「大人のたしなみ」としての小博打

                                        ----先崎学小博打のススメ」を読む(2005.7.18)

将棋は囲碁と比べると、いささか上品さに欠けるようです。
以前、日本における紳士の社交場と呼ぶべき場所
(1) を見物したことがあるのですが、
そこにも囲碁雑誌はありましたが将棋雑誌はありませんでした。

確かに、<10目を捨てても確実に11目が得られるならば、 きっぱりと10目を捨てるべきだ>という囲碁の考え方は、いかにも経営者的です。
将棋のように、肉を斬らせて骨を斬るどころか <骨まで斬らせても敵の大将のタマさえ取ってしまえばそれでよい>というのは、
ヤクザの出入りかテロリストの思想と言われても反論しがたいところがあります。

おかげで、日本における将棋の地位は、どこかアウトローな香りを漂わせ続けていました。(2)
そんな様相が一変したのは、若き天才谷川浩司が登場してからでしょうか。
さらに谷川に触発された羽生善治に代表されるたくさんの優秀な才能が将棋界に流れ込み、
いつのまにか俊英が集まり真理を追究する最先端の研究所のような印象になりました。

先崎学は、そんな羽生世代の棋士の一人です。
しかも、今後日本の家族観が大きく変わらない限り出現しないであろう、ほぼ最後の内弟子経験者でありました。
その深い絆は、奇行でも知られる師匠の米長邦雄がタイトルを取った喜びに裸踊りをした時に、だまって一緒に裸になるほどです。
つまり、先崎は同世代の他の棋士たちと同様の現代的な感覚を持ちながら、古いアウトローな将棋界の空気を知っている棋士なのでした。

たとえば、先崎の雀荘デビューは13歳の冬だったといいます。
その一方で、難関で知られるプロ棋士養成機関の奨励会を17歳という若さでで突破し、
A級八段にまでのぼりつめているのですから、単なる遊び人ではありません。
また、読書家でも知られており、その軽妙な文章は週刊文春での長期連載エッセイでも知られているところです。

そんな先崎学が本格的に「小博打」を解説したのが、この一冊です。
おなじみの「マージャン」や「ポーカー」に始まり、カジノの華である「ブラックジャック」や「ルーレット」、「バカラ」、
そして、いくぶんアウトローの香りを漂わせる「チンチロリン」、「おいちょかぶ」など多岐にわたります。
さらに、「オール」と呼ばれるカードゲームや、「きつね」、「たぬき」、と呼ばれるサイコロ博打など、名前すら聞いたこともないようなものも登場します。

先崎は、小博打の楽しみの本質を心理的な駆け引きにあるといいます。その駆け引きの動機を高めるために掛け金があるというわけです。(3)
ポーカーにしても、不要なカードを一回だけ交換するルールではなく、7枚のカードの良いところ取りで役を作る「セブンスタッド」を紹介しています。
「もっともポピュラーな」という紹介の仕方はどうなのかとも思いましたが、駆け引きの面白さで言えば「セブンスタッド」が数段勝ります。
(あるいは、そんな駆け引きの面白さがあるがゆえに、小博打界ではとっくにポピュラーになっているのかもしれません。)

さらに、そんな心理ゲームの傑作が「手本引き」です。先崎がこの遊びをどこでどうやって知ったものなのか何ともうかがい知れないのですが、
本当に裏社会だけで息づいてきたために世間でほとんど知られることがなかったというこの博打に、先崎は一章を費やしています。
確かに運の入る余地が全くなく、駆け引きだけですべてが決まるゲームであり、「日本裏文化が残した博打の最高傑作」(4) というのもわかります。
ひょっとすると、この博打のルールを活字に残すということが、この本の本当の意図であったかと思わせるほどです。

とは言うものの、この本は読者をいたずらに博打の世界に誘い込もうとしているわけでも、必勝法が書いてあるわけでもありません。
もちろん、「勝つこと」を職業にしているプロ棋士ですから、「勝つこと」へのこだわりはあるでしょう。
しかし、それ以上にプロ棋士と呼ばれる人たちは「研究すること」が大好きなのです。
数人のプロ棋士たちが何日かかけて「黒ヒゲ危機一髪ゲーム」の解析に成功したという伝説もあるほどです。
そんな根っからの研究好きのプロ棋士の一人が、人生を棒に振るかもしれない博打を研究し解析した結果として、
大人のたしなみである小博打として楽しむ方法を紹介しているのです。

だから、これを読んでも博打に勝てるようになるわけではありません。
しかし、本を一冊読むくらいで勝てるようにはならないということならば、わかるように書いています。
つまり、楽しめる範囲で遊びなさいということ。それが「小博打」の「小」たるゆえんであり、「たしなみ」でもあるのです。


  (1) 「おりおりの香櫨園倶楽部」で書いた綿業会館のことである。
  (2) そうした囲碁に対するコンプレックスの裏返しもあってか、将棋界は行儀に厳しい。対局は常に和室で行われるし、タイトル戦
では和服を着ることが
    常識になっている。
  (3) ババ抜きでも比較的強めの「動機付け」をして遊ぶと、ジョーカーの動きの持つ意味が大きくなり、しかもそれを顔に出さないようにしなければ
    な らないので白熱するそうだ。(本書・p78) 

  (4) 本書p131

           新潮社サイト内「小博打のススメ」紹介ページ                                      
           Wikipedia 先崎学ページ
   

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