さまざまな研究者が専門的識見から指摘するこうの史代の謎―――ユリイカ2016年11月号 「特集 こうの史代」を読む(2017.3.2)映画「この世界の片隅に」の公開を記念して編集されたされた「こうの史代研究本」である。 こうの史代は研究しがいのある人だ。 うかつな説明的な表現をすることで誤読を呼ぶことを潔しとせず、 誤解を生む説明を加えるくらいならわかる人だけわかってもらえばよいとばかりに、 ストーリーをぼんやり追うだけでは見落としてしまうような仕掛けを、 あちこちにひっそりと描き残している。 とはいえ、そんな「こうの史代」に取り組むのは、詩と批評の「ユリイカ」である。 今も巻頭巻末には詩が掲載されている賢い雑誌だ。 そんなわけで、賢い執筆者たちが様々な角度から「こうの史代」を分析する。 まずは、「この世界の片隅に」をめぐる論評が並ぶ。 コミュニケーション論の細馬宏通は、漫画アクションの巻末で連載されたことを軸に、 雑誌全体の中での掲載のされ方を意識したマンガ表現を論ずる。 農学原論の雑賀惠子は、昭和4年の農村恐慌から説き起こし、 戦中の食料事情から、すずとリンの隠された縁を描きだす。 マンガ批評の紙屋高雪は、空襲描写の変遷をたどりながら、 日常の喪失と回復を描いたことに反戦漫画としての新しさを指摘する。 「長い道」の主人公・道、夫・老松荘介、道の元恋人・竹林賢二という名を 道教、老荘思想、竹林の七賢と看破したのは、詩人の水無田気流である。 哲学者の藤岡俊博は、「ぴっぴら帳」「こっこさん」という鳥との交流マンガを踏まえ、 「長い道」の道のことを、本当は人間ではなく小鳥かもしれない、とする。 広島で生まれた歌人・東直子は、「遺族の家」と掲げた家にまつわる記憶とともに、 「夕凪の街」のプロポーズのハンカチが「長い道」でも登場しているという発見を報告する。 古代文学の三浦佑之は、古事記の散文部分が筋だけの叙述であることを押さえた上で、 「ぼおるぺん古事記」における絵の力を強さと、その解釈の的確さを讃える。 四コマ雑誌デビューのこうの史代を、キャラを重視する「萌え四コマ」という視点から、 漫画が虚構でしかないことにこだわっていると解き明かすのは、物語評論のさやわかだ。 これ以外にも、様々な識者がそれぞれの視点から、こうの史代を解読する。 むろん、こうの史代自身の対談や、いくつかの短編の再録、アニメ映画「この世界の片隅に」の監督・片淵須直や声の主演・のんのインタビュー、 交流のある漫画家たちによるイラストエッセイ、大学教員としてのこうの史代の指導法の報告など盛りだくさんだ。 唯一、困ったことは、二段組み250ページを読み終えた時、 雑誌がすっかりボロボロになってしまったことだ。 それほどまでに、読み込める一冊であったということでもあるのけれど。 青土社サイト内「ユリイカ 特集こうの史代」ページ Wikipediaこうの史代ページ プロの漫画家たちが一人のファンとして原稿を寄せる熱さ――― 「ありがとううちをみつけてくれて この世界の片隅に公式ファンブック」を読む(2017.8.26)ユリイカの「特集 こうの史代」が識者による「こうの史代・考」であったとすれば、 この「公式ファンブック」は、関係者による映画「この世界の片隅に」への感謝の本だ。 一人あたりの持ち分は1〜2ページと短いが、その分、たくさんの人が寄稿している。 まず、青木俊直、小玉ユキ、ちばてつや、ヤマザキマリ、吉田戦車、谷川史子のカラー。 コマを割っているものもあれば、イラストと文章によるものもある。 続くモノクロページは、近藤ようこ、さべあのま、高橋留美子、とり・みきなど30人。 カラーが、清野とおる、とだ勝之、川越スカラ座の3組。 寄稿者による「好きなシーン」ランキングを挟んで、 こうの史代とのん、ユースケ・サンタマリアと篠原ともえのスペシャル対談、 文章を寄稿するのは、いとうせいこう、小池一夫、水道橋博士、高樹のぶ子ら14人。 さらにモノクロページが、村上たかし、ゆうきまさみ、二ノ宮知子、古谷三敏ら23人。 町山智浩と片淵須直の対談に、劇場インタビュー、キャストインタビューに続くのは、 念押しの片淵須直、のん、コトリンゴ、こうの史代のインタビューと並ぶ。 「この世界の片隅に」の世界に自分自身を入り込ませて会話させてみたり、 印象深い場面を自分の手で描きなおして感想を添えたり、映画館で見た時の感動を率直に描いたものもある。 こうの史代や片淵須直の内輪話を披露しているものもある。 短くても魂が込められた漫画や文章を読み進めるうちに、不意打ちのように涙ぐまされることもある。 改めて驚かされるのは、これだけたくさんの人、特に漫画家が、 映画「この世界の片隅に」のファンブックという企画に自分の時間を使って、本当にただのファンの一人として、原稿を寄せたことだ。 漫画家だからこそ、絵や映像を使った表現に特に強く感じ入るのかもしれない。 使命感にかられているかのように、映画「この世界の片隅に」について語ろうとする。 だから、この本には、同じ表現する人たちによる、 「ありがとう。この漫画を作ってくれて」 「ありがとう。この漫画を映像化してくれて」 の言葉にあふれている。 そして、それもまた「この世界の片隅に」が突出した表現であることを示している。 |