない当時の風景を、巧みに物語に織り込んでいく。
過ぎた事、選ばんかった道 みな覚めた夢と変わりゃせんな
すずさん あんたを選んだんは わしにとって多分最良の現実じゃ(p34)
これは、後々への伏線(俗にいう「死亡フラグ」)かと思ったが、
なんのなんの、すずをめぐる目の前の現実にかかわっているのだった。
「りんどうの茶碗」をめぐる謎解きを見ていると、
絵の得意な人というのは、一度目に映ったものを的確に記憶し再現する能力に、ずいぶん優れているものらしい。(2)
しかし、生活はどんどん切迫し、戦況は悪化している。
これから、つらい下巻が待っている。
3.こうの史代「この世界の片隅に」下巻を読む(2009.5.9)
呉に大空襲があり、広島に新型爆弾が落ちて、
重大放送があって、戦争が終わった。
そして、台風が通り過ぎ、占領軍がやってきた。
結局、こうの史代は、昭和21年1月までを描いた。
大切だった「今までの暮らし」は二度と戻っては来ない。
そのことを思い知らされると、つい恨みがましくなり、愚痴っぽくもなる。
うっかり書き始めた「不幸の手紙」は、いつしか「しあはせの手紙」に変わった。
「この世界の片隅に」暮らす私たちは「この世界のほんの切れっ端にすぎない」
しかし、だからこそ「変はりゆくこの世界の」どこにでも愛は宿る。
ありがとう。最後の最後に「しあはせの手紙」を綴ってくれたすずの右手。
(1) 連載時、物語内の時間は「平成」と「昭和」を置き換えて進行しており、中巻の最後
の「第28回 昭和20年4月」は、
「漫画アクション・2008年4月15日号」に掲載されている。
(2) すずは、夫・周作が持っていた「りんどう柄の茶碗」を見て、遊女・リンの着物の柄と同じであることに気づく。
それは周作とリンとの過去の関係を示唆していたのだが、すずが気づくまで私は全くシンクロに気づかなかった。
言葉で説明することを嫌うこうの史代は、絵の中だけで(私的な感覚では、ひっそりと)説明することが多い。
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