未来に向けてなされた宣言、になるのかもしれない
――― 「道具の記録/道具の記憶」展を見る(2001.8.12)西宮市立郷土資料館の特別展「道具の記録/道具の記憶」を見ました。まず、「道具の記録/道具の記憶」というタイトルがしゃれています。と同時に、大切な思いを伝えています。 主催者あいさつに、こうあります。「従来、展示の背後に置かれがちであった聞き取り記録を前面に出し、 記憶・記録と道具を対等な関係に置いた展示を試みる。」 (1) つまり、記憶にもとづく記録が、実物資料に負けないだけのメッセージを持っているのだと言うわけです。 美術館を含めた意味での博物館の展示を見ていていつも感じるのは、あまりにも「寡黙すぎる」ということです。 私が「言葉」を使いなれているので余計そう思うのかもしれませんが、 展示品やその周囲にある言葉の数があまりに少ないのです。 その論理は明快です。「実物こそがもっとも雄弁である」というものです。 もう少し博物館の立場をおもんばかって言えば、うかつな説明を加えることで 鑑賞者に展示物に対する予断や偏見を与えることになってはならない、といいかえることはできるでしょう。 美術作品であればもちろんのこと、歴史資料であっても完全に「正しい見方」というものがありえないということは理解できます。 「見方」を書いてしまうことで、その方向からしか見えなくなってしまうならば、何も書かない方が誠実であるというわけです。(2) とは言うものの、初めて見る現代美術作家の作品や使い方さえ分からない過去の道具類と向き合ったとき、 どこを手がかりにすれば良いのかさえわからないときがあります。 実際に、最近はやりの「子ども向け解説シート」を手にして、ようやく納得できた経験もありました。 それほどに、博物館展示の主流は「実物に語らせる」ことであって、「言葉」は「展示の背後に」沈んでいるものでした。 この展覧会は、そうした背後に沈んでいた「言葉」にもう一度語らせようという試みであるわけです。 では、実際に「記憶」された言葉は、どのように語られていたのでしょうか。 入口正面には、先に紹介した「ごあいさつパネル」がスポットライトの照明に浮かび上がっています。 それを横目にすぎると、3mほどの可動壁面の中央に「塚本さんの鍛冶道具」というタイトルの写植パネルが貼られています。 タイトルの下には「鍛冶道具」についての聞き書きが(塚本さんの言葉をできるだけ活かしながら)記されています。 その上にはその鍛冶道具が使われていたらしい鍛冶場の写真が大きく引き伸ばされており、 床置きの展示台には「塚本さんの」鍛冶道具一式が並べられています。 基本的に一つの展示は、このような「(持ち主の姓)さんの(道具名)」と題された写植パネル・ 大判の写真・実物によって構成されています。 こうした展示の島が可動壁面をうまく活用して次々と展開されることによって 「道具の記録/道具の記憶」という展覧会が構成されています。 あえて「****さんの」としてあるのは、個人情報の保護という説明もありますが、 道具の本来の持ち主がけっして特別な人ではない市井の個人であること、 しかしながら、それらの道具はただ「道具」としてあるのではなく、 特定の持ち主の「記憶」とともにあるということを示しているといってよいでしょう。 さて、その「聞き書き」ですが、正直に言って最初に見た印象は、もう一つ物足りないというものでした。 今にして思えば、タイトルの上手さに過剰な期待をしてしまい、 (たとえば「プロジェクトX」「クイズ!紳助くん」「俵太のお見事!日本」のような) (3) 一つの道具から出発して一人の職人の生活や人生観までもが見えてくるような劇的な展開を期待していたからだと思います。 (それは、たぶん博物館の領域を超えた特別な「演出」が必要になってくることでしょう。) 無料展示でもあり、冷静な気持ちで再度訪れてみると、なかなかどうして貴重な言葉が「収集」されていました。 たとえば「塚本さんの鍛冶道具」には、 「製品は農具が大部分であったが、土木工事用工具・植木職人用道具なども作った。 道具の製作とともに修理も重要な仕事であったが、鍬やツルハシの柄などは購入した。 販路は北部を除く西宮市域・尼崎市であった。」 (4) とあります。 こうした言葉は、記録に残しておかなければ消えてしまいかねない生活の記録です。 「タバコボン」に「お客さん用」とか、「苗カゴ」に「昭和36年ごろには、まだあぜ道が多かったのでこれを使っていた」とか、 「ネズミトリ」に「とれたネズミは、ネズミトリごと溝につけて殺した」という 持ち主の(言葉どおりの)解説がキャプションに書かれているのは、これまでの展覧会では考えられないことです。 ただ残念なことに、「聞き書き」を記録した写植パネルの大きさの関係で、 図録に載せられた文章のすべてが会場での「展示」はされていませんでしたし、 やむをえないことでしょうが、展示によって「聞き書き」の量・質にばらつきがあったことも否めませんでした。 もっとも、今回展示されている「聞き取り」は、もともと「展示」されることを前提に行われたものではありません。 (一番古い「聞き取り」は1987年です。)今回の展示でも「聞き取り記録を前面に出し」た展覧会をするという主催者のねらいは、 十分に果たされているというべきなのかもしれません。 むしろ、今回の展示の出来を云々するよりも期待したいのは、 これからの民具の収集の場面で「聞き取り」というものが広く公開され「展示」される可能性さえあるということを 収集する側が強く意識していただけるのではないか、ということです。 相手もあることなので収集する側の都合だけで考えることはできないのかもしれませんが、 これからの「聞き取り」というものが単なる道具に付随する説明にとどまることなく、 持ち主の生活誌までも書きとめてしまうような方向に進むのであれば、 この展覧会は閉幕とともに終わってしまうものではなく、未来へ向かってなされた大きな宣言ともなりうるのだと言えましょう。 そして、それは案外たやすいことなのかもしれません。 というのも、同時開催されていた「第12回戦時生活資料展・千人針」で、 展示資料とあわせて掲示されていた当時の体験を語った「千人針の思い出」の抜き書きが、 まさに「千人針」をめぐる当時の人々の思いや生活、あるいは宗教的な感覚をも明らかにしていたからです。 全国的に流行した風習についての複数の人からの証言という有利さはあります。 しかしながら、「聞き取り記録を前面に出す」という「道具の記録/道具の記憶」展の思想を意識していればこそ、 この展示においても現物に負けない力を持った証言を集めることへとつながったのであろうことは、十分に予想できます。 そのような意味で、この「道具の記録/道具の記憶」展の試みが点で終わってしまうものなのか、 西宮市立郷土資料館という場で線的に継続していくものなのか、 あるいは博物館の世界全体に面的な広がりさえもたらすものなのか、 逆に、もともとそんな必要などなかったという可能性も含めて、しばらく注目していってもいいのではないかと考えさせられました 。 (1) 西宮市立郷土資料館第16回特別展「道具の記録/道具の記憶」展示案内図録(西宮市立郷土資料館・2001) (2) もちろん、勇み足もある。ある展覧会で、ディズニーのバンビのキャラクター刷り込んだ子ども用食器の解説に 「バンビは、アメリカディズニーアニメのキャラクターで、海外交流の一端示している。」と説明していた。 バンビが日本で公開された昭和26年にまでさかのぼる必要はないにしても、昭和30年代の日本におけるアメリカ大衆文化の地位は、 「国際交流」というよりも文化的「先進/占領」を意味するものであったことは、ある一定年齢以上の方には常識的なことである。 だからこそ、ついこの間まで使っていたような民具でも、しっかりとした「聞き取り」が<必要となってくるのである。 (3) 「プロジェクトX」は、日本の戦後の高度成長を支えたさまざまなプロジェクトを成し遂げた無名な技術者たちの努力と成功を描いた NHKの本格ドキュメント番組。「クイズ!紳助くん」は、若手芸人が全国の名人や達人のもとへ「お手伝い」と称して住み込み取材を行い、 そのビデオをネタにしゃべるクイズ番組のフリをしたトーク番組(関西ローカル)。「俵太のお見事!日本」は、越前屋俵太が扮する書家・俵越山が 全国の職人を訪ね、その印象を揮毫するビデオコーナー/番組(関西ローカル・本サイト 「おりおりの越前屋俵太」も参照) いずれも、とっくに番組は終了している。 (4) 西宮市立郷土資料館第16回特別展「道具の記録/道具の記憶」展示案内図録(西宮市立郷土資料館・2001) p1。(以下の引用も同じ。) 「タバコボン」=「吉井さんの釜」(p12)、「苗カゴ」=「松本さんの藁切り」(p6)、「ネズミトリ」=「松山さんの両手ビキ」(p4)。 * 後日、同展の関係者と話をする機会があった。それによると、「聞き取り」の不十分さはやむをえないもので、 この展覧会は「聞き取り」の限界を示したものでもあったのだという。なぜなら、聞き取りがあくまでも「寄贈にともなう聞き取り」であるため、 実際に聞き取る時点では、本人の記憶が定かでなかったり、記憶違いや誇張の可能性さえあるのだという。今回の展覧会は、 それを含めて「聞き取り」のとおりに展示しているため、そんな「間違い」も含めた展をする試みであったのだ、とのことである。 聞いてみれば納得の舞台裏である。やむをえず不十分な「聞き取り」におわったことへの学芸員の思いは、下記「ニュース」の記事にも表れている。 |