文人の書としての俵越山

               −おりおりの越前屋 俵太(2000.7.22)
 最近、関西テレビの土曜日午後0時30分ご ろ(というのも、「昼あがり!どまんなか」という番組内なので)にやっている越前屋俵太の「お見事!日本」という15分ほどのコーナーを気に入って見てい ます。俵太扮する「書家の俵越山」(榊莫山から来ている名前であることはいわずもがなでしょう。)が日本各地の職人を訪ね、工房で作品というか商品を製作 する現場を取材するというものです。「書家」という仕掛けは、最後の場面で、職人の技にちなんだ書を「越山先生」が即興で書くところからきています。

 たいていは取材先も関西エリア内なの で、職人の方も「(越前屋俵太扮する)書家の俵越山」の意味を十分に理解しており、「職人肌」の中にもサービス精神にあふれたトークが繰り広げられます。 それでも、いざ「越山先生」が紙を広げて太筆を手にすると、仕掛けと知りつつもどんな言葉が書かれるのかを期待半分、不安半分で見つめることとなります。
 そして、こ の勢いをつけて一気に書き上げられる書が、なかなかよい味わいがあるというか、それなりに訴える力を持っているように感じられるのでした。もちろん、書か れる言葉はあらかじめ決まっているわけではなく、トークの転がり具合で引き出すことができた職人の話を、越前屋俵太が改めて一つの言葉として形にするわけ です。そのせいか、ときどき思わぬ大当たりをする作品に出会えるときがあります。

 たとえば、先日の訪問先は「琉球ガラ ス」でした。沖縄で作られている吹きガラスで、ふだんはワイングラスや花器などを作っています。俵太も見よう見まねで挑戦しますが、ガラスはなかなか思う ような動きをしてくれません。
 工房一番と いう職人が作業を始めます。白・青二色のガラスの種は炎で溶かされ、手元から空気を吹き込むと大きくふくらみます。そして、まわしたり、ヤットコで引っ 張ったりしているうちに、ガラスはだんだん魚の形になっていきます。さらに形を整えながらガラスの種を落としては引っ張りを繰り返すと、みるみるうちにス カイブルーの背と透明な腹が美しいカジキマグロの置物が完成したのでした。

 細工のできる温度が限られているから でしょうか。炎のそばのけっして涼しいとは言えない工房で、職人はためらうことなく作業を進めます。それは、自信で あり、確信でさえあるようにさえ見えてきます。
 「どうし て、そんな思い通りの形につくることができるんですか」
いう俵太の問いに職人は答えます。
 「ガラスがそちらへ行きたいという方向に延ばしてやるんですよ」
 そして、越山先生の書です。

   「心の熱さにガラ スが喜ぶ」

 「すごい、すごい」、ちょっとくたび れた中年男に見えた職人が少年の笑顔を見せます。そこには「タレント・越前屋俵太が扮した書家・俵越山」という仕掛けとは無関係な、自分の仕事を讃した書 を素直に喜んでいる職人の姿が見えてきます。

 さらに印象的なシーンもありました。 青森県の「リンゴばさみ」の回でした。リンゴの刈り取り用に作られた小さな
植木ばさみは、二枚の鉄板を火の中で叩いたり、型で曲げたりしながら作られていきます。もはや老人の域に
達した職人の後につ
いて、俵太もみようみまねで火の中で鉄板を叩いて見ますが、冷水にとった瞬間を見て
職人は「だめだ」と言い捨てます。「もう、それは鉄が死んでしまっているから、それ以上どうやっても切れる
ハサミにはならない」というのです。

 その後もカメラは職人がハサミを作るシーン を追いかけていくのですが、最後に越山先生が書いたのは次の言葉でした。

  「鉄は生きている」

 その瞬間に、老職人は 涙をあふれさせます。そして、やっとの思いで越前屋俵太、いや越山先生にこう声をかけるのでした。
 「これだけ の書を書けるようになるまでには、ずいぶん長いあいだ修行されたんじゃろうな」
 俵太が少し困ったふうにこう答えたところでビデオは終わります。
 「いや、あの三ヶ月ほど」

 「書」の世界には、書家の書 とは別に文人の書と呼ばれる分野があります。努力と修行をを重ねた書家の書とは別に、それなりの教養を積んだ「文人」の書く書には、書家の書法からみれば 外れたものがあっても、それを上回る味わいがあるなら、それはそれで評価されていいと考えられているのです。
 ともすれば、単に有名人の書をありがたがる だけと誤解されそうになる「文人の書」がどんなものであるのかを、この「越山先生」の書は指し示してくれるように思います。ゆるぎない思いを書の中に吹き 込むという作業の中に書を書として成立させる力の源泉があるのだ、とでもいいましょうか。(裏返しの意味で、実は展覧会で落とされてしまう書に共通するの が、緊張が持続できずにためらったり、ぶれたりしている作品であったりします。)
 本当に書きたい言葉を書くという書の基本に たって、職人が真摯に語る自分の仕事についての言葉を「越山先生」は真摯に紙の上に表現しようとします。それは、けっして上手く話しているわけではないに もかかわらず、聞くものに何かを伝えてくれる職人たちの話ぶりとも重なっています。

 そして、このような、思いを載せる言 葉を見つけて形にするという作業ならば、相手の懐に入ることをもっとも得意とする希代のインタビュアー越前屋俵太にとっては、世の文人と呼ばれる人にも負 けることなく、得意な分野であることは十分理解していただけることでしょう。

 そもそも、書一つで人を感涙までさせ てしまったのですから。


 

   *  2002年4月から、「俵太のお見事、日本」のコーナーは「心はいつも日本晴れ」に改称された。取材先が職人限定から、いろいろな
  意味で道を極めた人に広げられている。取材後の一筆は変わらない。
   さらに、2002年10月から、
「俵越山のおみごと!にっぽん2」という独立の番組と なった。取材対象は、広い意味での生産者という
  ことで、農家なども訪れている。そして、2003年3月に「越山先生」のシリーズは終了。要はネタ切れらしい。

    2005年3月をもって越前屋俵太氏は引退された模様。「らしい」と言えば、らしい。しかし、残念である。

   2008年から、再び「書家・俵越山」としての活動を始めているようだ。つまり、仮想(ギミック)の書家が、文人(シャレ)とはいえ、「ホン
 モノ」として活動を始めたということだ。紹介番組を見る限り、「書きたいことを書く」「思いを伝えるように書く」というのは、書家として正しい
 姿勢だ。

      はてなダイアリー・越前屋俵太ページ
      wikipedia・越前屋俵太ページ

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